ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

013. 屋根からの訪問者

2018-10-29 | エッセイ

今年の夏は今まで経験したことのない暑さと山火事に見まわれた。
いつもの年だと八月の始めごろに一週間か十日ほどだけ、湿気をおびた猛暑に襲われる。
その間人々は窓を閉め、よろい戸も降ろし、外の熱気が部屋の中に入らないようにして過している。
その短い期間さえやり過ごすと、あとはヒンヤリと心地よい風が吹き始める。
そうなるともう扇風機さえいらなくなる。

ところが今年は違った。
七月末から八月半ば過ぎまで三週間近く毎日毎日、湿気と猛暑。
おまけに全国各地で大規模な山火事が発生して、猛暑にますます拍車をかけてひどい災害になった。

我家のベランダの東側には松林がまだ残っている。
その松の枝が毎年ぐんぐんと伸びておまけに下からの強風に押されて斜めになりベランダに迫っている。
もし火事でも発生したら、すぐに我家にも燃え移る恐れが大きいので、消火のために長いホースを買おうかとさえ思っていたほど。

防火のためにはこの松林は無いほうがいい。
でもこの松林は小鳥たちにとっては大事な場所なのである。
北側にある屋敷の松林はこの数年の間に雷が落ちたり、強風で松の木が折れて煙突が割られたことと、近くで火事があったりした後、一本残らず伐採されてしまった。
おかげで雀たちのねぐらがすっかり無くなった。
この周りでは我家のベランダの東側の松林だけが小鳥たちにわずかに残されたオアシスだ。

今年日本から帰ってきたら、南側のベランダの下に広がる草地は跡形も無く取り払われていた。
今はもう砂漠のように砂地がむきだしている。
風が吹くと砂がもうもうと吹き上がる。
困ったものだと思いながら、毎日見るともなく見ていた。

その砂地に毎朝誰かがパンくずを撒くようになった。
鳩が少しずつ集り始め、だんだんその数が増えている。
ある朝、買い物カゴと水の瓶を抱えてやってきた人がいる。
西側の三階の窓からいつも洗濯物を干しているおばさんだ。
彼女は前から置いてあったプラスチックの容器を軽く洗い、そこに新しい水をそそぎ、買い物カゴから取り出したパンくずを周りに撒いた。
パンくずの量もかなりのものだ。毎日の残り物にしては多すぎる。
パン屋の商売でもしているのだろうか?と思えるほどだ。

それをじっと見ている者がいた。
私の他にもう一匹いたのである。
ジョニ黒だ。フィリッパのとこで飼っているチビテリアである。
今朝はもう散歩に出されたらしい。
ジョニ黒はおばさんがいる間は遠くの方から見ていたが、おばさんが行ってしまうとちょこちょことパンくずの方へやってきた。
あまり食べる気もなさそうなのにクンクンと匂いを嗅ぎ、ひとつふたつ食べてからのそのそと立ち去りかけて、何を思ったのかまた戻ってきた。
そして今度はむしゃむしゃと本格的に食べ出した。
あれでは鳩の食べる分が無くなってしまいそうと私は心配になったが、そのうち食べるのに飽きたのかジョニ黒はどこかへ行ってしまった。
ジョニ黒のいる間、ちょっと離れた電線の上にじっと止まっていた鳩達が次々と降りてきた。
最初の一羽が決心して降りると他の鳩達もそれに続く。
その中に「パロマ」も混じっている。

パロマは私が名付けた白い鳩である。
今年の冬、雨が降り続いたある日の夕方、ベランダでバサバサという耳慣れない音が聞こえた。
窓を開けて見ると、一羽の白い鳩が片隅にうずくまって震えていた。尾の先だけが黒い。
まだ幼鳥らしく、身体も小さく痩せていた。それに左の羽が少し変だ。傷を負って弱っている。
「どうしよう、どうしよう」と私はうろたえた。
ビトシがダンボール箱を持ってきて、とりあえずその中に入れることにした。
白い鳩は二三度抵抗して逃げようとしたが
体力が無いらしく、なんとか捕まえて箱に入れ、部屋の中に置いた。
外に置くと傷ついた鳩は寒さで死んでしまう恐れがあった。
パンくずと水の入った容器とを箱の中に入れても、鳩はじっとうずくまったままで食べようともしない。
次の朝、少し元気がでたようでパンくずをちょっとだけついばみ、緑色の糞をした。
朝日の照り始めたベランダに箱ごと出して様子を見ることにした。元気が出たらどこかに飛んでいくだろう。
しかしその日は一日中、鳩は箱の中でじっとうずくまり、時々立ったりするだけだった。
その夜はまた部屋の中に入れて、次の朝もベランダに出した。
するとかなり元気を回復した様子でパンくずを食べ始めた。
そしてそのあとバサバサとぎこちなく飛び、ベランダの手すりの上に止まってじっとしている。
ひょっとしたら飛ぶのが恐いのかもしれない。
たぶん屋根の隙間に巣があって、そこからの初飛行に失敗してベランダの隅で震えていたのだ。

我家の屋根には様々な鳥たちが巣を作っている。
以前はツバメたちが子育てをしていた。
巣立ちの時期にはヒナたちがよたよたと飛行訓練をして、
そのまわりでは先生役の大人ツバメがチチッチチッと声をあげて指導をしていた。
「ツバメの学校」が開かれていたのだ。
鳥たちは巣立ちの時、難なくすんなりと空を飛べるものだと私は思っていたのだが、そうでもなさそうだ。
「ツバメの学校」をずっと見ていたら、上手下手の差がずいぶんある。
同じ様なヒナでも、最初からスイスイとスマートに飛べるかっこいいヒナと、恐怖心いっぱいでよたよたと失速してかろうじて木の枝にしがみついているドンくさいのもいる。
ツバメのヒナも一度ベランダに落ちてきたことがあった。
落ちた時のショックで目を回して意識朦朧としていたので、手当てをしようと思い柔らかい布を探しに奥に引っ込んでいる間に姿が見えなくなった。
下の道にも落ちていなかったので、たぶんどこかに飛んでいったのだろうと思う。

白い鳩はその次の日もそのまた次の日も我家にいた。
その白い美しい鳩に名前を付けた。「パロマ」(鳩)。確かピカソの娘の名がパロマだった。
ベランダにだすと手すりに止まりじっとして、時々羽を広げてバタバタとやる。
体力も回復して、そろそろ飛び立つ日が近いのかもしれない。
翌日、パロマはもういなかった。
私達は少し淋しい気持で、住人のいなくなった箱を片付けた。
とにかくよかった、よかった。

それから二日ほど経った。突然バサバサと音がして、キッチンの窓の外枠にパロマが止まっていた。
なんだかよたよたしている。また飛行訓練に失敗した様子だ。
パロマは鳩の中でもどちらかというとドジな部類に入るのだろうか?
窓の外枠で行ったり来たりしていたパロマはまたどこかへ飛んで行った。
その後、パロマの姿はアキリーノ広場の片隅で他の鳩たちと一緒にいるのを見かけた。
その中にはパロマとよく似た白い鳩が四羽混じっていた。
きっとパロマの両親と兄弟なのだろう。

砂漠のような空地にやって来る鳩たちは日増しに数が増えている。
その中にパロマの姿を見かける。真っ白で尾の先だけが黒いので、一目でパロマだと判る。
身体がひと回り大きくなったようだ。それに意外と気が強い。
パンくずを食べている時、自分よりも大きな鳩が近寄ってくると猛然と立ち向かっていく。
私はピカソの娘にあやかって「パロマ」と名付けたが、あの様子ではパロマはきっとオスに違いない。

東側の松林では山鳩が巣作りをやっている。
我が家のベランダに一番近い枝に巣があるので、その様子が手にとる様に見えている。
ベランダの屋根の上にも別の山鳩が巣を作り始めたらしく、毎日せっせと松の葉を口にくわえて運んでいる。
九月になると雨が降り始める。そうするとそれまで枯れ野原だった所がいっせいに緑に変わっていく。
小鳥の餌となる虫などもつぎつぎと発生して、子育てには絶好の季節がやってくるのである。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年9月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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