郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

養蚕物語2「郡是製糸山崎工場」

2019-11-23 07:07:07 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
ぐんぜせいし
郡是製糸(株)山崎工場  宍粟市山崎町中広瀬(現在の宍粟市役所周辺)


【閲覧数】1,128件(2009.12.10~2019.10.31)





沿革と現況
明治36年元宍粟製糸(株)の設立に係るものを同42年買収、宍粟分工場と称して、営業せしも大正7年安志村より山崎町へ移転改装し現在に至れるものなり。
現在釜数  403
従業員数  700
購繭数量  1ケ年 240,000貫
生糸製造高 1ケ年 30,000貫
                       

「宍粟郡で従業員の最も多いのは、郡是製絲(株)山崎工場である。この工場の本社は京都府綾部市にあり、傘下に33工場ある。
原料 山崎工場購繭区域は、宍粟、佐用両郡を主とし、県内5市9郡よりなる広い地域より年間約4万5千貫を収納している。・・・
山崎工場 従業員 男子25名、女子135名、計160名 従業員は本郡出身者が大部分である。」とある。「宍粟1952 宍粟地方事務所編」より

1貫=3.75kg (尺貫法の重さの単位。1貫は1000匁(もんめ)、すなわち3.75キロで、明治24年(1891)から昭和33年(1958)まで商取引で用いられた。)

換算すると実に168、750kg 約169トン。あの軽い繭が169トンとは、凄い量が生産されていたことが、数字でわかる。
明治・大正・昭和にかけての一大産業 養蚕業を物語る写真です。当時の若い女工さんは、かなりの高齢になられているのだろう。

昭和36年12月 群是製糸山崎工場閉鎖、昭和38年この地に東洋建材操業開始

 

◆グンゼ(郡是)の社名由来
「郡是」の社名は、京都府何鹿(いかるが)郡蚕糸組合の組合長であった波多野鶴吉氏が、前年に、日本養蚕会会頭の前田正名氏を招いた演説会の際、前田氏が力説した「国に※国是、郡に郡是、村に村是の要あり」の言葉に由来するという。※国是は国民から支持を得ている方針や計画をいう。


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