火砕流
2010-06-03 | 雑記
現在の平成新山を形成した普賢岳の噴火は、1989年11月17日に活動を始めました。
そして、1991年6月3日。死者行方不明者43名と9名の負傷者を出す大規模な火砕流が発生しました。
その後も幾度と無く火砕流や土石流が島原半島を襲いかかり、1995年の4月に噴火活動を休止しました。
当時、私は中学生で火砕流により運動会が一時中断したことがあります。また、島原市内に買い物に行った時、大量の火山灰に覆われたこともあります。
19年経った今は普賢岳にも緑が生い茂り、島原半島もずいぶんと元気を取り戻すことができました。
自然の恐ろしさを肌で感じた大きな出来事でした。
「天災は忘れた頃にやってくる」
いつ何が起こるかわからない、という意識を常に持っておかなければいけません。
ほんと
言葉の通りだと思います。
火砕流という言葉とその危険性はこの時初めて知りました。
25年前の6月6日に雲仙へ夫婦で行っています。
恐ろしさを我々が後世に伝えていかなければいけませんね。