ダム湖に新しく掛けられた、とても長い橋を渡って、モンサラーシュへの道へ右折したとたん、トラックが故障して止まっているのが見えた。
運転手がこの暑い中、汗だくで修理をしている。
このところまた猛暑がぶり返して、気温は40度はあるかもしれない。
「気の毒に…」と思いながら、脇を通り、モンサラーシュへ上って行った。
お城へ登ったり、土産物屋で買物をしたり、ギャラリーにリメイクされた教会で「ダム湖」をテーマにした写真展を見たりして二時間余りを過ごした。
モンサラーシュを出発したのは午後4時前。
新しく出現したダム湖の景色に目を奪われながら、急勾配の坂道を下り、下りきった所で写真をもう一枚撮ろうと車を停車した。
その時ちょっと変な音が聞こえた。
「あれ!変やなぁ?エンジンを切ったはずはないのに、切れてしもうた…」
ビトシが首を傾げながらエンジンキーを回した。
でもどうしたことか「グルルン、グルルン~」という音ばかりで、いっこうに始動しない。
「そんな~」
二人とも半信半疑で、何度もキーを回したけれど、何回やってもダメ!
ガソリンはたっぷり入っているし、どこかにぶつけたわけでもないし。
ただちょっと一時停止をしただけなのに。
新車を買ってまだ4年しかたっていないし、これまで一度も故障などしたことがなかった。
しかも、2ヶ月前に2万キロの定期点検を済ませて、そのあと車検も受けて合格したばかりである。
さっきまで快調に走っていたこの車が…。
いったいどうしたことだろう?
坂はまだわずかに続いている。下り坂を利用して車を動かしたらエンジンは始動するはずだ。
そろそろと下って行った。でもエンジンはかからない!
さっきモンサラーシュへ行く時に右折した交差点の近くまで来た。
そこには故障したトラックがまだ停まっていて、BPのガスボンベを積んだもう一台のトラックの運転手が修理を手伝っていた。
二時間前に、「こんな暑い日に車が故障して修理とは、気の毒に…」と思いながら、私たちは横を通り過ぎたのだった。
ところが、同じ災難が同じ場所で私たちの上に降りかかってきた。
エンジンのかからない、クーラーの入らない車の中でしばらく呆然としていた。
「こんなことがあっていいもんだろうか?」
トラックの修理をしている男達も時々こちらをけげんな顔で見ている。
湖のほとり、景色の良い場所なのに。故障とは情けない。
外に出ると照りつける太陽と、熱せられたアスファルトの照り返しとでダブルパンチの暑さ。
そのうえ、交通量が少ない道なのに、なぜか車が次々にやって来る。
みんなそろそろと徐行しながら、「何ごとか?」と身を乗り出して私たちを見ながら通り過ぎて行く。
「どうしたのか?」と声をかけて手助けをしてくれるような人は全然いない。
それどころか、「こんなとこに停まってなにしてるのよ!」と怒鳴りながら走りすぎる女も一人いた。
あわてて三角形の蛍光版を出した。気が動転してそんなことも思いつかなかったのだ。
これでは怒鳴られてもしょうがないか…。
しばらくして、トラックの修理を手伝っていたBPガスの男がやってきて、「いったいどうしたんだい?」と声をかけてくれた。
そしてボンネットを開けてあちこち見てくれたけれど、原因が判らない。
運転席のメーターのところに鍵のマークが赤く点滅している。
どうもこれがあやしいのではないかとビトシも最初から気付いてはいたのだが、それをどうしたら解除できるのかがどうやっても解らない。
「スペアキーを持ってるかい?」
スペアキー…車を買った最初のころはいつも持っていたが、キーを失うことは考えられないし、バッグに入れるとかさ張るので、いつのまにか持って出なくなっていた。
まさかキーが故障するとは考えもしなかった。
BPガスの男は、「自動車保険の会社に電話をするほうがいいよ」と言う。
「事故でもないのに保険会社が来てくれるのかなあ?」
日本でも事故は一度も起こしたことがないし、「保険会社というものは事故後の処理をするのではないのかな。この場合は故障だからたぶんだめだろう」
この時はそういう判断をしてしまった。
事故ではなく故障だから、ACP(自動車クラブ・日本のJAFのような団体)に携帯で電話をかけてみた。
すると車のナンバーや会員番号など質問され、最後にこちらの携帯電話の番号を尋ねてきた。
日本から持ってきた携帯電話は外出するときはいつも持って出るのだが、それは日本の家族からの緊急連絡用なので、相手から番号を聞かれることはほとんど想定していなかった。
だからうかつなことに、自分の携帯電話番号を言えなくておたおた。
苦肉の策で、いったん電話を切って携帯の中に記録してある自分の番号をメモに取ってからふたたび連絡。
すると今度の質問は、「場所はどこですか?」
「モンサラーシュの上り口のところ…」
とっさの場合これぐらいしか出てこない。いったいこの道は何号線なのか?
地図はどこ、どこ!と慌てふためく…。
電話の向こうでは「だれかポルトガル語を話せる人はいませんか?」と言う声。
あ、いたいた!
「セニョール、ポルファボール!」(すみません。お願いします)
BPガスの男がさっそく電話を代ってくれて、「レゲンゴスからモーラォンに行く道からモンサラーシュに曲ったところだよ」と説明するけれど、電話の相手はリスボンだから、遠く離れたモンサラーシュ周辺の地理は分らないらしく、BPガスのセニョールは何度も何度も説明をさせられている。
ポルトガル人どうしでもこれだから、私にはとても無理…。
ACPの事務所のパソコンに、会員がどこから電話をかけているのか瞬時に探せるソフトを設置してほしい…と切実に思った。
それでもなんとか、30分ほどあとに修理の車が来てくれることになった。
BPガスのセニョールにお礼を言うと、彼は「やれやれ…、頑張ってな」と言って
モンサラーシュの方へ登っていった。彼はプロパンガスを配達している途中だったのだ。
故障したトラックとそれを手伝っているBPガスの配達車、そして動かなくなったシトロエンサクソ
それから30分、そして1時間が過ぎた。
故障していたトラックはどうにか自力で修理ができたらしく、よたよたと走り去り、私たちだけが動かない車と一緒にその場に取り残されてしまった。
他の車もほとんど通らなくなり、あれだけ照りつけていた太陽もかなり傾いて夕暮れの気配が漂ってきた。
ACPに何回電話しても留守番電話のテープが流れるだけ。24時間対応のはずなのに…。
もう覚悟を決めなければならない!
モンサラーシュまで歩いて登ったら泊まる宿は見つけられるだろうし、レストランもあるし、でも車では5分の道のりでも、歩いたら30分以上かかる。
いや、曲がりくねった登り坂の道だからもっとかかるだろう。
わ~、考えただけでぐったりと疲れる!
それとも車の中で一晩過ごすことになるだろうか…。
どっちにしてもひどいことになってしまったものだ。
それからしばらくして、レッカー車が一台現われた。
道を左折してこちらの方へやって来る。
「あっ、あれやないんかな?そうや、そうや!」と、ビトシが叫んだ。
やっと修理の車が来てくれたのだ。
「メウデウス(神様)!」これで助かった!
レッカー車から降りてきた男は、ACPから委託を受けているレゲンゴスの会社から来たという。
男はさっそく車のボンネットを開けてあちこちいじっていたが、どうも原因が分らないらしく、どこかに電話を何度もかけて相談している。
結局、今日はもうどこも仕事を終ってるから修理はできない。これからレゲンゴスまで車を運んで明日の朝レゲンゴスのシトロエンの修理工場に持って行こう…ということになった。
今晩のホテル代はACPから出るという。
「えっ、ホテル代を出してくれるの?」
「シーン、シン、もちろんだよ。車を降ろしたあとで、俺が知ってるホテルに案内するよ」
「でも明日は土曜日だけど修理工場は昼までしか開いてないでしょう?」
「えっ、明日は土曜? 土曜は全然開いてない。休みだ!」
ギョ! ということは今日の晩、土曜の晩、日曜の晩と3泊もして、月曜日まで待たないといけないことになる。
「とにかくレゲンゴスに行こう。」
男はレッカー車を操作して故障した車を荷台に乗せて、私たちは男の横の助手席に乗り込んで出発した。
猛スピードで運転しながら、片手でハンドル、片手で携帯を持って電話しながら、あげくの果てはもう一方の手でメモを取り始めた。
ということは、ちょっとの間だが両手を放して運転しているのだ。
ぞ~、何ということ!
男は携帯で喋りっぱなし。
その合い間に横を向いて私たちに話しかけてくるから、対向車が来るたびに私はドキッとするのだが、彼は難なくすりぬけて行く。うまいもんだ!
電話の間にACPの誰かと話がまとまったらしい。
「修理は月曜日にしかできないから、車はレゲンゴスの俺の会社の車庫にあずかって、修理が終ったらセトゥーバルの自宅まで届けるよ。タクシーを手配したから家までそれで帰るといいよ」
「えっ、タクシーでセトゥーバルまで? 3時間もかかるけど?」
「シンシン、タクシー代はACPで持つから心配ないよ。誰でもそうしてるよ」
びっくりした!ACPはすばらしい!年会費9千円ほどである。入っててよかった~。
レゲンゴスの町外れに彼の会社はあった。レッカー車が別に一台ある。
その脇にまるでぐちゃぐちゃに叩き潰したような、原型をまったく留めない車が三台置いてある。
悲惨な事故の結末だ。
私たちの車はさっそく車庫に入れて、タクシーを待つ間に経営者がビールをどうかと勧めてくれた。
でもビールよりは水、冷たい水がガラガラに渇いたのどを通って、私たちはやっと生き返った。
レッカー車から降ろされ車庫に入る我が愛車
タクシーがやって来た。マツダの8人乗りのワゴン車。運転手は初老の温厚そうな人。
お世話になったレッカー車の男と経営者にお礼を言って、タクシーに乗り込んだ。
これでなんとか家に帰れる!
あたりはもう薄暗く、太陽の残照が空にわずかに光っている。
町を出ると、初老の温厚そうなタクシードライバーは静かにそして急激にスピードを上げていった。
周りの景色が矢のように吹っ飛んで行く。緊張~!
口の中がカラカラに張り付いてしまった。
エボラを通り過ぎて、あれもこれも通り過ぎて、高速の入口もあっと言う間に後ろに飛んで行った。
高速道ではない、普通の国道をまるで弾丸のように突き進む。200キロぐらい出ているのでは?
あたりはもう真っ暗。対向車がひっきりなしにやってくる。
前を走る車のテールランプが見えたと思ったら、すぐに追いついて、すいすいすいすい追い越して行く。
私もビトシも手に汗を握り、必死で前を見ていた。
初老のドライバーは決して危ない追い越しはしない。猛スピードだが、すごく冷静な運転をする。
でもすれ違う対向車も同じくらい猛スピードなので、ビュン!という風圧が凄い。
まるでTGVか新幹線に乗っているような感じだ。
ポルトガルは交通事故がすごく多い。TVのニュースでも事故の場面が毎日のように映しだされるが、車はもう原型を留めず、ぐしゃぐしゃのスクラップ状態。
みんながこんなに猛スピードで走るのだから、いったん衝突すると悲惨な結果になる。
レゲンゴスでついさっきみた三台の事故車の姿が眼の前にチラチラした。
超高速スピードで走った結果、3時間かかる道のりが2時間ほどで無事に家に帰りついた。
初老のドライバーはありあわせの封筒を出して、「そこに名前だけ書いてください」と言う。
やっぱりACPがタクシー代を払ってくれるのだ!
お礼にチップを渡して「気をつけて帰ってね」と、私は心底から言わずにはいられなかった。
彼はまた今来た道を猛スピードでレゲンゴスまで帰っていくのである。
次の日、土曜日はメルカドにも行かず、家でぐったりしていた。
月曜日に車を届けてくれるのをじっと待つしかない。
日曜日、朝9時、電話が鳴った。
リスボンのACPからで、「今から車をお宅に持っていきます」という。
レゲンゴスからいつの間にかリスボンに運んできていたのだ。
ということはもう修理が終ったから我家まで持ってくるということだろうか?
修理工場は月曜日まで開かないと言っていたけど、緊急にしてくれたのだろうか?
それから一時間ほど経って、レッカー車がやって来た。
私たちの車、シトロエンサクソを降ろしてエンジンをかけようとしたけれど、かからない。
故障はまだ全然直っていなかった!
私のスペアキーを差し込んでもまったくダメ。
故障の原因はキーではなかったのだろうか?
レッカー車の運転手は首を傾げながら、帰ってしまった。
「シトロエンの修理工場へ持っていったほうがいいよ」と言って。
明日シトロエンに持って行くのに、またレッカー車を頼まないといけない。
ACPとは別に、ボナンザの車の保険にも加入している。
これはまさかの交通事故のためにもうずいぶん前から入っている。
ひょっとしたら車の故障にも対応してくれるかもしれない…。
月曜日の朝、ボナンザに電話してみた。すると30分後に我家の前にレッカー車がやってきた。
故障の原因を一応調べてくれたが、やっぱりエンジンはかからない。
助手席に同乗してシトロエンのガレージへ行った。
レッカー車の運転手はシトロエンには顔なじみらしく、手馴れた様子で奥まった場所に私たちの車を降ろしてスタッフに簡単な説明をしたあと、帰っていった。
これでもうすぐ故障は直るだろう…。
ところが30分待っても一時間経っても直る様子がない!
いったい何が原因の故障だろうか?
しばらくして私たちに車を売ったセールスマン、ヴァルがやってきて、「部品がここにはなくてリスボンから取り寄せないといけないから、たぶん夕方までかかると思うよ。修理ができたらお宅に電話するから」ということで、家まで送ってくれた。でもその日はとうとう電話はなかった。
次の朝、ヴァルから電話があった。
「部品はリスボンにあるけど、値段がかなりする。
780ユーロ(105300円)もするけどどうしますか?」
「うう~ん、どうしますかと言ったって~、とにかくそっちにいくから」
タクシーで駆けつけて、修理のスタッフに説明してもらった。
故障の原因は電気系統の司令塔、一番重要な頭脳にあたる部品の故障だという。
ボックスごと取り替えて、工賃などを加えて780ユーロになる。
たんなるキーの接触不良ではなかったのだ!
これではスペアーキーをあの時持っていたとしても、全然関係なかったことになる。
それにしてもずいぶん高い!
「なんとか安くできないの?」
スタッフも私の抗議をもっともだと思ったのか、上役に相談に行って100ユーロ近く値引きしてくれることになった。
結局、それから部品をリスボンから取り寄せるから、修理が終るのは明日の午後遅くになるという。
私たちはタクシーを呼んですごすごと家まで帰った。
次の日、午後3時過ぎ、またタクシーを飛ばしてシトロエンに行った。
町からかなり離れたところに工場があるから、行ったり来たりにタクシーを使わなければどうしようもない。
修理はすでに終っていた。
ところがこれからひと悶着が起きた。
会計で請求されたのが880ユーロ(118800円)である。
昨日聞いた値段とかなり違う。
猛然と抗議すると、ぐったらぐったらとなにやら説明をして「これは正当な値段である」と主張する。
これはたまったものではない!いったい昨日の金額はどうなるの?
会計係りは整備の男を呼びつけた。
すると整備の男は上司と二人で、昨日自分たちが決定した金額の正当性を激しく主張して頑として譲らない。
彼等は私たちの味方だ!
でも会計係りも頑固に自分の計算を主張して、どうも意地になっている感じだ。
私はヴァルを探して連れてきた。
「一度お客に金額を提示した次の日にもっと払えとはどういうことか?二ヶ月前に定期点検をしたばかりなのに故障したのはどういうことか?しかも走行距離が2万キロにやっとなったばかりだ?」
ビトシがとうとう切れた!
ヴァルは分ったような分らないような曖昧な顔で会計係りと話をしていた。
会計の男は社長かだれかに電話をしていたが、話がまとまったのか金額の計算をやり直して合計を出した。
661ユーロ(89235円)
「今度の故障は今までもよくある故障なの?」
「いや、初めてのケースだ、だから部品もリスボンから取り寄せたんだ」
「だったら欠陥車じゃないの?普通に走っていて何の前ぶれもなく突然故障するなんて…」
「いや、そんなことはない。ただ、運が悪かったんだね。当たり外れがあるから」
部品に当たり外れがあるなんて、当然のように言われたらお客としてはどうしたらいいのか?
あたりはずれた欠陥部品は無料で交換するべきではないのだろうか?
「まるでトトロット(サッカーくじ)みたいね」と私は皮肉を込めて言ったのに、
「いやー、まったくそのとおりだよ。トトロットだよ~」
「ワハハハ~」
会計係りもヴァルと一緒になって大笑い。
これで一件はごまかされて、落着してしまった。
MUZ
©2004,Mutsuko Takemoto
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(この文は2004年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)