『露草協会』(一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣)

宮澤賢治がとても世話になった高瀬露。ところが現実は、露は〈悪女〉にされている。その濡れ衣を晴らさんとするブログである。

出典そのものにも、その引用の仕方にも問題あり

2018-12-26 16:07:29 | 「Wikipediaの高瀬露」
《ヤマルリトラノオ》(平成30年7月19日撮影)

鈴木 では今度はこれだ。


当初、賢治は露を「しっかりした女性だ」と褒め、露が掃除や家事をしてくれるのを「とても助かる」と感謝していたが、情熱的な露からたびたび贈り物をされたり、一日に何度も単身で訪問を受けたりするようになると迷惑がるようになる[5:p.143-146]。露が帰った直後、「女くさくていかん」と言いながら部屋の窓を開け放したこともあった[6:p.149]。一方、賢治の側でも露に蒲団を贈ったことがあり、この行動が暗黙のプロポーズと露から誤解されてトラブルを招いたともいわれている[7:p.147]。

 じゃあ、まずは前半の、
当初、賢治は露を「しっかりした女性だ」と褒め、露が掃除や家事をしてくれるのを「とても助かる」と感謝していたが、情熱的な露からたびたび贈り物をされたり、一日に何度も単身で訪問を受けたりするようになると迷惑がるようになる[5:p.143-146]。
についてだ。
荒木 ポイントは「情熱的な露」だな。もうこの言葉が独り歩きしているし、これが賢治が嫌がるようになった原因とでも「Wikipediaの高瀬露」の編集人は言いたげだ。
吉田 ならば、「情熱」という言葉に注目して、出典となっている『宮澤賢治幻の恋人』の[5:p.143-146]にどんなことが述べてあるかを調べてみるべきだ。
鈴木 それについては、まず第一は、143pに項目があって、その項目名からして「野性的な情熱」となっている。
 そして、先に〝「第六章 告白する女、しりぞく男」(あやかし・後編)〟において「あやかし」である項目をリストアップしたわけだが、[5:p.143-146]に当て嵌まるのは以下のものだ。
(8) ?女(露)のほうから「紹介してくれ」と言ってくるのだから、時代と場所を考えるとその積極性は特段のものであろう。(144p)
(9) ×女(露)はすでに恋が始まっていた。(144p)
(10) ×露の行動は、自然と大胆になってくる。(144p)
(11) ×露は真剣だった。(144p)
(12) ?(露は)やがて貸してほしいとも言い出した。賢治が親しんだ本を、自分も読んでみたいという申し出である。(145p)
(13) ×それにしても物怖じしない女性である。野性的な情熱であるといってもよい。(145p)
(14) ×本を返すのは名目であり、あるいは借りるのも名目であった。賢治に会いたい。すがたを見たい。露の恋ごころは重症化してきた。(145p)
(15) ×無邪気なまでに情熱が解放されていた。(145p)
(16) ?露は賢治がまだ床にいる早朝にもやってきた。(145p)
(17) ×一日に何度も来ることがあった。(145p)
(18) ×露の行動は今風にいえば、ややストーカー性を帯びてきたといってもよい。(145p)
よって、項目名を含めて3ヶ所に「情熱」が出てきている。
 なお、その際にはリストアップしなかったのだが、典拠としている[5:p.143-146]の中の146pに「カレーライス事件」が一部載っている。それから、この「……迷惑がるようになる」に注意すれば、146pには新たな項「相思相愛?」があるが、こちらの項では「賢治にとってはほんとうに気が重く、迷惑だけのことだったのか」と澤村氏は疑問を呈しているから、これは今回は考察対象から除外してよいだろう。
 また念のため言い添えておけば、「賢治は露を「しっかりした女性だ」と褒め、露が掃除や家事をしてくれるのを「とても助かる」と感謝していた」ということについては、先にも引用したが佐藤隆房が、
 どこの女性でもするやうに、その邊を掃除したり汚れ物を片付けたりしてくれるので、賢治さんも、これは便利と有難がつて、
「この頃は美しい會員が來て、いろいろ片付けてくれるのでとても助かるよ。」
と、集まつてくる男の人達にいひました。
            〈『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年)175p〉
と露のことを『宮澤賢治』の中で書いているから、この引用だろう。
吉田 最後についてはそのとおりだろう。ところで肝心の「情熱的な露」についてだが、これで明らかになったのは、澤村氏がこの[5:p.143-146]において、
項目名「野性的な情熱
(13) ×それにしても物怖じしない女性である。野性的な情熱であるといってもよい。(145p)  
(15) ×無邪気なまでに情熱が解放されていた。(145p)
のなんと3項目で「情熱」を使っていることだ。だから、「Wikipediaの高瀬露」の編集者が、「情熱的な露」と思い込むのは当然だ。
 そこで問題となるのは、澤村氏は何をもってして露のことを「野性的な情熱」と言えるのかということだ。まさに、さっき鈴木も言ったように、「どうして澤村氏はそこまで露の心の内が読めるのだろう」ということだ。言い換えれば、これらの3項目は澤村氏の推測に過ぎない。ところがその推測に依った「情熱的な露」が、この編集者にとっては金科玉条になって、それを「根拠」にして、これまた賢治の側がどうだったかということはそれこそ「忖度」無しに、「情熱的な露からたびたび贈り物をされたり……するようになると迷惑がるようになる 」、とこの「Wikipediaの高瀬露」の編集者は断定する。
 しかし、鈴木が『本統の賢治と本当の露』の111p以降の「1.あやかし〈悪女・高瀬露〉」において、
 彼女の思慕と恋情とは焰のように燃えつのつて、そのため彼女はつい朝早く……一日に二回も三回も遠いところをやつてきたりするようになつた。
             〈『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)73p〉
は、風聞か虚構であった蓋然性が極めて高いということを明らかにしていたことからは、この「情熱的な露……一日に何度も単身で訪問を受けたりするようになると迷惑がるようになる」についてはそのまま信じるわけにはいかない。つまり、現時点では「あやかし」だ。
荒木 そうか、簡単に言えば、
 賢治は情熱的な露からたびたび贈り物をされたり、一日に何度も単身で訪問を受けたりするようになる。
については、確たるものではないということな。
鈴木 そして、先に私が、
 146pには新たな項「相思相愛?」があるが、こちらの項では「賢治にとってはほんとうに気が重く、迷惑だけのことだったのか」と澤村氏は疑問を呈しているから
と述べたように、賢治の方でもその気が無かったとは言えないので、最後の部分「迷惑がるようになる」については灰色に塗りつぶした。つまり、澤村氏はそうは述べてはいないのだが、「Wikipediaの高瀬露」の編集人は澤村氏のその記述には従わず、自分の判断で「迷惑がるようになる」というような、中立性や公平さの危うい書き方をしているということになる。
荒木 な、そんな「あやかし」である「情熱的な露」を因にして、賢治が嫌がるようになったとでも言いたげなこの「Wikipediaの高瀬露」の編集者だったということになったわけだが、さあ、どう反論しますかってんだ。それから、そもそも「独り歩きさせた」のは誰ですかと俺は抗議したいね。
吉田 要するに、出典そのものにも、その引用の仕方にも問題あり、ということだ。

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