本堂は縣下木造建築最古のものとか。
正倉院文書によると761~762年には建立されていたとか。内陣は平安中期で、外陣は1602年に淀君の修補によります。
国宝に指定されています。
本尊は如意輪観世音菩薩で、前には本尊の手とつながっている結縁の綱が渡されています。
正倉院文書によると761~762年には建立されていたとか。内陣は平安中期で、外陣は1602年に淀君の修補によります。
国宝に指定されています。
本尊は如意輪観世音菩薩で、前には本尊の手とつながっている結縁の綱が渡されています。
本堂に入る手前に、見上げるほどの大きな奇石があります。
ここから石山寺と名が付きました。
この石は硅灰岩で、石灰岩が花こう岩と接触し、その熱の為に変質したもの。
表面は淡黄色や淡褐色で、大きさは20m大を超えているものもあります。
天然祈念物に指定されています。
ここから石山寺と名が付きました。
この石は硅灰岩で、石灰岩が花こう岩と接触し、その熱の為に変質したもの。
表面は淡黄色や淡褐色で、大きさは20m大を超えているものもあります。
天然祈念物に指定されています。
石山寺の東大門の手前に、寺の中興の祖、朗澄律師のゆかりの庭園が有ります。
律師は、数学、図像画などの作品が多く残されています。
また、万民の招福のために鬼となることを誓って入寂されたとか。
その為に、像は鬼の顔となっています。
律師は、数学、図像画などの作品が多く残されています。
また、万民の招福のために鬼となることを誓って入寂されたとか。
その為に、像は鬼の顔となっています。
石山寺は関西以外の方でも、よくご存知の寺です。
天平年間、聖武天皇の勅願で、開基された古刹です。
また、紫式部が「源氏物語」を書いた所とも伝えられています。
詳しくは、始めの石山寺の名をクイックして、ホームページをご覧ください。
写真の東大門は、正面左右に仁王像が安置されていることから、別名、仁王門とも呼ばれています。
天平年間、聖武天皇の勅願で、開基された古刹です。
また、紫式部が「源氏物語」を書いた所とも伝えられています。
詳しくは、始めの石山寺の名をクイックして、ホームページをご覧ください。
写真の東大門は、正面左右に仁王像が安置されていることから、別名、仁王門とも呼ばれています。
本堂の左に、二十五菩薩像が有ります。
1586年に、富田民部之進が、幼くして亡くなった娘の往生浄土を祈って建立したものです。
「聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像」と言い、如来が菩薩を従えて、浄土世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏する人を極楽浄土に導きされる思想です。
1586年に、富田民部之進が、幼くして亡くなった娘の往生浄土を祈って建立したものです。
「聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像」と言い、如来が菩薩を従えて、浄土世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏する人を極楽浄土に導きされる思想です。