ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

011. 窓からの眺め

2018-10-26 | エッセイ

 日本から二ヶ月ぶりにポルトガルの家に帰って驚いた。

 窓の下に確かにあった草地がすっかりなくなっていた。
 日本に帰国するころに咲き始めたエニシダの黄色い花が草むらの中に咲き残っているだろうと期待していたのに。

 草地全体がブルドーザーで根こそぎ取り払われ、すっかり整地されている。

 ここに引っ越してきた時からこの草地の歴史を見てきた。
 一本の松の巨木が大きな枝を四方に広げ、近所の子供たちがその枝にロープを掛けてブランコを作り、順番を決めるのに大騒ぎをしていた。子供たちの格好の遊び場を提供していた松の古木だった。
 ところがある年の冬、数日間吹き荒れた大風の次の朝、松の古木は根元からバックリと割れて、倒れた大枝が横にあるガレージの屋根を直撃して割っていた。

 それから間もなく、その古木は株だけ残してすっかり切られてしまった。
 子供たちのブランコも無くなった。
 そして雀の大群の中継地点も失われた。
 夕方になると雀の大群がどこからか現われていっせいに松の古木に止まってチュンチュクチュンチュクとかしましくさえずり、それからねぐらへと帰っていった。
 それは早朝と日没前に毎日繰り返されていたが、松の古木が無くなったあと雀たちはどこへいったのだろう。

 でも良いこともあった。
 松の古木が枝を広げていたせいで、その脇に建つマンションは東向きなのにすっかり陰になっていたのだ。それが一気に解決して朝の太陽がいっぱいに降りそそぐようになった。
 松の古木の下に広がる草地も日当たりが良くなったおかげで、草花がぐんぐんと勢いをつけて様々な花が咲くようになった。

 一人の老人は草地を耕して畑を作り、野菜を育て始めた。
 ポルトガルでは九月ごろから雨が降り始め、それと同時にいっせいに緑が芽吹きだす。
 あたり一面枯れ野原が、勢いを増した緑の草にどんどん占領されていく。
 メルカドに野菜の種類が豊富になるのもこのころだ。
 老人の小さな畑でもポルトガルキャベツや豆やトマトなどが採れた。
 でも数年後、畑の主の姿は見えなくなった。
 二人の息子達が畑の最後の収穫をして大きなカゴいっぱいのトマトを持って帰った。
 それ以来、畑は世話する人もなく、しだいに草にまかれて判らなくなった。

 夏になると枯れ果てた草むらには小さなカタツムリがびっしりと付き、近所の人たちがやって来てビニール袋に採って帰った。
 カタツムリに一週間ほど断食をさせてから、ハーブと一緒に茹でてから食べるそう。
 カタツムリはなかなか美味だが、あのツノを見るといけない!
 お皿の上でツノを出した姿を見てから、私は苦手になってしまった。

 今年の三月末ごろは草地に今までにないほど色々な野草の花が咲き乱れた。
 「わざわざ遠くの郊外まで行かなくても、家の窓から野草の花畑が見られる!」と喜んでいた。
 ある日、いつものように草地を見ていると、なんだか見慣れないものを発見した。
 緑の草むらの中に白いものがボッとひとつあった。
 目をこらしても何だか判らない。デジカメを取り出して望遠で見た。
 それは白い大きな花、カラーの花だった。
 ポルトガルでは「ジャーロ」と言うらしい。湿地などで自生している。
 でも今までこの草地で見かけたことは無い。
 いつの間にかどこからかやって来て、ひっそりと育っていたのだ。
 それから一週間ほどして二番目の花が咲いた。
 このぶんでは来年はもっと花をつけるだろう。

 黄色いエニシダも株がだんだん増えて三株にもなった。
 この草地も少しずつ賑やかな花畑になっていく…、と期待しながら日本に帰国した。

 ところがポルトガルに帰ってきたら、草地は全て削り取られてまるで砂漠のように砂ばかりの光景になっていた。
 いつも近所の猫が日向ぼっこをしていたわずかに突き出た岩まで無くなっている。

 いったいこの後は何になるのだろう。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
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(この文は2003年7月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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