2001年10月発行・平凡社
北八ヶ岳というと苔の森と湖沼のイメージがあるが、白駒池や北横岳あたりは今やすっかり観光地化してしまい、静寂という言葉とは少し距離があるように思える。かつての「北八ッ」の森を彷徨ってみたい、そんな好奇心から本書を手にしたように覚えている。
南八ヶ岳を動的[ダイナミック]な山だとすれば、北八ヶ岳は静的[スタティック]な山である。前者を情熱的な山だといえば、後者は瞑想的な山だといえよう。
北八ヶ岳には、鋭角の頂稜を行く、あの荒々しい興奮と緊張はない。原始の匂いのする樹海のひろがり、森にかこまれた自然の庭のような小さな草原、針葉樹に被われたつつましい頂や、そこだけ岩魂を露出しているあかるい頂、山の斜面にできた天然の水溜りのような湖、そうして、その中にねむっているいくつかの伝説――それが北八ヶ岳だ。言ってみれば、ドイツ・ロマン派や北欧の文学のもつ、あの透明で憂鬱な詩情に通じる雰囲気がある。八ヶ岳本峰のはげしい岩尾根の登高に、なにか喉がかわくような疲れを感じるようになったら、気の合った山仲間の小さなグループで好きなところに天幕でも張りながら、静かで大らかなこの森の山地を歩いてみよう。
さまよい――そんな言葉がいちばんぴったりするのが、この北八ヶ岳だ。
(「岳へのいざない」1958年)*本書旧版は1960年、創文社発行
著者・山口耀久
ところで著者山口耀久は、敗戦後間もなくから、八ヶ岳バリエーションルートの開拓と共に、時に一週間も北八ッの地に滞在し、文字どおり隈なく彷徨しているのだが、蓼科山から望月へと下ったりもしている。『北八ッ日記』によれば、八千穂大石から入山し雨池、八丁平、大河原峠までで三日遊ぶ。一日停滞の翌日、亀甲池、双子池を巡った後、再び大河原峠に戻った山口は、
――大河原峠からいつものように、ひろびろとした佐久の裾野の斜面を眺めていると、はるかに遠く、鹿曲の谷と八丁地川上流の唐沢のあいだに、カステラ色の草原がなだらかにひらけているのが目に入った。あそこに行こう! 地図をひろげて、峠から見おろす地表の細部をそれと照合しながら、ぼくと小島は、その遠い草地のひろがりに憧れを馳せた。
のである。
前掛山から蓼科山頂をピストンした山口は、前掛山北尾根を現在地名「虹の平」に向って下る。ここから右の尾根に入り唐沢へと降り、対岸の台地に目指す草原があった。1/25000地形図「蓼科山」では「望月高原牧場」の名が記される場所だろう。そこから目と鼻の距離の森の中に、今度の定例山行の宿泊地「望月少年自然の家」がある。下見山行の朝は、賑やかなカッコウの声で目が覚めた。
(2005年7月『やまびこ』No.100)
2013年10月発行・山と渓谷社
『アルプ』のことについては、また改めて記す機会があるだろうと思う。