ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

014. バガボンドのように

2018-10-30 | エッセイ

 セトゥーバルには「サン・フィリッペ」というお城がある。
 そのうしろにはアラビダ山が見える。
  夕陽は毎日アラビダ山のうしろに沈み、雨雲はアラビダ山の向こうから、まるで煙のようにモクモクと湧いてくる。

  アラビダ山は石灰岩の塊だ。
 すそ野には無骨なセメント工場が張り付いて、せっせとアラビダ山を削っている。

  頂上にはアラビダ修道院がある。
  今はもう修道院としては使われていないが、数年前、セトゥーバルに住む画家達が招待されて修道院を描く企画が催された。
その時初めて私達は修道院の敷地や内部をじっくり見ることができた。

  山の斜面を切り開いた広大な敷地には教会を中心に大きな建物がいくつもあり、自給自足のための畑や果樹園もあった。
  その周りの崖の道を歩いて行くと、人一人がすっぽりと入れる小さな小屋があちらこちらにぽつんぽつんと隠れるようにあった。
修道僧たちがそこにこもって瞑想をした小屋である。

  そこからははるか下の方に大西洋が見える。
  晴れた日には真っ青な海、早朝には真っ白な霧があたりを埋め尽くし、まるで雲海のようになる。
世俗を離れて修業と瞑想に励む修道僧達が住むにはもってこいの場所だっただろう。

  アラビダ山は石灰岩の山、洞窟なども多い。
  その洞窟に一人の男がもう二十数年間も住み着いているというニュースを見た。
六十歳代のその人は一匹の犬と一匹の猫、十二匹のカタツムリと一緒に洞窟の中で暮らしている。

  洞窟の入口には家の番地が張ってあったりして、余裕というかユーモアというか…。
壁には掃除用の箒などがきちんと掛けてあり、男の身なりもこざっぱりとしている。
どこから見ても普通の農夫にしか見えない。
ただし、二十数年間も洞窟に住んでいるというのが変わっている。

  案外と洞窟暮らしは夏涼しく、冬暖かくて、過しやすいのかもしれない。
でも冬は雨や嵐が多いし、何といっても山の中である。
下界に住んでる私たちの部屋でさえ、冬の雨の日などはしんしんと底冷えがするほどだから、きっとアラビダ山は寒風が吹きすさぶことだろう。
それでも長い年月洞窟暮らしを続けてきた精神力はすごい!
まるでアラビダ山の仙人みたいだ!

  アラビダ山の仙人に負けず劣らずの男を一人知っている。
私たちの友人の大きなキンタ(農園)で畑の世話をしている男だ。
彼は近所のドイツ人のキンタの世話をしていて、いつのころからか友人のキンタも手伝い始めた。

  彼もそうとう変わっている。
というのは、ドイツ人の敷地内に彼用の小屋を与えられているのに、家の中にはほとんど住まず、庭の片隅に小さなテントを張ってそこに寝泊りしている。
雨が降っても風が吹いてもテント暮らしが好きらしい。
友人のキンタに手伝いに来ても、やっぱり庭の隅っこにボロボロのテントを立てている。

  家も家族も財産も持とうとせず、それを気にかける様子はさらさら無い。
何もよけいな物を持たず、身体に贅肉も付かず、澄んだ目をして、素朴で明るい。

  彼らのような生き方をする人は昔からいた。それを「バガボンド」と呼ぶ。
普通の生活をしている人たちからある種のあこがれを込めて、昔からシャンソンなどでも歌われてきた。

  でもなかなか彼らのようには実行できない。
それを淡々と実行している彼らは一種の修道僧か、仙人ではないかと思えてきた。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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