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2006年5月からの記録
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渋谷恭正被告

2021年03月23日 | ヒトゴロシ
女児殺害、元保護者会長に二審も無期懲役

千葉県松戸市で2017年、ベトナム国籍の女児=当時(9)=を殺害した罪に問われた小学校の元保護者会長渋谷恭正被告(49)の控訴審判決で、東京高裁は23日、無期懲役とした一審判決を支持し、検察側、弁護側双方の控訴を棄却した。
(共同通信 2021.3.23)

千葉県松戸市で2017年3月、市立小3年でベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンさん(当時9歳)を殺害したとして、殺人やわいせつ略取誘拐などの罪に問われた同じ小学校の元保護者会長・渋谷恭正(やすまさ)被告(49)の控訴審判決が23日、東京高裁であった。平木正洋裁判長は、無期懲役とした1審・千葉地裁の裁判員裁判の判決を支持し、死刑を求刑した検察側と無罪を主張した弁護側の控訴をいずれも棄却した。。
(読売新聞 2021.3.23)















2017年(平成29年)3月24日に千葉県松戸市で小学3年生の女児が行方不明になり、翌々日に同我孫子市で遺体で見つかった事件。
2017年3月24日、千葉県松戸市在住、千葉県松戸市立六実第二小学校3年生女児児童A(当時9歳、ベトナム国籍)が、登校で自宅を出たまま行方不明になり、同月26日の朝に同県我孫子市北新田の排水路脇の草むらにて絞殺体で発見。また、遺体発見現場から約20km離れた茨城県坂東市の利根川河川敷で、被害者Aのランドセル及びAのものとみられる衣服が見つかった。警察は殺人・死体遺棄事件として捜査し、同年4月14日にAが通っていた同小学校の保護者会元会長の男Bを死体遺棄容疑で逮捕。現場の遺留品のDNAの型がBのものと一致したことなどを逮捕理由としている。容疑者Bはその後殺人や死体遺棄容疑等の罪で起訴。保護者会元会長の男B被告は容疑を否認。
Aの遺体はベトナムに運ばれ、そこで葬儀が行われた。
Aの父親は、Bについて「まだ本当の犯人かは分からないけど、犯人を罰してほしい。直接、会って話したい」と話した。
また、Aの父親は、Bが真犯人だった場合の「Bへの死刑の適用」を求める署名活動を行っており、現在のところ100万人を超える署名が集まっており、その多くはAの祖国であるベトナムからの署名であった。署名はベトナムや日本だけでなく、世界中の国々の人々から送られている。
事件発生から3年後の2020年3月Aの通っていた小学校で同級生の卒業式が行われ、父親がAの卒業証書を代わりに受け取った。 
被告人Bについて
Aの同級生の親を名乗る人物は「児童の誰もが知っているような人」と話し、Bと同じマンションで隣の部屋に住む住人は「2人の小学校の子供がいて、とても子煩悩で温厚な人」と話し、Bの高校の同級生は「大人しい存在」「目立たず、いつもぼーっとしていた印象がある」と話した。また、Bの元勤務先の同僚によると、Bは小中学生が出演するイメージDVDを収集していたといい、15歳以下の女性にしか興味がなかったという。更に、元上司は「DVDは持ってきていました。カバーの画像が全部、子どもなんですよね。日本人の子どももいましたけど、東南アジアの子が多かったですね。子どもみたいなアイドルが好きと言っていた。若ければ若いほどいいと」と話した。実際に、警察は裏DVDを押収している。この元上司はBが面接時のアンケートに、自分の性格の好きな点について「一つの事に集中できる所、社交的な所」と記していたといい、Bは「真面目で仕事はできる方で、第一印象はよく喋ってコミュニケーションが取れる人」だったという。しかし、その一方で「ちょっとキレやすいタイプ。自分の思うように事が進まないと声を荒らげたりするっていう部分が半年くらいすると見えてきた」と話した。
2008年作成の履歴書によると、趣味は模型製作、柔道、ソフトボールとしている。
高校は柏市(旧沼南町)の県立高校に通い、2年次の修学旅行の感想では「修学旅行を終えて、月日のたつのが早いなぁとつくづく思った。学年集会やなんだかんだとやったのに現地に行ったらあっというまに、四日間たってしまい、この四日間あまり有意義に過ごせなかったような気がした。でも、同じ部屋の人達とは、さんざん騒ぎまわって夜遅くまでおきていた。けれど、先生にはバレなかった。なにか変な文章になってしまった。」と記していた。1990年に卒業し、卒業文集には「いざさらば、さらば青春、さらば淑女達、もうあの瞬間は二度ともどらないものだから。野田市と沼南町のじゃぱんであいませう。」と寄稿していた。高校卒業後は専門学校(高校の卒業アルバムによると、都内の調理師を目指す学校)に進学したものの中退し、その後何度か転職している。 2009年頃に子供が生まれたといい、元勤務先の上司は「いつも子供を抱っこしていたし、子供をあやすのも上手かった」と話した。 
被告人Bと事件の関わり
BはAの通学路などで児童の登校を見守る活動をほぼ毎日しており、Aとハイタッチする姿も目撃されていた。また、近所住民の証言によると、事件前には複数の児童に「車で送って行こうか?」などと声掛けをしていたという。
Aの行方不明当日、Bが普段は徒歩で送り届けている自分の子供を軽自動車で送る姿が目撃されていた。また、Bは軽自動車の他にキャンピングカーを所有しており、Bの軽自動車がAの自宅近くからBのキャンピングカーが駐めてある駐車場方向へ走っていく様子が、防犯カメラやドライブレコーダーに映っていた。更に、Bはほぼ毎日参加していた見守り活動にこの日は現れず、近隣住民によるAの捜索にも参加せず、保護者の会のメンバーからの電話にも出なかった。Bは軽自動車で自分の子供を送った後Aを連れ去り、その後キャンピングカーに連れ込んだとみられている。また、Bの軽自動車が遺体発見現場と遺留品発見現場を何度も行き来しており、Bが遺体や遺留品の遺棄にも車を使ったとみられ、逮捕後2台の車が押収されている。BはAの遺留品を捨てた後、Aの遺体を遺棄したとみられている。Bの自宅からは紐や鞘付きのナイフも押収され、Aの遺体には首を締められた痕や手首を縛られた痕が見つかっていることから、警察はこれらの押収物が犯行に使われたとみている。
遺体発見翌日に行われた保護者の会では、Bは事件への関与の有無を尋ねられ、強い口調で「アリバイがあるからやめてください」と答えた。また、Bは事件後、Aの遺族の帰国を支援するための募金を呼び掛けており、2千円を募金したという主婦は「保護者はみんな募金した」と話した。しかしAのお別れ会には「家族全員がインフルエンザにかかった」と説明して欠席し、その後ある男性に「Aの会に参加しなかったので、保護者会の人から批判された。犯人じゃないかと疑われている」と淡々とした顔で話した。
Bは逮捕前の任意の事情聴取では「遺棄現場の方向には行っていない」と、防犯カメラに捉えられた車の動きと異なる趣旨の説明をしていたが、逮捕後は雑談には応じるものの事件については黙秘。事件は単独犯によるものとみられており、Aの遺体に残された遺留物のDNAがBと、Bの軽自動車の後部で採取された毛髪のDNAがAと一致したため、警察はBがAを軽自動車で連れ去った後、遺体を遺棄するまでの間に殺害した可能性があると判断し、5月5日にBを殺人とわいせつ目的誘拐、強制わいせつ致死の容疑で再逮捕した。2017年5月26日、千葉地方検察庁はBを殺人、強制猥褻致死、猥褻略取誘拐、死体遺棄の罪で起訴した。 



リンちゃん殺害事件、被告がまさかの両親批判
(2018年6月19日 週間女性PRIME)

「(起訴状の内容は)すべて違います」

 千葉県松戸市のベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(享年9)が殺害・遺棄された事件の裁判員裁判で、強制わいせつ致死、殺人などの罪に問われている渋谷恭正被告(47)が最初に発した言葉だ。

        遺体から渋谷被告の唾液が       

 起訴状によると、被告は昨年3月24日、わいせつ目的でリンちゃんを車に乗せて連れ去り、首を圧迫して窒息死させ、遺体を同県我孫子市の排水路脇に遺棄したとされる。

「被告は、警察がDNA検査などの証拠を捏造した可能性があると言い、無罪を主張しています」(全国紙記者)

 裁判は、千葉地裁で6月4日から始まった。被告は肩までのびた白髪まじりのボサボサ髪で足元がおぼつかない様子。

 被害者参加制度を利用したリンちゃんの父・ハオさん(35)は連日出廷し、母・グエンさん(31)は衝立で傍聴席から見えないようにして13日の証人喚問から参加した。夫婦の傍らには笑顔のリンちゃんの遺影が置かれた。

 両親と向き合うかたちの被告は一切目線を合わせようとせず終始、無表情。時折、顔をかいたり、鼻をこするなど緊張感を欠いていた。

 被告が所有するキャンピングカーからは、金属製SM用手錠、ヒョウ柄の手錠、バイブレーター4本、フェイスマスクなど“大人のおもちゃ”が10点以上、押収されている。

 遺体の顔、耳、胸、下腹部から渋谷被告の唾液が検出されており、腹部からは被告とリンちゃんの混合DNA型が検出されている。

「膣や肛門には棒のようなものを挿入したときなどにできる出血や傷も見られたようです」(前出・全国紙記者)

 リンちゃんの通っていた小学校の保護者会長だった被告は事件当日、登校の見守り活動を「母親を介護するため休む」と校長らに伝えたとされるが、被告の母親は2001年に死去していたことがわかっている。

 被告は裁判でこの矛盾について、法廷で証言した校長・教頭がウソをついていると言い張った。

 リンちゃんの両親を前に、「事件を知ったときは面倒くさいことになったと思った」「捜索活動は依頼されていないからやらなかった」などと開き直る一幕もあった。

 14日の被告人質問では非常識な謝罪も飛び出した。弁護士から「何か言いたいことはありますか」と振られると、「あります。リンちゃんのご両親に言いたいことがあります」と声をうわずらせ、「私が犯人だと思われている中で、私が行った募金を受け取ってくださってありがとうございます」と述べた。それが最初に言いたいことだった。

「見守り活動をしていたのに守ることができなくてすみません」と続け、目元をぬぐうしぐさを見せた。

リンちゃんの両親を責める被告       

 ところが……。

「被告を真横から見ていたが、目元に水みたいなものは見えなかった」(被害者側弁護人)

 と“ウソ泣き疑惑”が浮上。同じ日の午後に行われた検察側の尋問では、もしいなくなったのが自分の娘だったら捜索に協力してもらえなかったときにどう思うかと問われ、

「登校中なら親が悪い。校内なら教員が悪い。(リンちゃんの事件は)通学途中のことなので親の責任だ」

 あろうことか、リンちゃんの両親を批判し始めた。また、自分の娘が性的な被害を受けて殺害されたら許せるかと問われると、

「許すことはできません……。なので私は子どもと一緒に学校に行っています」

 と言い放った。

 これには裁判長も驚いたようで、「午前中は“見守り活動で守れなくてすみません”と言っていたが矛盾するのではないか」と真意を尋ねた。

 すると渋谷被告は、

「見守り活動をしていたのに見守れなかったので謝りました。親がボランティアのところまで連れてくれば見守る。連れてこられなければ見守れない。だから親の責任です」

 と、再び両親を責めた。裁判長が「子どもを殺害された親に言っていいことではないのでは」と苦言を呈すると、

「(親が)守っていればこんなことにはならなかったと思う。事件当日、リンちゃんのお父さんは仕事に行く前に時間があったと聞いたので送っていけた。ひとりで行かせたから事件に遭った」と全く態度を改めようとしなかった。

 被告から残酷な言葉を次々と浴びせられた父・ハオさんが感情をむき出しにしたのは翌15日のこと。

 ハオさんは「妻は夜眠れない。常に泣いている。自殺しようと考えていたこともありそんな状態が今も続いている」と述べ、リンちゃんの弟(4)についても、

「弟は娘が亡くなったことを知らない。毎日どうしてお姉ちゃんが学校から帰ってこないの? いつ帰ってきますかと聞きます。(リンちゃんを)誰が殺したの? って聞いてくるんです。なんて答えたらいいか……」

 と涙で言葉を詰まらせた。

 衝立の向こうから母・グエンさんのむせび泣く声が法廷内に響いた。

        助けを求めて叫ぶ娘の声       

「娘は“殺さないで”と命乞いをしていたはずなのに、なぜ殺した。許すことはできません。犯人は悪魔だ!」

 とハオさん。

 しかし、渋谷被告は顔色を一切変えることはなかった。

 裁判長はグエンさんの意見陳述書を読み上げた。

《私は娘の遺体を引き取った時の感覚を死ぬまで忘れることはないでしょう。殴られて腫れ上がり、あざができた娘の顔、棺の中で横になり、つむられた娘の目、娘の冷たい手を握った私の心は、千もの針で突き刺されたようでした。私は泣くことも叫ぶこともできませんでした》

 グエンさんの鼻水をすする音が法廷に響いた。

《私は眠りにつくたびに、助けを求めて叫ぶ娘の声で目が覚めます。この痛みを言い表せる言葉はありません》

 初公判の前日に記者がリンちゃんの自宅を訪ねたとき、仏前にはリンちゃんの満面の笑みの写真とたくさんの果物が供えられていた。取材に丁寧に応じてくれたハオさんは、

「裁判で、何があったのか真相を突き止め、犯人を処罰してほしい。でないと、娘に報告できないし、死刑にならないと娘は天国に行けない」と話していた。

  裁判は18日に結審。どのような判決が出るだろうか。
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