廃校と廃集落の風景

和歌山県、三重県を中心とした廃校のある廃村落を旅しています。

葛川小学校神下分校

2014-01-07 00:10:04 | 廃校
十津川村神下、大渡バス停の近くにある葛川小学校神下分校に行ってきました。この分校は、十津川村立葛川小学校(廃校)から2キロほど下った場所にあります。学校の跡地にある碑によると明治5年7月に創立(大杉)、昭和32年に当地に移転、昭和42年3月休校になり、後に幼児の保育施設として利用されていたようです。


バス停から少し入ったところに、校舎はひっそりと建っていました。


平屋建ての木造校舎は、閉校の後、幼児教室としてしばらく使われていたので、周囲に人の気配は感じられませんが、校舎、運動場とも整っていました。


窓もしっかりしています。




遊具も形を残しています。


内部も痛みが少なく、掃除道具が数年前まで人がいたことを知らせています。


芦尾小学校兵生分校・二川中学校兵生分校

2014-01-03 17:57:49 | 廃校
芦尾小学校兵生分校・二川中学校兵生分校 (昭和49廃校)

芦尾小学校兵生分校・二川中学校兵生分校は、和歌山県田辺市兵生の富田川と宮代谷の合流地点付近にあります。そこは兵生のなかで最も人口が集中した中心部でした。集落は橋を渡った斜面にあり、そこに分校の校舎が今も残っています。廃校後牛舎として利用されたため床は外されていますが、廊下や部屋割りはそのまま残されています。昭和49年、地区の集団移転に伴い閉校しました。今回の探訪で見つけた家屋は5、6軒ほどです。学校の裏手北側には、朽ちた寺があるとの情報を得ていましたが確認できませんでした。それらしき建物はありました。


国道311号線福定バス停で分岐。途中から未舗装の山道になります。


10kmほど進むと神社があります。神社まで進んで戻ると分かりやすいです。




神社の手前に二つの橋があります。北側の橋(神社から戻って最初の橋)を渡ると集落に入れます。もちろん、上の写真の橋です。




集落に入って最初の家です。40年前に集団移転したそうです。




校舎がありました。朽ち果てる寸前です。


校舎内には何もありません。


教員住宅でしょうか。


杉林の中に数軒の民家がありました。もちろん誰も住んでいません。お寺もあったらしいのですが確認できませんでした。


廃集落になる前の写真です。中央上が分校です。