このところ、ありがたいことに温泉deビートルズ音楽祭ブログのアクセスがグーンとアップしています。
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ブログを書くものとしても、とても励みになります。
キーボードたたくだけなのですが、それなりに創意工夫をして、読みやすいようにと配慮しながら、この音楽祭を盛り上げようと努力をいたしておりまして・・・・。
そういう意味でも読者の皆様には、心より感謝申し上げます。
さて、今日はこの夏、避暑を兼ねて訪れた二泊三日の軽井沢、万平ホテルのご紹介です。
生前のジョン・レノンが1976年から4年間、毎夏、軽井沢に1か月ほど滞在していたことはよく知られています。
奥様のオノヨーコさんと、息子さんのショーンを連れてのファミリーバカンス
その折に常宿としたのがここ万平ホテル
そこで私はジョンレノン夫妻が泊まったとされる同じ部屋に、二泊の草鞋を脱いだのでありました。
蒸し暑い夏でしたが、軽井沢は別世界
エアコン要らずの三日間を気分よく過ごせたのでありました。
軽井沢には町の人と気軽に親しく付き合ったジョンのエピソードが今でも、街中のそこかしこに大切に残されています。
いっそのこと、ジョンレノン・トリビュート音楽祭でもやればいいのに・・・・って思いました。
1980年12月8日にニューヨークのダコタアパートの前で凶弾に倒れる少し前の夏、彼はここで静かな安息の日々を過ごしたのであります。
そのときよく弾いていたというピアノ
展示室に大切に保管されていました。・・・・調律はメチャクチャでしたけれど・・・・。
誰も居なかったことをいいことに、こっそりとImagineを弾いてみました。
ジョンもかって同じKeyを叩いたのだと思うと、胸がジーンとあつくなりました。
そんな軽井沢でのジョンのスナップが残されています。
石垣の塀がいかにも日本的ですね。
この帽子は当時かなりお気に入りだったようです。
軽井沢でギターを弾きながら、何を唄ったのでしょうね。
街中のパン屋さんに自転車でよくフランスパンを買いに行っていたそうです。
同じパンを買って味わいました。
ミーハーで申し訳ありません。ファンとはそういうものなのです。スミマセン。
これは珍しい着物姿のジョン
俳句をこよなく愛したといいます。ヨーコさんの影響でしょう。
でも、ここは万平ホテルではなく、小野家の別荘らしいのですが・・・・。
部屋には炬燵が用意されています。
日本びいきのジョン
ポールもジョージもリンゴも日本でコンサートを行っていますが・・・・
ジョンだけは4年間毎夏、1か月も滞在していたのに、コンサートはやりませんでした。
それが残念ですが、その日々が彼にとって静かな安息の日々であったのなら、それはそれで尊いことではあります。
そして毎日彼が立ち寄り、注文したというカフェテラスで、ロイヤル・ミルクティーを呑み
ジョンレノンへの想いをテーブルに刻みました。
いい軽井沢の宝石のような避暑の小旅行でした。
おしまい・・・・。