・「いまどこに?」「天神裏の珈琲屋」きみと重ねるスピーチ・バルーン
本歌集のタイトルとなった歌だ。「スピーチ・バルーン」とは漫画の吹き出しのこと。私はすぐにスマートフォンのLINEの画面を思った。従来の携帯メールはタイトルや宛先、そして「こんにちは」で始まる何やら堅苦しいやりとりだったが、LINEはそうした煩わしさを軽々と越え、まるでマンガの吹き出しのような画面に相手がそばにいる感じで気楽な会話が弾む。
・鳥の切手花の切手を組み合わせ小さな個展の案内がくる
・とんがったマスク同士で行き合えば未来のヒトのような会釈す
・近づけばわがためだけに動きだす春のまひるのエスカレーター
作者と対象が正にLINEのごとき適度な近さで描かれている。読み手との距離感もまた同様で、いつもフレンドリーだがそこに暑苦しさがない。ベタベタではなく、離れてもなく、難解さもなく、かつ分かりすぎもない。作者もあとがきのなかで「三十一音が入るだけのスピーチ・バルーン。それが私にちょうど良い大きさだったかもしれません」と述べる。
また、心の花インターネット歌会の「読む会」では、選された歌の幅が広く、読み手のそれぞれがそれぞれの「鈴木陽美ワールド」を覗いている感じだった。つまりヒット率が高いのだ。どのようにも切り口を示せて「どこから読んでもいい」の許容度の高い歌集ではあるまいかと思う。
多彩な切り口のその一部を掘り下げてみよう。まず感じたのは対象を見つめる観察眼だ。
・ふつふつと煮つめる苺のジャムの香に春の力がみなぎっている
・「環境に優しい車」のステッカーつけた車が割り込んできた
・右舷から吹く風はらむ帆が立てりどこにも行かぬボトルシップに
一首目、甘ったるいジャムの香を春の力とした見立て。二首目は「どこが環境に優しいんだか…」の柔らかなアイロニー。三首目、「行けぬ」なら悲しい歌になるのだが、「行かぬ」でボトルシップへの優しいまなざしを感じた。
機知に富んだ歌も多い。
・マッチ擦る、ことなどなくて家中に火の匂いなき灯りをともす
・大粒のぶどう含めばたちまちに秋は私を味方につける
・測量士のはたらくそばを通るときわれはつかのま黒猫になる
・勝ち残るたびに孤独に近づくを椅子とりゲームのさなか気づかず
・熱の身を横たえながら一九時のE列5番の空席おもう
一首目、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の巧みな本歌取り。二首目は「私は秋を」となりそうなところのひねり具合。三首目、存在感を消し、こそこそと通る動作がよく出ている。四首目は想定外の切り口で、深き哲学のようなものを感じてしまった。五首目は席番号のリアルの裏にありありとドラマを感じさせる。
絵画への造詣もある。
・熱き風吹いているらむマティスの絵の開けっ放しの扉の向こう
・花柄のショールをまとう絵の女われにこっそりめくばせをせり
・鎮もれるルネ・マグリットの絵をかけてふしぎな夢をみたい月の夜
絵画を観ての歌は深い鑑賞力がないと上滑りになってしまうが、いずれもどんな絵なのかを強く想像させてくれる。
漢字や言葉への関心、興味も印象に残った。
・相性が悪かったのだ 糸偏は吉を選ばず冬を選んで
・目の奥が総毛立つなり蠢蠢(うごうご)と蠢(うごめ)く文字の列を見るとき
・突然の来客ありて主婦われは夜にうすすき朝にいすすく
一首目、結と終、糸偏さんが選んだ相手への思い。三首目、調べたらいずれも「慌てふためく」の意で巧みな言葉の使い方だと思う。
難解な漢字への興味も相当なものだ。
・たっぷりと雨の雫をはらみたる形とおもう「霽(はれる)」の文字は
・うすものを纏うがごとき夜空かな 昴(すばる)・畢(あめふり)・觜(とろき)・参(からすき)
他にも多々、興味を引く難しい漢字がうたわれている。
・AはB、BはAだとはぐらかす底意地悪き辞書にまた会う
辞書を「引く」ではなく「読む」人がいる。この人もきっと愛読書のように辞書を読んでいるのだろう。
さて、先に私は、どのようにも切り口を示せて「どこから読んでもいい」の許容度の高い歌集ではあるまいか…と述べた。だがこれは、逆に言えば一冊全体の構成力が弱いということでもある。
展開、見せ場、箸休め、クライマックス、エンディング…あるいは、順に読むことで解けてゆく謎、より深まっていく心象…こういう、構成的な、一冊を貫くような背骨は私にはあまり感じられなかった。これがもし単なる「時系列編集」であるなら噛み合わない話になるのだが、構成面から見れば、もう少し太き背骨をこの一冊に通してほしかったとも思う。
2008年、私が「心の花」に入会したとき、この人は同世代ながらすでに歌作の力の貫禄をにおわせていた人で、その蓄積の証左だろう、当歌集上梓の後、心の花賞を受賞している。
ながらみ書房
2018年6月14日発行
2500円(税別)
2018-11-01
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