・深閑と身のうち深く張る枝を神は手折りて処女(おとめ)となせり
・なまぐさきものぞ真珠もビーナスも暗くつめたき海よりあがる
・風が地球に鳥を吹き寄せたのだらう星と星とをつなぐ回廊
・光にも重力はあるいちれんの真珠を首からおろす疲れよ
・このやうに未来はいつもやつてくる「冷やし中華はじめました」
個性的な言葉を紡ぐ人である。ふとひらめいた表現やアイデアをぶつぶつと呟き、まとまるとフッと独り笑いして乙に澄ましているような感じで歌作しているのではないか。
過去の記憶、回想も多いが、それが一冊中に散在しているのは、まさに「ふと」だからではないか。記憶がふいにとめどなく湧き立つのだ。
・をさな日の恐怖のひとつ姿見のうらに塗られて剥がれし朱色
・鏡文字をずつと書いてた子供だつた鏡のなかから出てもしばらく
ファンタジック…と言えば綺麗すぎるかもしれない。夢、死者、霊、神…そんな世界としきりに行き来している。
・このひとですこの眼で見ましたこの人が夢でわたしを殺したんです
・心霊体験われに問ひたる医師の手に文字の増殖やまざるカルテ
・薔薇の花の大輪を素足で蹴りしことなまなまし昨夜(きぞ)の夢のくだりは
・酔ひて夫は帰りきたりぬわたしへと死にたる小鳥をお土産にして
・神罰はかくもこまかき雨となりおそき桜を濡らしてをりぬ
一首め、こう言われた人はもうただ狼狽するしかない。二首め、医師もその言動に何か気づいてしまったのだろう。四首め、焼き鳥(?)をこう詠む感覚はどこか尋常ではない。五首め、彼女の手にかかると桜を濡らす雨でさえ神罰になってしまう。
故事や故人の情報からの空想もなにやら変わっている。
・直実(なほざね)に斬られてむかし敦盛がその肩越しに見た空と海
・ぢつと手を見しとふ啄木その爪のぞんぐわい綺麗でありしか啄木
・ああ空が落ちてくるぞと杞の国のひとは泣きしか秋うつくしく
・芳一を隠してあまる耳ふたつ「観」からはじまる般若心経
生来の空想癖の面目躍如だ。敦盛が見た死の直前の景色とか啄木の爪とか、私は一度だに空想したことはないのでしばし感じ入ってしまう。三首目などは秋の空をみて「杞憂」の故事を思い杞の国の人の悲しみを想っているわけで、文字通りの取越し苦労なわけだが、いったいどんな思考回路を持っているのだろうと思ってしまう。
圧巻はなんといっても「舅との不仲」だ。
・殴らんと構へしひとに手向かひてつかみしスリッパふなやふにやなりき
・放ちたる殺気はさすが元兵士ちちなるひとは殴らんとして
・出て行けと怒鳴られ素直に出て行かぬどこまで従順ならざる嫁か
・冬の夜聖なる家長が殴る殴る殴れどああ、と泣かざる女を
家庭を舞台に壮絶な闘いのシーン。三首め、四首め、この「嫁」「女」はもちろん西橋自身なわけだが、突き放した言い方だけに、読み手により迫り来るものがある。
そして、この闘いは相手が亡くなっても終結はしない。
・両脚の切断をするその前に死ねてよかつたねえねえと泣く
・わたくしを殴りしその手の持ち主は死にたりその手を焼くまへに拭く
・われを殴りし箒にわれは手を添へてただ床を掃くただの日常
もちろん安堵の心はあるのだろうが、果たして我は勝ったのか…と自問しつつどこか素直になれない自己を見つめ続けて生きているのではないか。
・いつかわたしはわたしを手放す せせらぎに笹船ひとつうかべるやうに
掉尾を飾る一首。
帯に藤原龍一郎は「文学少女が成長して、おとなの世界に棲み始める。実はそこは地縁や血縁のしがらみが絡まりあうカオスだった。その混沌の真ん中から西橋美保は歌を紡ぎだす…」と書く。そのまんま大人になってしまったかつての夢見る少女…その感性が出会ってしまった人生の現実を改めて思う。
『うはの空』
六花書林
2016年8月26日発行
2300円(税別)
2017-07-20