郷土の歴史と古城巡り

播磨 香山城跡  

  



▼ 香山城跡の全景                     




▼ 香山城跡の入り口の大歳神社

 



 香山城(こうやまじょう)は、宍粟市山崎町の南隣り、たつの市の北部新宮町香山にあり、大歳(おおとし)神社の周辺にあります。

 香山の地名は、播磨国風土記(奈良時代)に記され、古くから開拓された地で「かこやま」とも呼ばれていました。城跡近くに奈良・平安時代の香山廃寺跡があります。このあたりに霊水が湧き出て、湯屋ができ薬師湯として賑わっていたといわれます。



▼香山廃寺の説明板                  


▼ 播磨国風土記の香山里条 石碑

  


▼東からの鳥瞰  香山城域   by google          



▼南からの鳥瞰 通行の難所       by google

  



香山城跡のこと  たつの市新宮町香山

 姫路市から宍粟市山崎方面に来るには、林田(国道29号線)方面からと、この新宮町香山を通る方法の2つのルートしかない重要な交通の要所でした。また、その揖保川沿いの街道筋は山が狭まり、軍事上の要衝でもありました。 



▼地形図                          



▼ 香山城遺構図

 



 この山城跡は、大歳神社の背後にあり、北郭・南郭があります。はじめて訪れたときは、石垣群に圧倒されました。この周辺では類がないのです。しかし、この城跡は、地元の人たち以外に余り知られていません。

 誰が、いつこの城郭を築城したのか。文献が少なくはっきりしていません。後世に書かれた地誌『播磨鑑』や軍記物の『長水軍記』、『信長公記』などに出てくるくらいです。

 香山氏の最期は、長水城・篠の丸城の宇野氏と運命をともにし、秀吉軍の黒田官兵衛を迎え撃つが、敢無く落城し、落武者は長水城をめざしたという。江戸期になり、香山氏末裔がこの落武者の弔いのために建てた墓が、たつの市新宮町牧に残っています。  


 参考:『播磨新宮町史 文化財編』



アクセス



 香山の大歳神社に向かいます。神社は香島小学校の西北の山裾にあります。大歳神社の鳥居をくぐると、香山城の説明板があります。

 

▼大歳神社                         



▼香山城説明板




まるで城の大手門と見間違えるかのような防備をイメージした山門があります。頭がすれすれの石垣の狭い通路をくぐり、石段を登ります。



▼山門 




▼大歳神社 

 


  境内の石垣下に湯溝が流れていて、左右に「香山城北郭」「香山城南郭」への案内板があります。防獣フェンスを開けて、湯溝に沿って右に進むと、すぐに左の林の中に石垣群が見え始めます。



▼右手にある北郭の案内板                 




  大手であったと考えられる中心の道を北に進みます。右に左に棚状に広がる石垣の数は半端ではありません。



▼大手道に残る石垣群
    


 



 大きな真四角の掘穴があります。これは、ため池がわりに作られた新しいものだといいうことです。さらに進むと古墳があります。ドーム状に大きな石が積まれています。



▼古墳(横穴式石室古墳 6世紀末頃)

  


  左に進むと、石垣に囲まれた主郭である本丸があります。下には掘代わりの池(今はぬかるみになっています。)があります。この池には本丸の左横の谷川の水が流れ込むように工夫をしていたようです。



▼本丸                           


▼本丸の石垣

  



▼本丸下の石垣                      


  

◇ ◇ ◇ ◇



南郭について

 

  神社の左の南郭は、北郭に比べると区割りだけで、石垣も上部の一部に見られるだけで、まだ築城中の未整備であったものかそれとも別の用途で使われていたのかはっきりわかりません。北郭と南郭も共通点は古墳を守り神のように取り巻いていることです。




雑   感


  香山城は、香山氏という赤松一族の城郭としては大規模なものです。山城の多くは、平素は山裾の居館で過ごし、いざ戦いとなると山城に立て篭もりますが、この香山城跡の背後にある標高370mの尾根及び頂上部には、なんら人が手を加えたものがなく、家臣共々の屋敷曲輪を束ねた総石垣群の城郭は、中世の山城のスタイルとは違った造りになっています。南東向きの香山城は足元に広がる三角状の田園の先に掘り代りの揖保川があり、北面と南面は川に迫った山麓が関となっており、敵の侵入路が限定された自然地形にあって、石垣の城郭は、一族の結束を示す独特のもののようです。

 今は杉や雑木が絡みつく薄暗い林の中に、苔むした石垣群がたたずんでいますが、一つ一つの曲輪に館が建っていたであろう当時の様は、まるで山一帯の壮大なものだったに違いありません。



※大歳神社の山門内部の杉板には、古くからの落書きが残されいます。中には江戸期から水運で活躍した揖保川の高瀬舟がいくつか書かれています。


 ▼大歳神社山門内 高瀬舟の落書きの一部



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