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たけだ勝利の駆けある記

武田勝利の活動を紹介します。

コラム 「根曲がり竹とサバ缶」

2018年01月06日 | コラム
私の県政レポート12・1月号掲載のコラム、小学校の遠足での芋煮会について書きました。

コラム 「根曲がり竹とサバ缶」

 山菜というとみなさんなにが頭に浮かびますか?ふきのとう、ウド、こしあぶら、わらび、ぜんまい、タラの芽、コゴメやセリ、おいしいものがいっぱいありますね。私の生まれ育った松代は、山の斜面にはウド、雑木林にはわらび、きれいな水が流れるところにはコゴメ、セリと、山の中は山菜の宝庫でした。そんななかでもなかなか手に入らない山菜が根曲がり竹。笹のタケノコで雪が多い地方に生え、雪の重みで根が曲がることからこの名前がついたといわれています。

 私の小学校のときの芋煮会遠足は、遠足の場所についたらまず子どもたちがパーッと笹やぶに入って笹をかき分けタケノコ取りからはじまります。子どもくらいの目線が小さな笹竹をさがすにはちょうどよかったのでしょう。先生は、ナベの湯を沸かして待っていて、取れたての根曲がり竹を他の食材とナベに投入。この時、一緒に入れるのがサバの缶詰、そして、最後に味噌を入れて、ひと煮立ちしたら完成。この味噌汁が絶品でした。上越地方と長野の北信地方の山間地にしかない風物詩です。

 一学年7人の複式学級の小学校だったので、校長先生、先生と子どもたち、学校上げてみんなで行く楽しい行事でした。(武)

コラム 「ドクダミと夏休みの宿題」

2017年09月08日 | コラム
私の県政レポート8・9月号掲載のコラム、夏休みの宿題について書きました。よろしければお読みください。

コラム 「ドクダミと夏休みの宿題」

夏休みは宿題シーズン、子どもたちの宿題は終わりましたか?いまは私の子どもの頃より宿題がとてもおおくてママ、パパ、おじいちゃん、おばあちゃんまで苦労しているという話をよく聞きます。私は、宿題ドリルは夏休みの最初にやってしまう派でした。それでもギリギリまで残ってしまう宿題はありまして、自由研究、登校日提出の絵などは苦戦して、「忘れました」といって突貫作業でやったこともありましたねー。はずかしながら。

 夏休みの宿題というと思い出すのは、中学生の時の「乾燥ドクダミ採集」。ドクダミはご存じの方はおおいと思います。日陰の場所を好み、杉木立の下草などに密集して生えているハート型の葉に白と黄色の花が特徴的な植物です。私の田舎ではいたるところに生えているので、このドクダミを大量に採集して、ムシロの上でカラカラになるまで天日干しにして乾燥させ、そして学校に提出するのです。これは一朝一夕ではできないのですね。これを薬草として農協に持って行くとPTAなどの活動経費になるという、こういう宿題でした。

 友達は4キロ、5キロと持っていきましたが、私は2キロくらいだったかな。みんなで「俺こんなに」と自慢しあっていました。夏休み明けの登校日になると男子生徒も女子生徒も自転車の後ろに山のような乾燥ドクダミを積んで立ちこぎでいっせいに坂道を上がってくる光景は圧巻でした。(武)

コラム キャンプファイヤーときもだめし

2017年07月05日 | コラム
私のレポート掲載の4月のコラムです。
 
 初夏に近い季節がやってきました。夏、海、太陽というワードが並ぶと頭にうかぶ楽しい思い出は、子どもの保育園の海のつどい、一泊二日のキャンプです。院内保育園のキャンプだったので親と子ども20人くらい、ママ、パパで実行委員会をつくって手づくりで準備、私も実行委員長をやりました。

 メインイベントはなんといっても夜のキャンプファイヤー。子どもたちのワクワク感が一気に高まります。親も出番です。キャンプファイヤーの点火にも凝りました。自由の女神のような格好をしたママが点火をしたこともありました。私の時は、パパ3人がハワイアンダンスのように松明をグルグル回して歌いながら点火。扮装も短パン一つ、上半身裸に墨汁で上から下までまっ黒。子どもたちも誰が誰のパパなのかもわからない、歓声というかなんというか、大変盛り上がりました。終わってから海に飛び込んで墨汁を落としましたが、これがお風呂に入っても一ヶ月は落ちませんでしたね。

 きもだめしも楽しい企画でした。うちの子は最初はこわがって必死にしがみついていたものですが、おどかす側になったときは元気なものです。こんにゃくをつりあげて、ひゅーと年少組の子どもたちをおどかしてキャッキャッとしてました。その子どもたちももう大きくなりました。「子育て」は「親育ち」ですね。子育てのことはまた書きます。(武)

コラム アルバイトと桃太郎アイス

2017年05月05日 | コラム
私のレポート掲載の4月のコラムです。

 新入学シーズンになりました。新しい期待とともにちょと不安も抱きながらがんばる新入生、新入職員のみなさんにエールを送ります。新潟県がふみだすことになる給付制奨学金がこれから大学をめざす学生の希望を後押しする力になることを願っています。

 私も奨学金とともにアルバイトで学生生活をささえていました。友達もいろんなアルバイトをやってました。私もいろいろやりました。大学で紹介していた1日、2日だけの単発のバイトというのが、「へ~こんな仕事もあるのか」と思う楽しい仕事でした。大和デパート展覧会のサボテン運び、県展の書道の搬入・展示、中学校の模擬テストの丸付け、業務用おがくず運びなどいろいろやったものです。会社の窓ふきのアルバイトもありました。専用のテコと洗剤を持って、「こうやって、こうやるんだ」といわれたとおりにやると、まーピッカピカになるんですね。ただ、このバイト、真夏で外側から延々とやるものですからさすがにへばりました。そんな学生の私をきずかってくれたのでしょう、親方が買って差し入れてくれた桃太郎アイスのおいしかったこと。

 ブラックな働かせ方がいわれる昨今、あの親方は元気にしているかなと思う今日この頃です。(武)

コラム オリオンと流れ星

2017年03月07日 | コラム
私のレポート掲載の2月のコラムです。

コラム オリオンと流れ星
 
 「見上げてごらん~、夜の星を~」、昨年の紅白歌合戦のゆずの歌声に、冬の透きとおった夜空を思い、はげまされた人はおおいのではないでしょうか。
 悩んだとき、つかれたとき、ふと夜空を見上げると自分の悩みなど広い空間と時間のなかでは小さなものにすぎないと感じることもあります。
 冬は、冷たく澄みきった空気が、瞬く星たちをいっそうきらめいて見せてくれます。その中でもひときわ目立つのはオリオンですね。ベテルギウスにリゲル、オリオンの三つ星をみつけるとなにかほっとするものがあります。
 星空というと思い出すのは、中学校の理科の授業、たしか中学2年生だったと思います。先生から「今日の授業は夜、学校のグラウンドに集合すること」と声がかかり、三々五々、懐中電灯を片手にグラウンドに集まりました。そこでの授業は星空観察会、みんなで夜空を見上げると、右に左に流れ星が流れはじめ、「あー流れ星」「こっちだ」「どっち、あ、流れたー」とそれはにぎやかな授業になりました。先生は流星群が来る日に授業を設定するという粋なはからいをしてくれていたのかもしれませんね。
 それに、私の卒業した中学校は山のてっぺんで森の中、どこにも明かりがありませんでした。星の光に満たされた夜は、私の原風景です。(武)

コラム かきのもとと家庭教師

2017年01月18日 | コラム
私のレポート掲載の12月のコラムです。

コラム かきのもとと家庭教師
 
 冬の季節がはじまると思い出すのは大学生の時、新潟大学からバイクでせっせと黒埼に家庭教師に通っていた頃のこと。まだ18、19の学生だったとき、当時の黒埼町議から声をかけていただいて、50CCの原付バイクにまたがり、白いフルフェイスのヘルメットをかぶり、内野から黒埼に抜ける道路を風を切って向かっていました。冬が近づくと寒かったですね。
 でも寒かったけど、あったかかった。というのも家庭教師先の奥さんがとても料理が上手で、いつもおいしくあたたかい夕食をつくって迎えてくれたのです。忘れられないのが、焼きリンゴと菊の花。
 松代の田舎ではリンゴというものはかじって食べるもので、よもや焼いたリンゴでこんなにおいしい食べ物が世の中にあるとは・・・。あのとき以上の焼きリンゴは食べたことがありません。
 菊の花のおひたしにもびっくりしました。松代の田舎は野原には野菊、自宅の畑にも菊はいっぱい咲いていましたが、よもや菊の花を食べるとは思ってもいませんでした。新潟は白根が産地で8割出荷しているとのこと、新潟ではじめて出会うはずです。柿の実が色づいてくるころに赤くなるから「かきのもと」という説がありますが、紫に染め上げたかきのもとは新潟の風物。
 そんなことを思い出す冬の学生の頃、懐はさみしかったですが、あたたかな食卓は心にじわっと染みました。(武)

コラム 映画とフレンチトースト

2016年10月25日 | コラム
私のレポート掲載の10月のコラムです。

コラム 映画とフレンチトースト
 
 私は映画が好きで好きでたまらない。映画館のない田舎に育ったので観るのはもっぱらテレビ、月曜ロードーショーもありましたね。見た映画を記録して映画日記をつけていました。小学校の頃は教室で見た富士山に気象台をつくるような教育映画というのでしょうか?もありましたし、高校の時、体育館で観た「戦場にかける橋」も印象深かった。大学になると大学祭で映画の上映会がありまして、教育学部の講堂で上映された「クレイマー、クレイマー」に感動しました。映画でダスティン・ホフマンが子どもに不器用にフレンチトーストを焼く姿が印象的。映画は観るものであり、出会うものだな、と思ったものです。
 私が学生の頃は1930年代、40年代のハリウッド映画、3本立てオールナイト上映などがカミーノ古町でやっていてよく観に行きました。ハンフリー・ボガード主演の「カサブランカ」やオードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」、「第3の男」「北北西に進路をとれ」などなどスクリーンで観られたのはいまでも貴重な財産だったなと思っています。
 映画好きが高じて、大学4年生の時にはシネウインドで自主上映を2回やりました。ニカラグアの「アルシノとコンドル」と西ドイツの「白バラは死なず」。映画を見に来られた方に主催者を代表してあいさつしたり、学生だからの勢いですかね、楽しかったです。映画の冒頭コンドルがニカラグアの緑の樹林の上をすーと飛んでいくシーンはいまでも目に焼きついてます。
 いまはトムハンクス主演上映中の「ハドソン川の奇跡」と「インフェルノ」を観たくて観たくて仕方がない。映画のことはまた機会があったら書きますね。(武)

コラム ビートルズと放送委員

2016年09月02日 | コラム
私のレポート掲載の9月のコラムです。

コラム ビートルズと放送委員

 今年はビートルズが武道館に来日してから50周年になります。その当時「ビートルズがやってくる」というので武道館に駆けつけたとか行けなかったとかいろんな話を先生や先輩から聞いたものですが、私はその頃まだ2歳だったのでよくわからないのです。
 それでもビートルズはよく聴きました。「ヘイ・ジュード」「イエスタディ」「ヘルプ」「レット・イット・ビー」など名曲ですね。わが家はちょっと貧乏だったのでレコードプレーヤというものがありませんでした。何でよく聴いていたかというと中学校の給食の時に流れる曲がず~っとビートルズだったのです。選曲は先生か放送委員だったのでしょうか、ハイカラでした。
 放送委員というと私は小学生の時、放送委員で、担当の時は、給食を持って放送室に行ってマイクを入れてとやっていたことを思い出します。その頃、なぜかしら校内放送で本の朗読をやっていて童話や名作を放送委員が10分くらい読んで、給食の時全校児童が聞くという、今考えるとちょっとはずかしいことをやっていました。
 そのとき、先生がしきりに「勝利くん、よかったよ」「感情が入っていたね」とやるたびにいうのですね。そういわれると「もしかしてうまいのかな」などと子ども心に思ってしまい、それからはどちらかというと人前で話すのが好きになりました。
 人はなにが幸いするか分からないものです。子どもはほめて育つものですね。(武)

コラム ヤマユリと蝉時雨 

2016年07月29日 | コラム
私のレポート掲載の7月のコラムです。よろしければお読みください。

コラム ヤマユリと蝉時雨
 
 「夏」というと目に浮かぶ情景は、スカッとした青空にもくもくと湧く入道雲の青と白のコントラスト、そしてヤマユリの甘いにおいと蝉の音でしょうか。子どもの頃過ごした松代町の山の夏はとにかく暑い。みなさん、すだれをかけ、夕方から庭を抜けて吹く風に涼をもとめていました。

 子どもはというと、毎日ラジオ体操に行くのは当然として、午後の時間になると山道を抜けて2キロ離れた町営プールに集団で(といっても6人くらい)通っていました。これが毎日自主的に行くわけですから、親は夏休みといってもあまり手がかからないわけですね。真っ黒けになってプールに飛び込んでいました。たまに友達の家に行くと山盛りの枝豆とトウモロコシがおやつにでてくるのがうれしかったな。

 そのプールに向かう日陰がちな山中に白いヤマユリが咲いていて、山はひっそりとしているのですが、辺り一面は濃厚な甘い香りにつつまれていました。経験した方もあるかもしれませんが、その白い花弁をはずし、根本の部分に滴のように溜まっている蜜をそっとなめたものです。芳しい香りとなんともいえない甘さ、真夏にしか経験できないことでした。

蝉も鳴きます。「ジー、ジー、ジー、ジー、ジー・・・」と360度四方から、上から、何重にも重なるように。降るように鳴くので、蝉時雨というのでしょうね。アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、セミの競演です。この声が「ツクツクボウシ」に変わる頃、夏も夏休みも終わっていきました。(武)


コラム 卓球部とキャプテン

2016年06月09日 | コラム
私のレポート掲載のコラムです。よろしければお読みください。

コラム 卓球部とキャプテン    

 「武田さんはなにかスポーツやってました?」と聞かれることがあります。「高校では卓球部でキャプテンだったんですよ」というと、みなさん、「へ~(意外)」という顔をすることがおおいですね。「鉛筆より重いものはもったことがないのかと思った!」とズバリおっしゃる方も。

 松代高校卓球部は、男子10人、女子5人くらい、けっして強くはなかったというか、むしろ強くなかったことは確か。それだけに、強力な顧問の先生はいなくて、部員みんなで相談して、どうやって強くなるか、トレーニングや練習メニューを決めていました。まず毎日ランニング、高校から渋見川沿いに十日町に向かって走る、走る。雨の日は学校の中を上がったり下がったり、5キロランニング、そして、腹筋、背筋、スクワット、反復横跳び、よくやったなー。昔は空気イスというのもありましたね。

 それでも自主性がよかったのでしょう。弱小チームが強くなっていくマンガ「キャプテン」のように、打倒○○高校と作戦も考え、メキメキ強くなりまして、気持ち的にはあと一歩というところまで追いつめたのですが・・・。チームで県大会出場はならず、なんとか個人戦は県大会に出場しました。

 いまや卓球はメジャースポーツになりました。石川佳純さん、福原愛さん、オリンピックももうすぐで楽しみ。あのラリーの音、「しゃー」という気合いの声を聞くと夕日が差し込む体育館を思い出します。(武)