ポルトガルではゴボウは見かけない。
リスボンの中華食材店でたった一度だけ見かけて、飛び上がって、さっそく買った。
それは日本で売っているゴボウと違って、1メートルほどもある長いゴボウだった。キンピラやかき揚げにしたら、香りも強く、日本のゴボウと同じ様に美味しかった。でも売っていたのはその時たった一度だけ。店の人にゴボウは仕入れないのかと尋ねると、「ゴボウ?」と不思議そうな顔をしていた。日本語でゴボウと言っても通じるはずはないのだが、あいにく中国語のゴボウという言葉は知らないので、身振り手振りで説明したのだが駄目だった。
ゴボウを売っているのはその時だけだった。中国人はゴボウを食べる習慣がないのだろうか?
パリに行った時に、ノルマンデー地方を旅した。
ミレーの生まれ育ったグリュシー村を訪ねた後、シェルブールの美術館に行った。ミレーが絵を描き始めた土地なので、若いころに描いた作品のコレクションがかなりある。
その一角に100号ほどの静物画がかかっていた。それはミレーの作品ではなかったが、野鳥や野菜などを詳細に描いている。その中に「おや?」と思った野菜があった。ゴボウそっくりの、しかしかなり短いものだったが、この静物画は食べられる物ばかりを並べているはずだから、19世紀のフランスでも食料野菜だったのだ。
リヨンに行った時のこと、町角に朝市が出ていて、チーズやソーセージ、新鮮な野菜などが山のように並べられていた。その中で、黒いススダイコンの隣に、黒くて短いゴボウの様なものが並んでいた。
シェルブールの美術館の静物画に描かれていた、あの野菜とまったく同じものだった。19世紀と同じ様に、現代でも食べ継がれているのだ。
その時は、すぐにでも買いたかったが、ポルトガルに帰宅するまでまだ数日あるので、買ったとしても持ち歩けないと思って、諦めた。
その後、またパリに行った。その時はモンパルナスのブールデルの美術館に入る前だったが、すぐ近くに大規模な朝市が出ていて、わくわくしながら端から端まで見てあるいた。パリは朝市がいろんな場所で定期的に開かれるが、モンパルナスの朝市は初めて。その中に、リヨンの朝市で見かけたゴボウの様なものが並んでいた。
次の日にポルトガルに帰宅するので、絶好のチャンス。ひと束、5ユーロ、さっそく買った。買ったはいいものの、すぐに美術館に行くのに野菜をぶら下げて入館するのは気がひける。近くの量販店でメッセンジャーバッグを買って、それにゴボウモドキを入れた。これで美術館にどうどうと入れる。
翌日ポルトガルの我家に戻って、さっそくゴボウモドキを調理した。まず皮をむき始めたが、白い粘液が出て、手にベタベタと引っ付いて手に負えないほど。水にさらして、ようやくなんとかなりそうな状態になった。
短冊切りにしてキンピラ風とかき揚げを作った。ゴボウの香りもまったくせず、どちらかというとジャガイモのかき揚げ風の味わいだったので、かなりがっかりした。
このごろポルトガルのスーパーでも白いダイコンが時々売っている。でもゴボウだけは目にしない。
ゴボウは日本に帰国した時の楽しみに取っておくことにした。
ところで、野草の花をあちこちに見に行くことが多いが、初めて見る花も時々あって写真に収める。でもそういう珍しい花はだいたいポツンと咲いていて、よそではほとんど見かけない。名前も判らないからどうしようもなく、アルバムの片隅に追いやられた状態になっている。何年か経ってから、他のサイトにその花の写真を偶然発見して、そこでようやく名前が判明する。
そんな花のひとつが「トラゴポゴン」という変な名前だとこのごろ判った。名前も変だが、花も変った形をしている。尖ったガクが四方に伸び、その中心に小さな花がある。
トラゴポゴンの花
さっそく「トラゴポゴン」をネットで検索してみたところ、あっと驚いた。和名がバラモンジン、セイヨウゴボウ、そして英名がパープルサルシファイ、または単にサルシファイという。そして仏名がサルシフィ。フランスとイタリアで16世紀に栽培され始め、根と若芽はサラダやスープの具として利用され、味が牡蠣の風味があるということから「オイスタープラント」とも呼ばれる。
「サルシフィ」?
あのモンパルナスの朝市で買ったゴボウもどきは、その時撮った写真を改めて見たら、値札に同じ名前が書いてあった。
この奇妙な花の根があのゴボウもどきだったのだ!
これでようやくあのゴボウもどきの正体が判って、ほっとした。
MUZ 2015年1月1日
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