ダンスな1日

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母親との野球観戦!

2023年04月30日 | 日記

4月になり、新たな試みや出会いがある中『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC) 』の話題は未だ絶える事なく、大谷選手、栗山監督を初めとした侍戦士達の動向は連日の様に伝えられてますね~


それだけ影響力があった事に間違い無いのですが、その裏で選抜高校野球も大熱戦が続いてた事の認知度は低い様で、この春だけは高校球児が少し可哀想な気がしました…


内容的には、戦前の予想通り大阪桐蔭と広陵の優勝候補が順調にベスト4まで勝ち上がり、頂上対決を楽しみにしてましたが決勝を前に両チームが敗戦…


そんな強豪校を倒し、勢いに乗った山梨学院が見事初優勝!


そして、惜しくも準優勝に終わった兵庫県代表、報徳学園の快進撃も熱かった!


毎試合、終盤や延長戦で逆転に次ぐ逆転の連続、そこでボルテージが最高潮になると、アルプススタンドから報徳名物『アゲアゲ・ホイホイ』の大合唱が!


これが、堪らなくてね~


ブラスバンドの演奏に加え、今年から声出し応援も可能となった為、ベンチ入り出来なかった部員を初め、OBや学校関係者達全員が一体となり、チームカラーである緑のメガホンを叩きながら応援歌に乗って踊り出すと、選手達は次々とミラクルを起こし、甲子園のボルテージは最高に!


そんな光景を見て『青春って、ええなぁ~』と心踊らされました!


しかし、こういった高校野球やWBC日本代表の熱戦を観る度に『親父と一緒なら楽しかったやろうなぁ~?』と思ったりします。


生前の親父とは、ラグビー、野球、サッカー等の試合は数え切れない位に観て来ましたが、とにかく一緒にうんちくを語り合い、大声で叫びながら応援するのが恒例で、その度に別の部屋から母親が『うるさい。あんた達ホンマいい加減にしいや』と鬼の形相で、烈火の如く怒鳴るのがお約束で。


親父と馬鹿息子以外は、決して人を怒ったりせず、常に回りを気使い、思いやり溢れる優しい人間なので、我々2人は相当な気苦労を掛け続けたのでしょう。


そんな母親ですが、3月中旬には本人の希望と、医師からの許可も条件付きで下り、一旦退院する事が出来ました。


しかし、如何せん色々な方の介護は引き続き必要となる為、俺も毎週木曜日か金曜日の始発で大阪に帰り、一緒に過ごした後、日曜日の始発で東京に戻って仕事するパターンを続けております。(こういったスケジュールを組めるのも、多くの方々のご理解、ご協力があってこそで、急遽な対応をして下さる皆様には感謝の思いしかありません)


そんな事もあり、今回のWBCや高校野球観戦は、普段の様に仲間達と騒ぎながらでも無く、主に母親と一緒にテレビ観戦してました。


野球なんて観ないだろう?と思ってると『さぁ~そろそろ始まるな』とチャンネルを合わせ出し。


『なんや、野球観るんかいな?興味あったん?』と言えば『そうでも無いけど…』と言いつつ、しっかり観てましたね。


もちろん親父とは正反対で、点が入ろうが叫ぶ事も無く、表情一つ変えず、俺が興奮してる横でポツリ、ポツリと『逆転したんかいな?』と呟いたり『韓国選手はキムチとニンニク食べてるからパワーあるんやろな?』といった事を聞いて来るだけで。


ただ、高校野球で、我々世代の大スター清原和博選手の息子さんが、慶応高校の選手として出場された事には『ホンマかいな~凄いやん!』と喜んで応援してましたし、ああいった親子鷹は、母親なりに思う所があるんでしょう。


俺自身も、清原選手が息子さんの打席を緊張しながら見つめ、初打席でヒットを放った際、喜びを爆発させた親父の姿に熱いものが込み上げて来ました。


そんな母親との二人きりの野球観戦、何とも不思議な感覚でしたが、これはこれで良い空間やったな~


まぁ~長年連れ添った親父の影響もあるんでしょう。


思い起こせば、俺の高校時代、親父と一緒にラグビーの試合も観に来てましたしね。


親父が言ってたのは、ルールも全く解らないのに何故か?一緒に付いて来て、黙って横に居るのだけど、試合中に選手が倒れてゲームが中断し、監督やコーチが『誰やぁ~倒れてるの?』と大声で叫ぶと、お母さんは目をギュッと閉じ、下を向きながら両手を握りしめ、祈る様な仕草を毎回するのだと。


しかし、帰宅したら『頑張ったね!』などの労いは一切無く、いつも通りに泥だらけのジャージを洗濯してくれ、翌日は早朝から巨大おにぎりを握ってくれる毎日。


それから数年後、大反対し続けたダンサー時代も、何だかんだ言って、地元大阪以外の東京、名古屋等の地方にも観に来てくれましたが、舞台上から見える客席の母親は、いつも下を向いており…


勿論、終わった後に『良かったよ』や『頑張ったね』等の感想は一切言わず、俺が『どうやった?』『つまらんかった?』と聞けば『そんな事無いけど、とにかく早よダンサーは辞めて、公務員にでもなりなさい』と言うだけ。


なのに、必ずパンフレットを買って、大切にタンスの奥へ仕舞っていたり、載った新聞も保管してくれたりと『どっちやねん?』と突っ込み所だらけなんですが、生粋の『あまのじゃく』な母親らしく、なんだかんだ愛が深い、温かい人やから、いつも笑って許せてしまうんですね。


世の中には、様々な事情が絡み合い、疎遠になったり、思う様に接する事が出来ない親子関係もある中、紆余曲折あったものの、俺は運良く築けて来れた。


それは、反抗期を乗り越え、社会の荒波に揉まれ年齢を重ねる中、若い頃には理解出来なかった親の思いや苦労が不思議と理解出来る様になり、父親や母親の事を尊く大切に感じれる様になれたのも大きな要因かな?と。


俺みたいな人間が言うのも何ですが、どんな理由や境遇があるにせよ、その様なマインドを持てたなら、それは幸せな事。


そして、親が元気で健康な時に、出来るだけ沢山の思いや語りを聞きながら、悔いの無い時間を過ごせる事が大きな財産なんだと、この歳になって切に感じます。


今月からは、再び入院となってしまった母親ですが、家族限定で面会の許可が下りる事になりましたし、身体は更に小さくなっても、相変わらず俺に対しての小言や説法は健在なので、一緒に過ごせる時間を当たり前と思わず、一日、一秒を大切に有難く感じながら過ごして行きたいと思っております。


今年も綺麗に咲いた実家近くのツツジ。


母親が好きなので、来年も一緒に散歩しながら見れると良いな~と願って。

 

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