遂に30年の歴史ある平成の時代も終わりを告げる時が来ましたね。
最近は平成の特集番組で、懐かしの曲を聞く度に、当時の事を思い出してしまうのですが、振り替えれば平成の訪れは中学3年の正月休みだった。
当時のテレビ番組は、どのチャンネルも特番となり、街のレンタルビデオ屋は大繁盛。
陳列されてる棚の殆どが貸し出し中で、退屈な正月休みを過ごされた人は沢山居たのを覚えております。
ただ、俺は高校受験前の追い込みの時期だったので「志望校に合格してラグビー部に入りたい!」の一心で、人生の中で一番机に向かった時でしたし、ラガーマンへの準備として勉強の合間に、ひたすら走って鉄アレイで筋トレしてました(当時からトレーニング馬鹿は変わってません)
その後、高校に入学してラグビー漬けの毎日を送り、大学、サラリーマン生活を経て、19年と言う、平成の半分以上を占める時間をダンサーとして生活する訳ですが、よくもまぁ~こんな長く続けて来れたもんですね~
当初の青写真は、30歳までに、USJ、ディズニーランドのテーマパークで踊り、紅白歌合戦に出れたら悔い無く辞めてサラリーマンに戻ろうと思ってたのですが、いざダンサー界に足を踏み入れると甘い考えは根底から叩き潰され…
沢山の屈辱と悔しさの中から「絶対にこいつらを見返してやりたい」って気持ちと、稀に訪れる喜びと快感がクセになり、いつしか、「もっともっと大きな快感を得たい」と欲が出てしまってました。
なので、サラリーマンに戻る選択肢などは、いつしか無くなり、テーマパークや紅白の仕事を経験出来た後も、更に凄いステージで踊ってるダンサーを見ると「あそこに立たなきゃ、ダンサーやってる意味が無い」と強く思う様になってたかな。
そんな中、大きな2つの夢というか目標が出来まして。
別にダンサー界で有名にならなくても、超一流の存在に成らなくても全然構わない(自分の骨格、身体能力、知能では無理ですが)
この2つの夢だけは絶対に叶えるんだ!と心に決めました。
それからの道のりは、まぁ~気が遠くなる程長い事長い事。
ホンマに惨めな位、オーディションに何度も落ち、掴みかけたチャンスも、あと一歩で逃げて行ったり…
そんな日々が何年も続き、いつしか同世代のダンサー仲間だけで無く、多くの後輩達にも先を越されて行く始末…
途中色々な仕事も、有り難い事に沢山やらせて頂いたのですが、正直満たされる事は無かったかな…
夢を叶えるまで粘り強く、泥臭く、バイトして、レッスン受けまくって、先の見えない日々を過ごしてたら、突然チャンスが!
『奇跡』としか言い様の無い巡り合わせと、ずっと長年諦めず準備して来た事が実を結び、夢舞台に立てた時の喜びは、言葉では表せ無い位の感動と興奮と快感でした!
あの瞬間の鳥肌と涙は、一生忘れる事は無いでしょう!
だから、こんな俺をその夢舞台に引き上げて下さいました方々には感謝しかありません。
本当に2つの夢を叶える事が出来た俺は幸せ者だと今でも切に思います!
なので、俺にとっての平成とは、失意のどん底に落ちても、地道に頑張っていれば、チャンスは平等に訪れる事を学べたし、悔しさが成長の起爆剤になるので、喜びも悲しみも上手いバランスの日々が、実は本当の幸せなのかも?と思えた時間だったのでしょう。
今は『令和』の時代に向けての新たな夢と言うか目標が出来、ある程度明確に定まってるけど、そこに辿り着く道のりは、まだまだやな…
一歩進んでも、また一歩下がるの繰り返し。
でも、平成の時代に多くの方々に助け支えて頂き遠回りしながらも、抱いた夢を叶える事が出来た自分を信じ、健康で素敵な仲間に囲まれ笑顔で過ごせてる今を大切に、地道にコツコツ粘り強くチャレンジして行きたいと思います!
ほな、さらば平成!
最近は平成の特集番組で、懐かしの曲を聞く度に、当時の事を思い出してしまうのですが、振り替えれば平成の訪れは中学3年の正月休みだった。
当時のテレビ番組は、どのチャンネルも特番となり、街のレンタルビデオ屋は大繁盛。
陳列されてる棚の殆どが貸し出し中で、退屈な正月休みを過ごされた人は沢山居たのを覚えております。
ただ、俺は高校受験前の追い込みの時期だったので「志望校に合格してラグビー部に入りたい!」の一心で、人生の中で一番机に向かった時でしたし、ラガーマンへの準備として勉強の合間に、ひたすら走って鉄アレイで筋トレしてました(当時からトレーニング馬鹿は変わってません)
その後、高校に入学してラグビー漬けの毎日を送り、大学、サラリーマン生活を経て、19年と言う、平成の半分以上を占める時間をダンサーとして生活する訳ですが、よくもまぁ~こんな長く続けて来れたもんですね~
当初の青写真は、30歳までに、USJ、ディズニーランドのテーマパークで踊り、紅白歌合戦に出れたら悔い無く辞めてサラリーマンに戻ろうと思ってたのですが、いざダンサー界に足を踏み入れると甘い考えは根底から叩き潰され…
沢山の屈辱と悔しさの中から「絶対にこいつらを見返してやりたい」って気持ちと、稀に訪れる喜びと快感がクセになり、いつしか、「もっともっと大きな快感を得たい」と欲が出てしまってました。
なので、サラリーマンに戻る選択肢などは、いつしか無くなり、テーマパークや紅白の仕事を経験出来た後も、更に凄いステージで踊ってるダンサーを見ると「あそこに立たなきゃ、ダンサーやってる意味が無い」と強く思う様になってたかな。
そんな中、大きな2つの夢というか目標が出来まして。
別にダンサー界で有名にならなくても、超一流の存在に成らなくても全然構わない(自分の骨格、身体能力、知能では無理ですが)
この2つの夢だけは絶対に叶えるんだ!と心に決めました。
それからの道のりは、まぁ~気が遠くなる程長い事長い事。
ホンマに惨めな位、オーディションに何度も落ち、掴みかけたチャンスも、あと一歩で逃げて行ったり…
そんな日々が何年も続き、いつしか同世代のダンサー仲間だけで無く、多くの後輩達にも先を越されて行く始末…
途中色々な仕事も、有り難い事に沢山やらせて頂いたのですが、正直満たされる事は無かったかな…
夢を叶えるまで粘り強く、泥臭く、バイトして、レッスン受けまくって、先の見えない日々を過ごしてたら、突然チャンスが!
『奇跡』としか言い様の無い巡り合わせと、ずっと長年諦めず準備して来た事が実を結び、夢舞台に立てた時の喜びは、言葉では表せ無い位の感動と興奮と快感でした!
あの瞬間の鳥肌と涙は、一生忘れる事は無いでしょう!
だから、こんな俺をその夢舞台に引き上げて下さいました方々には感謝しかありません。
本当に2つの夢を叶える事が出来た俺は幸せ者だと今でも切に思います!
なので、俺にとっての平成とは、失意のどん底に落ちても、地道に頑張っていれば、チャンスは平等に訪れる事を学べたし、悔しさが成長の起爆剤になるので、喜びも悲しみも上手いバランスの日々が、実は本当の幸せなのかも?と思えた時間だったのでしょう。
今は『令和』の時代に向けての新たな夢と言うか目標が出来、ある程度明確に定まってるけど、そこに辿り着く道のりは、まだまだやな…
一歩進んでも、また一歩下がるの繰り返し。
でも、平成の時代に多くの方々に助け支えて頂き遠回りしながらも、抱いた夢を叶える事が出来た自分を信じ、健康で素敵な仲間に囲まれ笑顔で過ごせてる今を大切に、地道にコツコツ粘り強くチャレンジして行きたいと思います!
ほな、さらば平成!