つわぶきの庭

~明日の元気のために~
 写真と拙詠で綴ります
 (脳トレになればと・・・)
   

    ★幕末(江戸時代)の、のろし台ヘ・・ ≪博物館講座・2≫

2014年05月24日 | 短歌

★・標識・←130Mとある・・  《尾張藩・黒船対策の巡検・知多半島》

~~1853年(嘉永6)、ペリー提督の率いる米国艦隊の「浦賀」来航により,尾張藩は
     知多半島の見張強化と、有事の際の連絡手段として、のろし台を設置した。

       のろし台は南知多町大井(おおい)、美浜町布土(ふっと)、武豊町
          半田市、東浦町、名古屋市緑区大高の6箇所に、熱田へと連携・・。

              南知多町大井には,東海地方で唯一の、現存するのろし台。
                 個人所有の山で、人手に渡る事なく今に至る・・。

               
             その後、内海海岸の高台には大砲も設置され、のろしと大砲
                それに船30隻ほどを動員しての大規模な演習も行われたが
                    のろし台が、実際に役立ったことはなく、
                        明治時代を迎えた。

★・ 南知多町大井・当時の「のろし台」が現存している。
     《のろし台は風化を避けるため保護カバーで覆われていた》

★・河合先生の現地説明・《貴重な史蹟ゆえ、最良の保存を切望、居ませんかスポンサー?・・》


★・樹木が覆っているのに煙は見える?の質問に、
        その時代落ち葉・木々は暮らしの燃料として
            山を活用、ハゲ山?だったとは驚き・・

~~★彡・【幕末の

         動乱期を 垣間見る

                    風化せし壌(つち) 木漏れ日に浮かぶ】~ 
  


★・今や苔生した石に・・「彫られし図形」・・。
      粘土で作られたかまど状で、壁の一部にたき口が開けられていた。
           その中で枯れ枝や青葉などを燃やし、のろしを上げていた


★・南知多町・つぶて浦

★・朱の鳥居・・

 ~ 鳥居の海の向こう対面が伊勢神宮、鳥居の真ん中にある大きな石は
     昔、伊勢の神様が石をどれだけ遠くに投げれるか競争して
         飛んできた石。と伝わっている・・。

     ★この海を臨む、この位置の高台に砲台が築かれてあった・・



★・このバスで見学



★・実はワタクシ、バス乗り場を間違え大変ご迷惑を・・平にご容赦。~此処ではなかった(@_@;)


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