れいの如く

朝鮮半島関連の所感を書きます。

10/24“国民大集会”雑感

2020-10-25 21:30:18 | 所感(集会、講演等)
 周知の通り、恒例の“国民大会”がこの10月24日に行われました。
 YouTubeでの配信もあったので、筆者はネットで視聴しました。
 内容は、相変わらずで〜まぁ、事態が進展しないので致し方ない面もありますが、特記すべきものはありません。
 そして、毎度のことですが、このイベントは被害者御家族のものではなく、議員・政治家たちのPRの場、そして憲法改正を主張する場になってしまったように感じました。
 別のところでも書きましたが、筆者の友人はこの集会を右翼の集まりみたいだと言っています。否定出来ませんでした。それゆえ、拉致問題に関心を持っていても集会に参加には二の足を踏む人もいることでしょう。また、今回の集会の視聴者の中には内容に幻滅し拉致問題そのものに対する関心を失くした人もいるかも知れません。
 救い(⁈)だったのは、横田さんの御子息を始めとする被害者御家族の言葉でした。真摯な言葉はやはり人の心を打つものです。
 個人的には、こうした御家族の思いを国籍民族を問わず多くの人々に共有していただきたいのです。そのためには、今のような集会のあり方は改めた方がいいでしょう。
 御家族の思いに共感し、そこからより多くの人々が心を合わせて問題解決に向かって進んでいく、そうした集会が今、必要なのではないでしょうか。
 

横田滋さん2

2020-09-27 21:40:26 | 雑感
 先日、ラジオを聴いていたところ、横田滋・早紀江夫妻に励まされたと言う女性アーティストの話が放送されていました。
 心身共に絶不調の時、横田夫妻に会い、励まされ、前向きに生きられるようになったとのことでした。女性アーティストは御夫妻に大変感謝したそうです。
 この話を聴きながら、改めて横田夫妻は立派な方々だと思いました。娘さんを拉致されて辛い思いをされているにも関わらず、他の人々の苦しみも理解して励ますのですから、本当に大したものです。
 御夫妻に限らず、拉致被害者・特定失踪者の御家族の方々は思いやり深い人々です。
 支援集会でお話される時も自分たちの苦しみだけを訴えるだけでなく、北の国民たちの苦難についてもきちんと語っていますl
 こうした心の広い方々ですので、人々は共感し、被害者救出のために協力するのでしょう。
 しかし、最近、SNS上で、被害者御家族に嫌がらせをするような書き込みが現れて驚いています。
 大切な家族を奪われ日夜苦しんでいる人々に追い討ちをかけるような行為をする人間が世間には存在するのですね。
 もしかしたら、御家族の発言や考え方が気に入らないのかも知れません。だからといって、こうした行為をするのはいただけません。子供じみたことです。
 自分の家族、親族、友人知人が突然、奪われ、生死も不明になったら、どう思われますか? 
 被害者御家族は数十年間悲しい思いの中で過ごしているのです。

救出運動雑感

2020-09-06 21:52:58 | 所感(集会、講演等)
 安倍首相の突然の辞任発表後、メディアでは毀誉褒貶、様々な評価が出ていましたが、個人的には拉致問題が解決しなかったことが残念に思いました。
 この件は首相本人も心残りに思っているようです。健康を取り戻したら引き続き取り組んで頂きたいと思います~首相の地位になくても出来ることですので。
 さて、このところ筆者のTwitterのタイムラインでは拉致被害者救出運動が内紛状態を呈しています。内容よく見れば一部の被害者家族の方を中傷することから始まっているのが分かるのですが、部外者(?!)から見れば内輪揉めのように見え、そして拉致問題には関わりたくないと思われたかも知れません。
 本来、国民が一丸となってやるべき拉致被害者救出運動ですが、数年前から分裂気味になってしまいました。今回の“内紛”もこうしたことが関係しているようです。
 実は筆者自身も数年前から被害者救出運動に懐疑的になっていました。
 筆者は“拉致疑惑”と云われていた頃から、拉致関係の集会や勉強会に参加していました。そして、被害者御家族のために何をすべきかあれこれ考えていました。
 当初は被害者御家族が自身の思いを訴えることが、こうしたイベントの目的でした。しかし、このことが次第に変質していき、ここ数年は被害者の思いよりも、改憲やその他本来の目的とは直接関係しないような内容が幅を利かせるようになってしまいました。同時に客席にいる人々も、いわゆる右翼的な人々が目立ったりして一般の人々は引いてしまうような雰囲気を醸し出すようになってしまいました。その結果、被害者救出運動=改憲=右翼というイメージになってしまったように思いました。いわゆる“運動”とは無関係の筆者の友人は、拉致被害者救出イベントを右翼の集会と言っていました。
 こうしたこともあり一時期、筆者はこの類のイベントから距離を置いていました。ただ被害者御家族のことを思うと無視も出来ず、最近は出来るだけ参加するようにはしています。
 筆者自身このような状況でしたので、数年前、拉致被害者救出運動団体が分裂したという消息を耳にした時、有り得ることだと思いました。ただ、このことが救出運動にマイナスになるのではないかと危惧はしていました。
 周知のように、この6月5日被害者救出運動のシンボル的存在の横田滋氏が世を去りました。これを機に拉致問題の関心が高まるのではないかと思ったのですが残念ながらそうはいきませんでした。“コロナ”ゆえそれどころではなかったのかも知れませんが、メディアの扱いは冷たかったように感じました。
 こうしたところに冒頭のTwitter上の“内紛”です。人々の関心はますます遠のくことでしょう。
 御家族への中傷は論外ですが、上記したように昨今の救出運動には疑問を感じることはいろいろあります。だから筆者自身も“一丸”にはなれそうもありません。他にもこうした考えの方はいらっしゃることでしょう。人々にはそれぞれの考えがありますので。
 このことを踏まえて、日本政府や関係部署の方々にお願いしたいのです。
 世論など気にせず、とにかく拉致被害者を奪還して頂きたいのです。拉致された国民を救出するのは国家の義務です。このことを胸に刻んで行動して欲しいのです。手段は問いません。皆さまが最善と思われる方法でよいのですから。
 結果的に被害者が御家族のもとへ戻れればそれでよいのですから。


横田滋さん

2020-06-28 21:22:28 | 雑感
 横田滋さんに初めてお目にかかったのは、確か川崎市で行われた小さな学習会だったと思いますーいや、もしかしたら、それ以前に行われた講演会だったかも知れません。いずれにしろ20世紀(笑)のことでした。
 その頃の滋さんは、お世辞にも話し上手とは言えませんでした。それはそうでしょう、引退した普通のサラリーマン男性が人前でうまく喋れるわけがないのです。それどころか、こうして人前で話すことは、とてもしんどいことだったと思います。筆者自身、人前に出ることは嫌なので理解出来ます。
 そうした方が敢えて人前に出たのですから事の重大さを実感しました。と同時に、横田さんたちを支援している関係団体の人々はこうした心情が分かっているのかと思いました。この思いは今もあります。
 人間とは環境に慣れていくものですね、筆者が講演会や集会に行くたびに滋さんは話すのが上手になりました。それは悲しいことでした。何故なら、それほど長い間、問題が解決しないということなのですから。
 他の被害者家族の方々もそうですが、横田さんは自分の苦しみのみを訴えませんでした。家族を奪われた悲しみと共に、このような酷いことをするかの国に暮らす国民の苦難にも深く心を寄せていました。それゆえ、北に家族がいる在日の人々からも共感を得たのだと思います。
 滋さんの訃報がメディアに流れた時、多くの人々が「御冥福をお祈りします」といっていましたが筆者はとても口に出来ませんでした。
 最愛の娘に会えないまま世を去らなければならないことをどれほど悔やんだことでしょう。とても安らかに眠ることなど出来ないでしょう。
 滋さんの胸中を思うとつらく、そして改めて自身の無力さも感じるのでした。
 しかし嘆いてばかりはいられません。自分の出来ることを少しでもしなくてはと思っています。
 

光射せ!第7号を読んで

2020-05-04 15:11:18 | 感想文
 数日前、星へのあゆみ出版事務所へ行った夢を見ました。忘れ物を取りに来たようなのですが、それ~ストールだったようです~があったのかどうかは分かりません。ただ部屋の中は片付いていて、本棚にはありきたりの日本語の本が並んでいました。
 目が覚めてから何故あのような夢を見たのか考えました。ラジオから流れた萩原編集長の兄上である木津川計先生のインタビューを聞きながら寝入ったせいかも知れません。いえ、「光射せ!」の萩原編集長の追悼号の感想文をまだ書いていないためでしょう。
 ということで同誌の感想を少し記してみたいと思います。
 今回、追悼号を一読して感じたのは萩原遼という人物は実に多様な顔をもっていたということです。
 筆者の知っている萩原遼は、北朝鮮の圧政に苦しめられている人々~国籍・民族問わず~のために戦う元日本共産党員のジャーナリストでした。
 現在では信じられないことですが、70~80年代の日本の朝鮮半島研究者の大半はハングル文が読めませんでした。そうした中で萩原編集長は韓国(朝鮮)語が分かり、現地の資料に目を通して執筆・発表していました。当時の筆者もある程度ハングル文が読めたため、朝鮮半島関係の記事の良し悪しが分かりましたので、この人は“本物だ”と思いました。
 以後、萩原遼は筆者にとって朝鮮関係の唯一の師匠になりました(但し自称“弟子”)。
 しかし、「光射せ」で語られている萩原遼は、詩人であり、文学者であり、芸術愛好者であり、良き弟であり、頼りになる兄であり……筆者の知らない面が多々ありました。
 あと数年、編集長が生きていらっしゃれば、こうした面も知ることが出来たでしょう。
 筆者がこの雑誌に寄稿した文を執筆していた頃は、まだ、気持ちが整理出来ずにいました。編集長は韓国か米国に取材に行っていて、もうじき戻ってくるように感じたのです。それゆえ、“ご冥福を”などとは書けませんでした。
 最近になって、ようやく編集長は今頃、あちらの世界で金正日総書記を突き上げているだろうと思うようになりました。
 と同時に、編集長に聞きそびれたことが多くあることに気付きました。そのことがとても残念です。
 また編集長御自身も言い残したことが多々あることと思います。まさか、こんなに早くあちらの世界に行くとは思わなかったでしょうから。
 よく“心の中に生きている”という表現が使われますが、編集長が亡くなって以後、これを実感するようになりました。朝鮮半島関係のニュースを耳にするたびに、編集長はどうおっしゃっただろうと考えます。筆者の心の中には編集長はまだ生きているのです。