日野誕生院③ゑな塚 2008-05-20 18:03:09 | Weblog 日野誕生院の最終回です。 前回の井戸の横には、へその緒を埋めた「ゑな塚」が残されています。 でも、ゑなとへその緒との内容が良く理解できていないんですが・・・。 ともかく併せて、訪れることをお勧めします。
日野誕生院②産湯井戸 2008-05-19 18:04:05 | Weblog 前回、ご紹介した「石碑」と共に、親鸞が生まれた時、産湯を汲んだ「井戸」が残されています。 小野小町の井戸(2008年1月6日で紹介)、平家物語のヒロイン建礼門院の使ったと言われる清水(おぼろ清水と言われます。)等を見てきましたが、産湯を汲んだ井戸址は初めてです。
日野誕生院①親鸞上人・石碑 2008-05-18 09:57:17 | Weblog 日野誕生院は法界寺から南すぐに位置しています。 親鸞聖人(1173年、日野有範の長子として)の生誕地です。 本願寺が文化年間に有範堂を建立し、本願寺の飛地境内としました。 その後、日野別堂誕生院と改称しました。
法界寺③薬師堂 2008-05-17 15:16:17 | Weblog 次に重文・薬師堂に。この堂は1456 年の建立です。 本尊の重文・薬師如来像と脇に日光・月光菩薩と十二神将が祀られています。 いずれも運慶の作と伝えられますが、仏像が非公開なのは残念でした。 しかし、堂の中には入れたので良かった。 如来は、胎内にも仏様が居られ、別称「身ごもりの薬師」と呼ばれているとか。 その故もあってか、安産祈願、乳授けにご利益があると人気を集めてきました。 お参りした人が無事出産を願ったり、誕生したお礼などを子ども用のエプロンに書き入れたものが飾られていました。
法界寺②阿弥陀堂 2008-05-16 17:53:00 | Weblog 山門をくぐり菩提樹や樹木を見ながら進むと、左手に国宝・阿弥陀堂があります。檜皮葺きで平安時代(永承年間)に建立された様子を今に伝えています。 中には、定朝作の国宝・阿弥陀如来坐像が安置されています。 平等院の阿弥陀如来と同じ様式。高さ2m80cmでふくよかなお顔、伏しがちの眼、天蓋が唐草模様、光背と内陣の壁には飛天が,柱には曼荼羅が描かれ、まさに極楽浄土を表現しているのが、よく理解できました
法界寺①神秘的な池 2008-05-15 18:08:18 | Weblog 法界寺は、日野薬師とも呼ばれます。 1051年、藤原氏一門の日野氏の荘園に、日野資業が伝教大師から拝領した薬師如来を安置して建立しました。 代々、日野氏の菩提寺であり、往時は多くの宝塔が立ち並んでいたが、応仁の乱により焼失し、本堂と阿弥陀堂の二宇のみとなりました。 山門をくぐり菩提樹や樹木を見ながら進むと、お堂の前に神秘な池があります。 周りの木々と不思議な調和感がある。 訪れた季節が昨年、晩秋だったので紅葉が綺麗でした。
正伝寺③借景庭園 2008-05-13 17:54:29 | Weblog 庭園は江戸時代初め、小堀遠州の作庭と伝えられます。 白砂敷にサツキを中心に三群の切込みによって七・五・三調を表現した枯山水です。 中国杭州西湖の景色を描いたもので「ししの児渡し」と言われる。 更に背景の白壁、その遠く映える比叡山を借景した枯淡な風景は、まさに絶景と言えます。 一人たたずんでいると雑念が消え、心が洗われ時間を経つのを忘れます。 ぜひ一度、訪れることをお勧めします。
正伝寺②方丈 2008-05-12 17:49:42 | Weblog 石段を上ると正面に重文・方丈があります。 伏見城の御成殿を移築したもので、入母屋造り、こけら葺き。 本尊にお詣りした後、その左右の間には、山水画の世界。狩野山楽の筆で雄大で奥行のある襖絵があります。中国杭州の景色を描いたもので代表的な桃山絵画を今に伝えています。 広縁の天井は、関が原合戦の前に伏見城に籠もった徳川方の鳥居元忠と家臣が自害した廊下で、おびただしい血痕が今も残り「血天井」と言われます。 戦国時代の情景が目に浮かぶようだ。最近、血液型も判読できたらしい。 ここは、なんと言っても庭園が素晴らしい
正伝寺①山門 2008-05-11 09:42:56 | Weblog 正伝寺は、正しくは吉祥山正伝護国禅寺といい、臨済宗南禅寺派に属しています。鎌倉時代に、宋の兀庵普寧禅師の法を継がれた東巌慧安禅師が創立し、当時は一条今出川にありましたが、1282年、現在の地に移転しました。 緩やかな石段の参道を上ると遠くには五山の送り火「舟形」が見えます」。 写真の山門をくぐると植え込みの手前には椿や笹の低木、後ろは松や杉の木立で緑一色で、鬱蒼とした林の中、せせらぎが流れ、禅の静寂の世界に吸い込まれるよう。
常照寺⑦庭園 2008-05-10 15:35:46 | Weblog 常照寺の庭園は、樹木・四季折々の花々が植えられ、年中をつうじて楽しむことができます。 また茶室や太夫ゆかりの建物などから、文化的なイベントにふさわしい舞台と言えます。 特に毎年、名残の花の4月第3日曜日に光悦寺からここの境内まで、太夫の道中があり、供茶や野点で往時を偲ぶ催しが行われ、多くの人で賑わいます。