気まぐれに綴ってみる

気分転換に徒然草に

メモ

2011年08月14日 11時15分25秒 | 日記

「失敗の本質」のメモ

失敗の本質という本があります。太平洋戦争の代表的戦闘の振り返りをした本で、久々に読んで、やっぱり気になったところをピックアップ。


「組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識をすてる学習棄却、つまり自己否定的学習ができるかどうかということ」 P.369

学習棄却のタイミングが難しい。ジワジワとギャップがでるような場合では、何か客観的な指標がないと気づかないことも多い。逆に流れが速いところだと、間に合わないこともおおいかも知れない。


「完全な均衡状態にあるということは、適応の最終状態であって組織の死を意味する」 P.375

完全な均衡が静的な均衡の場合は確かに死んでいる。時が止まったかのような感じ。
完全な均衡が動的な均衡の場合は環境と完全に一体化してしまい自己がなくなっているような、組織としての存在意味もないような印象はある。そういう意味で死んでいると思う。


「進化は創造的破壊を伴う『自己超越』現象である」 P.382

いままでのやり方を捨てるということを破壊というのなら、間違いない。


「業績評価があいまいであることは、信賞必罰における合理主義を貫徹することを困難とした」 P.381

あいまいにした後の影響は甚大だとは思う。業績評価があいまいにした状態で、その評価を受けて出世した人間が多数出ると、評価を厳しくしたときに自分が切り捨てられるのが怖くなるので、余計にあいまいな余地を増やす結果となり、組織として自滅しがち。


「評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者の突出を許容した」 P.335

聞いたことある話だが、今も昔も変わらない。声が大きい=積極的とかリーダシップがある、と勘違いされている。


「失敗の責任は、しばしば転勤という手段で解消された。しかもこれら転勤者はその後、いつの間にか中央部の要職についていた。」 P.334

これも聞いたことある話。もっとも現場でシクジッテ『いらん』といわれたら戻るところは中央ぐらいしかないだろうが。。。どちらかというと失敗について妥当性のある責任の取り方が行われていなかった点が問題なんだろうなぁ。


「責任権限のあいまいな組織にあっては、中央が軍事的合理性を欠いた場合のツケはすべて現地軍が負わなければならなかった。『決死任務を遂行し、聖旨に添うべし』『天佑神助』『濃飛を超越し国運を賭して断行すべし』などの空文虚字の命令が出れば出るほど、現地軍の責任と義務は際限なく拡大して追及され、結果的にはその自律性を喪失していった」 P.382

これもよく聞く話、「本社は現場のこと理解しているのか?」とはよく聞く話。まぁ、信じられないような指示が本社から出るのはよく聞く話。
社長は本社幹部を見て、本社幹部は社長に見られているので反射的に社長を見ているわけで、当然本社が下の現場よりも上の視線を気にしがちな環境のため、上の意向を汲んだわけのわからん指示は出やすくなるわけです。。。指示をだした本社よりも実施した現場の方が責任をとらされるのもよくある話。組織だけど自己責任の原則だそうです。仕事を振られ、指示に従った担当者が一番の被害者のような気もしますけど・・・。


まぁ、言えることは勝っているうちはこんな組織でも十分まわるけど、いったん敗色濃厚となると、組織としては回らなくなるのは、欠陥に対して予防処置や改善が行われてこなかったという話かとおもいます。
ただ、いったん組織としてまわってしまったら、修正するのは結構困難な気もしますけどね。現に本では陸軍の白兵主義と海軍の艦隊決戦の思想がかえられなかったため、陸軍はまともな主力戦車がなかったし、海軍は航空艦隊を艦隊決戦の補助艦隊程度にしか運用できなかったわけですから・・・。
組織を環境にあわせて変えるというのは日本では困難なことかも知れませんね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする