【閲覧数】1,857 (2016.6.23~2011.10.31)
宮本城砦群の中どころにある城ケ腰跡を紹介します。
▲宮本城砦群 大屋町史より
城ケ腰城跡 養父市大屋町宮本字城ケ腰
城ケ腰城跡は宮本川右岸に沿って北から南に張り出した尾根先端部(標高230m、比高40m)に位置する。城域は幅約50m長さ約150mあり、尾根筋上に築かれた単郭式の小規模な城跡である。
主郭は幅約9m、長さ約47mあり、両端に堀切を持つが、最初の堀切は幅13m、深さ6~7mと深く、背後のものは幅7.3m、深さ4m。東側と背後に3つの竪堀を備えており尾根筋の守りと東側面の防備を固めていることがわかる。
城主は不明。この城は南北朝期に築かれ戦国期に補強・改修されたと考えられている。この城の役割は宮本川上流の建屋につづく街道を押さえていたと考えられる。高取城とは谷を隔てて並びにあり、互いに連携をとりあっていたにちがいない。城ケ腰城と高取城の背後には宮本高城が控えている。
アクセス
宮本公民館から宮坂橋を渡って御井神社に向かうと神社の参道入口に鳥居がある。その対面の石垣の横の道が腰ケ城跡の登城口になる。
▲登城口 ▲上からの写真
坂を上ると小さな青色のお堂がある。そのお堂の手前のやや急な杉林を登っていく。
▲よく見るとお堂(札所) ▲お堂手前の杉林に這い登る
▲上部 ▲最初の曲輪跡
少し登るとこんもりとした曲輪跡に至る。そこからなだらかな尾根筋を50mほど歩くと堀切が現れる。かなりの深さだ。
▲先に堀切が見える ▲堀切
その堀切の上部が主郭である。
▲主郭から南西を見る ▲尾根が奥に延びる
奥行きのある主郭の背後にも堀切がある。
▲主郭背後の堀切(上部から) ▲堀切(堀切底から)
▲主郭の背後 尾根がつづく
雑 感
この城の比高はわずか40m。尾根の先端にたどり着けばあとは尾根を進むだけ。長くなだらかな尾根筋上に築かれた山城なので、堀切がなければ城跡だとまず気が付かないだろう。
あとから思い起こそうとしても、木々が生い茂り薄暗くただ細い尾根の距離を感じただけで堀切以外は印象が薄かった。
この城ケ腰城と並びの高取城は尾根先端の低い城、そのためこの2城を統括・補完する城「宮本高城」が背後に陣取っていることを後に知ることになる。
次回は、宮本城砦群のもっとも高い位置にある宮本高城を紹介します。
※参考:大屋町史
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