郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

播磨 駒山城跡 2  

2020-02-19 10:16:00 | 城跡巡り
【閲覧数】860件(2017.9.24~2019.10.31)




播磨 駒山城跡 2  上郡町井上(いのかみ)・山野里


 赤穂郡上郡町の諸城の中で大聖寺山城と高田城が未踏なのが気にかかっていた。それらの探索を計画したとき、駒山城の登城に井上の登山道を歩いていなかったのを思い出し、登山仲間と駒山城から順次大聖寺山城跡(上郡町船坂)、高田城跡(上郡町高田奥)と登城していった。



▲主郭の東出曲輪から北部眼下を望む    



▲逆に千種川から南に向かって城山を望む




▲生駒山周辺図




▲駒山城図 上郡町史より (加着色)


駒山城について


 赤松一族の安室(やすむろ)氏が駒山城と西の大聖寺山城の城主であったと伝えられている。西の大聖寺山城に対して、この駒山城は小聖寺山城ともいわれている。

 この駒山城が文献に出てくるのは戦国期末期の天正6年(1578)とその少し前のものがあり、その頃備中の宇喜多直家が佐用郡と赤穂郡を領しており、領内に駒山城と八幡山城(赤穂郡東有年)等があった。駒山城は宇喜多家臣長船越中守、八幡山城は宇喜多家臣明石飛騨守と伝わる。

 天正5年(1577)羽柴秀吉の播磨侵攻時に宇喜多直家は毛利輝元に従い、これらの城を拠点に上月城攻めや秀吉軍が中世山陽道から船坂峠越えの備前侵入を防ぐ動きをしている。


参考:『上月合戦~織田と毛利の争奪戦~』、『近畿の城郭Ⅱ』


  

アクセス


生駒山の東麓の井上の登山口から登り始める。






▲井上登り口(いろは道)



 民家の間にある井上の登り口から登る。すぐに、右手民家の墓の背後に数段にわたり石積の屋敷跡らしきものを発見した。いきなりの感動というか心躍るものがあった。
登山道の左には古墳がある。


▼竹藪の中にの削平地と石積み





 
▲井上古墳の説明板                                                         ▲井上古墳



井上登山路(いろは道)を登りきると、羽山コースと出会い、頂上が目の前である。



▲登山道 

▲あと450mの案内板




▲羽山のコースと出会う。         



雑 感

 いきなり、屋敷跡と思える削平地を見つけたことが、今回の探索の成果!?であった。屋敷跡について書かれたものは見ていないので、本当に屋敷跡なのかは有識者の意見を聞いてみたいと思っている。屋敷跡がこの位置にあるのは主郭までが最短コースでベストだと思う。城への大手道は長い年月のうちに消え、近年に歩きやすい登山路が造られたのではなかろうか。

 城跡の周辺に古墳を目にすることが多々あるが、この場所は豊かな地であり豪族がいたのだろう。


【関連】
駒山城1

◆城郭一覧アドレス

最新の画像もっと見る

コメントを投稿