ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

141. 火事と干ばつ

2017-12-01 | エッセイ

 2017年、ポルトガルにとってこの上ないひどい年だった。

6月のペドロガオン・グランデとその周辺の村で山火事が発生。死者が64人。

最初、このニュースを聞いて、死者の人数にびっくりした。

山火事は毎年あちこちで起こるが、こんなに大量の死者がでたのは初めて聞いた。

場所が山の中なので、キャンプ場にいた人々が逃げ場を失ったのかと思ったのだが、そうではなかった。犠牲者は村の人々だった。信じられなかった。

村に火の手が迫って、人々はいっせいに乗用車に乗って村を逃げ出し、村の出口の一本道で惨事は起きた。両方をユーカリ林に囲まれた道で、人々は行く手を塞がれ、しかも両方から火の手が迫ってきたのだろう。そのうちの何台かが村の方に引き返そうとして、後続の車と衝突したりしてパニックに陥ったに違いない。焼け跡の画面では、クルマが正面衝突したり、相手のクルマに乗り上げていたりして、現場の大混乱の様子が見て取れる。ポルトガルのニュースでは犠牲者の個人情報はいっさい報道しないから、本当のところははっきりしないが、たぶん犠牲者は老人や女性たちが多かったのではないだろうか。みんなクルマの中で亡くなっていたらしい。むごいことだ。彼らがクルマで逃げずに、村に留まっていたら、犠牲者はかなり少なかっただろうと思う。でも現実的には周りに火の手が迫ってきたら、そこに留まるのは難しいのだろう。

実は我が家の周りでも火事が発生して、向かいのホテルの下を走る国道10号線のあたりから火の手が上がった。それが崖の葦に燃えついて、松林を燃え上がり、激しい火の粉が我が家の窓にも落ちるようになった。やがてあちこちからメラメラと炎が立ち上り、ホテルの下に迫って来た。いつでも避難できるようにリュックを担いでいたが、隣のウクライナ人がドアをどんどん叩いて、避難をした方が良いと叫んでいたので、いよいよかと決心を固めた。

駐車場にはほかのクルマは一台もなく、我が家のシトロエンだけがポツンと残っていた。いつのまにみんなどこに避難したのだろうと思いながら、近所の人々が固まっている間を抜けて坂道を下って行った。近くにどこか駐車できる場所を探したが、どこにも見当たらない。ここで逃げ惑うクルマなどがひしめいていたら立ち往生して危なかったかもしれない。幸いそんなこともなく、どんどん降りてボンフィム公園あたりにクルマを止めた。そこからも山の上にあるホテルや我が家付近がよく見える。かなりの勢いで燃えているが、幸いなことにホテルもその周りの家なども延焼をまぬがれているようだ。

それから家の様子を見ようと近所まで戻ったが、ずっと手前で規制線が張られて通れない。その晩は下のルイサトディに面したホテルに一泊した。翌日は規制線も解かれ、家の中に入れた。廊下の階段には灰がたくさん積もっていた。どこから入ったのか判らないが、これが木造の一軒家だったらきっと燃えていただろう。6月の出来事だった。

10月15日、また山火事が発生した。

今度はダオン地方。コインブラの東にある町や村が次々に燃え上がった。

毎日ニュースを見るたびに、ここもあそこも~と、火事が発生した。

その時はアソーレス諸島に大きな台風が接近して、その威力は本土にも影響して、強風が吹き荒れた。しかしこの火事の広がり方は信じられない。強風に紛れて誰かが放火しているように、次々と発生した。

今年は6月からずっと雨が降らない。いつも9月になると雨が降り始めるのに、今年は雨は一切なし。9月になると農家は耕運機で畑を耕すのが恒例だが、今年は毎日晴天続き、毎日真夏日が続いて、ビーチはいつまで経っても大賑わいだった。それが10月に入っても毎日晴れ。そして10月15日、山火事がとうとう発生した。10月に山火事とは、今まで聞いたことがない。

毎日のニュースでは次々に燃え広がる火事と並行して、水不足を伝え始めた。川の水が少なくなり、ダムの貯水量も日増しに減り、あちこちのダムの底が見え始めた。

アレンテージョ地方のオリーヴ畑では、乾きに強そうなオリーヴの実がしわしわに干からびそうになっている。

11月になってもまだ雨が降らない。例年なら嵐が来て、洪水被害が出る季節だが、降らない。どうしたことかドイツとポーランドなどが洪水に見舞われた。

今日は11月23日。数日前から強風が吹き荒れた。恐ろしい様なすごい音が続いたが、それは雨を伴わない嵐で、翌朝外を見たら、道路はぜんぜん濡れていないのでがっかりした。「いい加減にしてくれ」と言いたかった。

雨不足でドウロ川、テージョ川、グワヤキル川、などの水が減り、あちこちのダムの水位は通常の10パーセントしかなく、ダムの底に沈んで今まで見ることのできなかった古い石橋などが、古代遺跡のごとく姿を表している。

そして枯れかかったダムに対策が講じられた。それはボンベイロ(消防団)が水に余裕があるダムから水を汲み上げて、底をついた別のダムに運んで放水するということを始めた。ひと晩中かかって50数台で運んだらしい。あっけにとられるアイデアで、スズメの涙ほどの効果しかなかっただろうと思った。ボンベイロも大変だ。5か月以上、あちこちの山火事の発生を必死で消し止め、へとへとに疲れているうえに、ダムからダムに水を運ぶ仕事~。

そして24日、やっと雨が~。ぼそぼそと降り始めた。しかし期待した大雨にはならず。これではほんのお湿り程度しかない。

もう今頃は山にキノコが次々と顔を出し始めるころだが、この雨では無理だろう。

今年は6月から次々に山火事が発生し、フンダオンのセレージャ畑もかなり燃えてしまったらしいし、ブドウや栗畑もかなり燃えた。

来年2018年は値上がりが必須だ。今日のニュースでは来年1月からパンとプロパンガスの値上げ。いったいどうなるのだろう。MUZ

 

 ポルトガルのえんとつ MUZの部屋 エッセイの本棚

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 140. 南蛮船大集合 | トップ | 142. セトゥーバルのクリス... »
最新の画像もっと見る

エッセイ」カテゴリの最新記事