『露草協会』(一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣)

宮澤賢治がとても世話になった高瀬露。ところが現実は、露は〈悪女〉にされている。その濡れ衣を晴らさんとするブログである。

出典をいじくってる?

2018-12-25 08:00:00 | 「Wikipediaの高瀬露」
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)

鈴木 では、前回は「Wikipediaの高瀬露」の「あやかし」な個所を概観したので、今度は幾つかの段落に区切って、それぞれについて検証等をしてみよう。

 まず、最初の
高瀬露
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要[編集]
士族の高瀬大五郎(測量士)の娘として岩手県稗貫郡花巻町(現・花巻市)に生まれる。1918年、岩手県立花巻高等女学校(現・岩手県立花巻南高等学校)を卒業。准教員の資格を取り、次いで1923年9月には正教員となる。この間、1921年に花巻バプテスト教会で受洗。
についてだ。この個所は基本的には問題がなかろう。
 なんとなれば、『七尾論叢 第11号』(1996年、七尾短期大学発行)所収の上田哲の論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)――<悪女>にされた高瀬露――」(なおこの論文はこれ以降、「<悪女>にされた高瀬露」と略記する)によれば、
   高瀬露
 生年月日 明治三十四年十二月二十九日
 受洗月日 大正十年九月二十四日
   授洗牧師 佐藤卯右衛門
           〈『七尾論叢 第11号』六頁〉
 一九一八年〈大正七年三月二十四日 岩手県立花巻高等女学校卒業〉
           〈同〉
 一九二三年〈大正十二年九月二十一日任稗貫郡寶閑尋常小学校訓導但本科正教員勤務〉
           〈同七頁〉
ということだし、佐藤誠輔氏の論文「宮沢賢治と遠野二(賢治と交流のあった遠野人)」(『遠野物語研究 第7号』(遠野物語研究所)所収)に載っている「高瀬露略年譜」とも一致するからだ。
荒木 なるほど、大正十年は1921年だからな。
吉田 問題は、次の、 

1927年初頭、岩手県稗貫郡湯口村(現・花巻市)の宝閑小学校(現在は廃校)の訓導だった頃、農会主催の講習会や、藤原嘉藤治の音楽サロンを通じて宮澤賢治と知り合う[3:p.142]。賢治に好意を持った露は、羅須地人協会の高橋慶吾(もともと花巻バプテスト教会のもとに共に通っていた縁があった)に「先生にわたしを紹介してくれませんか」「わたしは先生の洗濯物や買物の世話をしたいと思っています」と頼み込み、賢治のもとへ連れて行ってもらう[4:p.142-143]。
だな。鈴木、少し説明してくれないか。
鈴木 それはなかなか難しい注文だがやってみようか。では、まずは最初の、
1927年初頭、岩手県稗貫郡湯口村(現・花巻市)の宝閑小学校(現在は廃校)の訓導だった頃、農会主催の講習会や、藤原嘉藤治の音楽サロンを通じて宮澤賢治と知り合う[3:p.142]。
についてだ。たしかに、「1927年初頭、岩手県稗貫郡湯口村(現・花巻市)の宝閑小学校(現在は廃校)の訓導だった」という部分は問題はなかろうが、「1927年初頭」といえば、昭和2年の初頭となるわけだから、「1927年初頭……農会主催の講習会」となると問題だ。昭和2年に賢治が講師の一人となっての「農会主催の講習会」がはたして開かれていたか、私はそのようなことを裏付ける証言等は知らないからだ。
 ちなみに、『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)の81pの、「大正15年から昭和3年、羅須地人協会時代 肥料設計や農事講演を行った場所と人」という一覧表の中には、昭和2年のものは一つもない。
吉田 そうそう、僕の記憶に依れば、高橋末治がこのことに関連して証言していたはずだ。「年」は違っていたと思うが。鈴木、例の『宮澤賢治研究』(宮澤賢治全集 別巻)を見せてくれよ。
鈴木 『宮澤賢治研究』(宮澤賢治全集 別巻、昭和44年)のことか。
吉田 そうそう、サンキュー。ほら、ここに高橋末治の証言、
 その頃(大正十三、四年)は農會主催の講習がよくありました。各品種の比較試作もさかんに行われました。
 宮澤先生は、その農會の依頼で、寶閑小学校へおいでになったのでしょう。肥料設計についてお話を進められたものです。
           〈『宮澤賢治研究』(宮澤賢治全集 別巻、筑摩書房、昭和44年)275p〉
があるだろう。当然、この講習会はまだ賢治が花巻農学校に勤務していた頃のものだ。「1927年初頭」というのはどうもな……。
荒木 そうだよ、「1927年初頭」ということであれば、賢治があの羅須地人協会の建物の中で「近村の篤農家や農學校を卒業して實際家で農業をやつてゐる眞面目な人々などが、木炭を擔いできたり、餅を背負つてきたりしてお互い先生に迷惑をかけまいとして、熱心に遠い雪道を歩いてきたものである。短い期間ではあつたが、そこで農民講座が開催された」頃の事だべ、ちょっと勘違いしてるんじゃないべが。
鈴木 また、『本統の賢治と本当の露』の巻末に載せておいたが、高橋謙一の次のような証言もある。
《高橋謙一》(寶閑小学校、昭和3年3月卒)の証言
 1時から農事講演会をやるかって、この人が先に立ってやっても、田舎のことだからほれ、1時だってぱっとみんな集まらなかったんだもの。
 そこで小学校の教師だった高瀬露さんが時間がもったいないからと、宮澤先生にお願いして子どもたちにお話しを語ってもらうことにしました。
 花巻から来て、したらね、高瀬露先生、ほれ宮澤賢治先生と同じ豊沢町で、若い時から知っていたでしょう。露先生がもったいないって、ほれ学校で先生たちで話して。1時からだって、1時半から2時にならなければ農家の人たちは集まらなかったんだもの。それで宮澤先生は童話やってるからみんな集まる前に30分ぐらい子どもたちさ童話聞かせてもらったものな。
 私は、1年生から5年生か6年生まで、毎年農事講話で頼んだもんだから、それで宮澤先生のことを尋常小学校終わるまで、ほれ農事講演で来た時に、みんな集まるまで30分かそこら、1年生から6年生まで講堂に150~160人集まって。1年に3回~4回も来たっけ。
 まずみんな講堂に集まれば、右から左までニコッと笑って、子どもたちの顔を見て、今日は何の話をしようかなって、右から左まで子どもたちの顔を見て、ニッコリ笑って、自分が寶閑小学校へ行ったとか、この何月に行ったとか、こげな話したとか手帳さ書いてあったんだものな。
            〈『本統の賢治と本当の露』155p~〉
 なお、この高橋謙一の証言は『賢治の学校 宮澤賢治の教え子たち DVD 全十一巻』(制作鳥山敏子等)の中で語られているもので、高橋謙一は昭和3年卒だから、賢治と露はその5~6年前から既に直接話し合える間柄にあったということになるだろう。
吉田 さっき鈴木が挙げたように、
     一九二三年〈大正十二年九月二十一日任稗貫郡寶閑尋常小学校訓導但本科正教員勤務〉
といういことだったから、先の高橋謙一の証言に基づけば、露が勤務し始めた頃から露と賢治は知り合っていたかもしれなし、少なくとも花巻農学校勤務時代でもある「その頃(大正十三、四年)」から二人は知り合いだったと言えるだろう。
荒木 ということは、
    1927年初頭、宝閑小学校訓導だった頃、農会主催の講習会を通じて宮澤賢治と知り合う
という表現はやはり正しくないということか。もっと早い時点から二人は知り合いだったということはこれでほぼ決まりだべ。
吉田 おいおい、この「Wikipediaの高瀬露」を編集した人にはもっと問題があるぜ。なぜなら、脚注を
   [3:p.142]
としておきながら、その出典を正しく用いていないからだ。
鈴木 えっまずい、見落としていたか私としたことが。
荒木 ならば、『宮澤賢治幻の恋人』の〝[3:p.142]〟にはそもそもどんなことが書いてあるんだ。
吉田 ほら、こうなている。
 当時、高瀬露の職湯口村の寶閑小学校訓導である。この小学校では一九二四年~二五(大正一三~一四)ころ、農会主催の講習会がたびたびあった。そこで農民を指導したひとりに、宮澤賢治がいたのである。農学校教諭として、賢治は講習会に出講したのであった。露はこのとき賢治と面識を得たのであろう。
            〈『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)142p〉
荒木 この記述内容だと、先程鈴木が幾つか引例した内容とほぼ完璧に一致すっぺ。っていうことは、「Wikipediaの高瀬露」を編集した人、なかなか油断がなんねぇぞ。
鈴木 まいったな、こんなことありかよ。まさかな……澤村氏の『宮澤賢治幻の恋人』が出典だと「Wikipediaの高瀬露」を編集した人は示しておきながら、澤村氏の記述を正しく引用していないのか。信じられん。
吉田 要するに、
1927年初頭、岩手県稗貫郡湯口村(現・花巻市)の宝閑小学校(現在は廃校)の訓導だった頃、農会主催の講習会や、藤原嘉藤治の音楽サロンを通じて宮澤賢治と知り合う[3:p.142]。
の「1927年初頭」という文言は、「Wikipediaの高瀬露」を編集した人が誤解して書き加えた文言ということになる。これじゃ、先が思いやられる。
荒木 これはいくらなんでもまずいべ、出典をいじくってるなんて。何考えてんだか……、この怒り静めるために、珈琲でも飲んでちょっと休もうよ。

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