「最後の仕事?」
和久の思惑が分からない千恵子は、和久を見詰めて問い掛けた。
「昌、今日の調理は手伝う必要は無い! その代り、献立と同じ料理を三人分作るのや、お前一人で……それと、調理場に居る皆の試食を! ええかっ!」
「はい、兄さん! 分かりました……」
千恵子にも昌孝にも、和久の意図は分からなかったが、昌孝は気持ち良く返答して部屋を出て行った。
全ての料理を出し終えた和久と梅田は、千恵子が待っている部屋に行く。
千恵子に挨拶をした二人が席に着くと、直ぐに料理が運ばれて来た……客に出す料理の手順と同じように出された料理。
三人は、昌孝が一人で調理した料理を味わった。
「女将さん、梅田さん……昌孝の料理は如何でしたか?」
満足したように聞く和久。
「料理長、まるで料理長の料理を頂いているようでした! 昌孝さんの精進には感服いたしました……申し分の無い料理でした」
梅田の言葉に耳を傾けていた千恵子。
「霧野様、ありがとうございました」
礼を言った千恵子は、そっと目頭を抑えた。
「梅田さん、此れまでの様に昌孝を助けてやって頂けませんか? お願いします……」
昌孝の調理を見せ付けた上で、梅田に頼む和久。
「料理長、ありがとうございます……精一杯務めさせて頂きます」
快く承諾した梅田。
一方で、昌孝の料理を試食した料理人達は、誰もが昌孝の料理に感服していた。
和久は言葉ではなく、昌孝の実力を見せ付ける事で、その力を認めさせたのである。
調理場に来た千恵子は、全料理人の前で、昌孝の料理長就任を伝えた。
満足して千恵子の訓示を聞いた和久。
「皆さん今の笹の家は、大阪の太閤楼にも匹敵する位に成っています! 此れからも精進して、新しい料理長の手助けをして下さい……お願いします」
和久の挨拶が終るや、昌孝も深々と頭を下げた。
「皆さん! 若輩者ですが、宜しくお願い致します!」
短いが、心の籠った挨拶をした昌孝。
昌孝の挨拶を聞いた料理人から拍手が起こり、昌孝の料理長就任を心から認めたのである。
全てを昌孝に託した和久は、風呂に行き部屋で休んでいた……暫く休んでいると、ドアがノックされて千恵子が入って来た。
和久の前で正座をして、両手を付いた千恵子。
「霧野様、この度は誠に有難うございました! 何とお礼を申し上げれば良いのか……」
言葉に詰まり、深々と頭を下げた千恵子。
「女将さん、顔を上げて下さい……全ては御子息の精進です! 私は少しだけ提案をしただけです……御子息は良く精進をしました! 素晴らしい御子息です……」
息子の為に礼を尽くす千恵子を見て、心地よい安らぎを感じた和久である。
「霧野様、ありがとう御座います……」
我が子が精進する姿を、陰で見守ってくれた和久……和久への感謝を伝えたかった千恵子だが言葉が続かなかった。
「女将さん、御心配には及びません……口出しはしませんが、お約束の期日までは調理場に居ますから……それから霧野様は照れ臭いですから、和久とか和で良いですから……」
千恵子の心配ごとを汲み取って、安心させる和久。
「何から何まで御心配りを頂きまして、有難う御座います! 和さん……」
千恵子は照れながらも、和久の名を呼んで頭を下げた。
子を思う親の気持ちに触れた和久は、千恵子と共に部屋を出て、朱美の店に歩いて行く……店は相変わらずの満席で、和久を見た朱美は大きく手を上げて手招きをしている。
何時もの席に座り、何時もの肴を頼んで飲んでいると、客の一人が立ち上がった。
「朱美ちゃん、悪いがテレビを点けてよ! 引退した茜 夕子の特集が有るから……」
客が言った途端に、店内から大きな拍手が起こった。