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夫をノコギリで殺害 丸洋子

2021年10月15日 | ヒトゴロシ
懲役8年…裁判で見えた「ノコギリ惨殺老婦」の複雑すぎる家庭事情

自宅で夫の首をのこぎりで切り殺害したとして殺人罪に問われていた妻の裁判員裁判で、横浜地裁(景山太郎裁判長)は9月17日、懲役8年の判決を言い渡した(求刑懲役12年)。

判決などによると丸洋子被告は今年の3月5日午前、茅ヶ崎市の自宅において夫の寿雄さん(83=当時)の首をのこぎりで切り付け失血死させた。事件の悲惨さの背景を追っていくと、どの夫婦にも、そしてどの家族にも起こり得る事情が浮かび上がってくる。 

 同月8日の初公判。乱れたグレイヘアに、銀縁眼鏡、薄緑色の半袖ブラウスと黒いパンツという服装の丸被告は、ヨロヨロとした足取りで弁護人席の前にある長椅子に座った。 罪状認否で裁判長に「公訴事実にどこか違っているところはありましたか」と問われ、首を横に振りながら、かぼそい声で「いいえ」と答える。夫に馬乗りになり、その首を切ったという行為が結びつかないほど弱々しい。 罪状認否で起訴状の内容を認めており、争点は量刑のみ。ところが公判はスムーズには進まなかった。最初は静かだった丸被告が、途中から、ほぼ無言ながら身体全体を動かし、音を立て始めたのである。 様子が変わったのは、双方の冒頭陳述が終わり、休廷を挟んだのち法廷に再び現れてからだ。椅子に座った被告は両手を組んで背中を丸め、また背中を起こし、自分の額を手のひらで何度も叩く。そしてまた、背中を丸めて、起こし……を繰り返す。その途中で勢いがつき、背中を丸めるタイミングで床に倒れ込んでしまった。 職員に抱えられて一旦、法廷の外に連れられてゆく。再開予定時刻を約10分過ぎたところで法廷に現れた被告は、左にヨロヨロ、右にヨロヨロと、歩くことすらおぼつかなくなっていた。不穏な空気漂う中、検察官による証拠書類の読み上げが始まったが、現場の状況を示す証拠が法廷の大型モニターに映し出されたころから、再び被告が、前後左右に体を動かし始めたのだ。時折唸り声をあげながら、手のひらで額をパチンパチンと叩いたり、縦に横にとゆっくり首を振ることを繰り返した。 「まーるさん、何か言いたいんですか?」 裁判長がそう問いかけても、被告は何も答えず、その代わりか、手のひらで自身の頭をペチンペチンと叩き続けながら、今度は足を踏み鳴らし始めた。 「まーるさん、やめてください」 裁判長がたびたび呼びかけても、何も言わない被告だが、体を揺らしながら足踏みをしたり、頭を叩く行為はやめない。再び休廷を挟んだが、その後は「できない~、できないよ~、できないよ~」と小さな声で繰り返しながらバタバタと足を踏み鳴らす。こうした行為により、丸被告は退廷させられ、被告人不在で審理が行われた。翌日も被告人質問まで、丸被告の姿は法廷になかった。 被告の行為の理由が判然としないまま続けられた審理によれば、丸被告は事件当時、夫の寿雄さんについて強い嫌悪感を抱いていたという。それは寿雄さんの長年の行い、そして生活態度にあった。 被告は寿雄さんと1970年に見合い結婚し、長女、長男を出産する。長女が結婚し、独立したのちの1998年に一旦離婚。長男と寿雄さんふたりが自宅を出てアパート住まいをしていたが、2005年に再婚し、自宅に戻った長男と寿雄さんと3人で暮らしていた。だが「寿雄さんは当時、ほぼ1日、1階の六畳和室に引きこもる生活」(検察側冒頭陳述より)だったという。 さらには「長年風呂に入らず、部屋を出るのはトイレの時だけ、長男や被告人が渡すパンやおにぎりなどの軽食を食べ生活していた」と、自宅にいながら完全な引きこもり生活を送っていたことが明らかになった。 「昼食はコッペパンとアイスクリーム、夕食は買いだめしていたオニギリを渡すだけでした。着替えは、1年に一回、パジャマ着替えてました。『着替えて』って言って渡して、着替える」(証人尋問での長男の証言) 証拠として大型モニターに映し出された現場の六畳和室は、扉の障子がビリビリに破れ、また寿雄さんの吸っていたタバコのためか、それとも風呂に長年入っていなかったためか、黄ばんでいた。寿雄さんの髪は腰付近まで伸びていたと長男は証言する。 そんな寿雄さんに対して丸被告は「若い頃に家計にお金を十分に入れなかったことや、家事育児を一切しなかったことを恨みに思っており、その悪臭や生活態度に強い嫌悪感を抱いていた」(検察側冒頭陳述)ために、恨みつらみをノートに書き綴る毎日を送っていたのだという。 

「のこぎりで滅多切り 3/5 決めた」

精神疾患のある長男は通院日の午前中が不在になる。次の通院予定日に決行することを決め、こうノートに書き記した。丸被告は、以前、両手を骨折したためか、包丁を使わなくなり、自宅にある刃物は、ハサミとノコギリだけだった。その日に備えたのか「事件前にノコギリで木を切りだした」(長男の証言)という。 そして当日。長男が車で病院に出かけたのを見計らい、玄関に置いてあったノコギリを手に取り、六畳和室へ。仰向けに寝転んでいた寿雄さんに馬乗りになり、頭部や顔面を切り付けはじめる。寿雄さんに抵抗され、もみ合いになりながらも、首元を3回程度切り付けた。その後も馬乗りになり、息を吹き返さないか確認し続けたという。 

 「滅多切りした、成功」 丸被告からのそんなメールが二通、携帯に届いていたことに長女が気づいたのは、その日の夕方。友人とコストコで買い物をしている最中だった。友人の運転で慌てて実家に駆けつけた長女に促され、被告自ら110番通報したのだった。長女は事件2日前、丸被告からリュックを渡されており、その中には通帳や土地の権利書などが入っていた。 さて被告は法廷では足を踏み鳴らすなどの行為を繰り返し、またその理由も話すことはなかったが、逮捕後の取り調べにおいては、事件を起こした理由を詳細に語っている。 
「夫の寿雄を殺しました。今の気持ちはほっとしたという感じです。力で負ける女の自分は夫を殺せるか分からなかった。殺すことができてほっとしている。 見合い結婚したが、好きだと思ったことは一度もない。暴力振るうところが一番嫌いでした。顔を殴られたことは3回あります。それ以外にも、殴られそうになったり、ものを投げられたことは何度もあります。 他にも嫌いなのは、お金をくれないところです。工場勤めだった寿雄は、結婚3ヶ月後から、給与を渡さなくなり、最初のボーナスもくれませんでした。給与はほとんど酒やパチンコなどの遊びに使っていた。私は働き詰めで家計を支え、子供を育ててきました」(丸被告の調書より)

 その後、一度は離婚したが、寿雄さんは酒による栄養失調で入院し、退院後は一時介護が必要な状態になった。オムツを替えるなど元夫の介護を行いながら「長男に介護は無理、娘にもやらせるわけにはいかない」と、復縁を決意したのだという。

 「夫の嫌なところは他にもある、それは臭いです。17年以上風呂に入っておらず、結婚後、一度も歯磨きをしていない。食事やトイレで和室の扉を開けた時に耐えられない悪臭がする。マスクをしたり、息を止めていても、夏場の臭いは半端なものではない」(同) 

そして事件の数ヶ月前。 「杖をついて外を歩いているとき、急にフラッとよろけて動けなくなりました。あとから息子に地震があったと聞きましたが、少しの揺れでもバランスを崩す。体力が落ちていると思った。私には寿雄と結婚した責任がある。子供に迷惑をかけるわけにはいかない。だから夫を殺そうと思った。誰にも言っていない」(同) 

丸被告は、9日の被告人質問になり、ようやく4人の職員に連れられ法廷に現れたが、足踏みだけでなく、証言台を手のひらでバンバンと叩く行為を繰り返した。だが裁判長による根気強い問いかけにより「分からない」と小声で答えたり、また首を縦や横に振ることで意思を示すようになっていた。 裁判長「今現在、辛いですか?」 丸被告「………」 裁判長「辛いですね、何が辛い?」 丸被告「全部」 裁判長「娘さんや息子さんに、あなたがしたことで影響が及ぶと思いますか?」 丸被告「思います」 裁判長「そのことも、辛いことの中に入ってる?」 裁判長の問いかけに被告はうなずいていた。このように若干の意思表示がみられるようにはなったが、判決では、被告の態度について「罪に真摯に向き合う態度はうかがえない」と指摘されている。 証人出廷した長女は「(事件を起こすぐらいだったら)私に相談して欲しかった」と被告への思いを語っていた。しかし被告は、今でこそ相談しておけばよかったとは思うものの、当時は“相談していればとは思わなかった”という。 家族だけでなく近所にも自身の苦しみや決意を気取られぬよう、密かに決意し、実行した。親の手が必要な子と、1人では生きられない夫を抱え、周囲にSOSを出さず過ごしてきた丸被告のように、誰にも言えない家族の事情に悩んでいる人は、きっと他にもいる。 

(フライデーデジタル 2021.9.24)


夫をノコギリで惨殺した妻「スッキリした」、50年にわたり耐え続けた壮絶なDV被害

「スッキリした」。夫を殺害したあと、そう話したという妻。17年にわたって引きこもる夫、自身に迫る体調不良、コロナ鬱──。妻を追い詰めるには十分すぎる理由があった。妻の全裁判を傍聴した作家・北原みのりが見た事件の真実とは──。

今年3月、夫(83)をノコギリでひき殺した女性(76)が逮捕された。女性は自首した警察で、夫への長年の恨みを語ったという。
 なぜ、ノコギリだったのか。なぜ包丁でなかったのかが、強くひっかかった。事件の背景を知りたい。その思いで横浜地裁での裁判を傍聴した。

女性は1945年に神奈川県茅ヶ崎市で生まれた。男女平等教育を受けた世代だが、就職した会社で女性がずっと働ける時代ではなく、25歳で見合い結婚をした。
 7歳年上の夫との生活は、「一日も心安らかに過ごしたことがない」ものだと、女性は日記に書き残している。給料は夫がパチンコと酒に費し、「お金をください」と女性が頭を下げればわずかをよこすが、飲んでは物を投げ、殴る素振りで脅し、時には実際に殴られた。飲まずとも、「クソババア」「バカか」の罵りを毎日浴びてきた。
 女性は簿記一級の資格をもち、経理を勉強し再就職を望んだが、現実は厳しく、スーパーのパートなどで2人の子を1人で育てあげた。積年の願いだった離婚ができたのは、娘が独立し、夫が定年を迎えた年、53歳だった。
 警察に「退職金をもらえなかったので離婚した」と書かれた調書に、女性は「退職金をもらえなかったけど」と書きなおすよう要求したという。それは重大な違いだったはずだ。罵られない日常を生きるための離婚、53歳で得た自由だ。その人生が地獄に転じたのは、わずか6年後だった。夫が栄養失調で倒れ、介護が必要になったのだ。
 アルコール依存症患者が入所できる介護施設はなかった。入院をすすめられたが、そんな余裕はなく、結局、夫を引き受け再婚した。それは以前とは別の次元の暴力の始まりだった。
 夫は下の世話をしてもらいながらも暴言を吐いたという。あまりの臭さに吐きながらオムツを替えたこともあった。やがて夫は自力で排泄できるまで回復はしたが、今度は、自室に引きこもった。トイレには行くが、歯は磨かず、風呂に入らず、下着を替えず、雨戸の閉じた部屋で1日中テレビをつけゲラゲラと笑い、時に奇声を上げた。
そんな生活が17年間続いた。
 
女性が日記をつけはじめたのはいつだったのか。証拠として出されたノートの表紙は花柄で、女性の名が書かれていた。そこには女性の叫びが、短い言葉で綴られていた。
《T(夫)のこと、何もかも嫌い。特に声が嫌い》《結婚したこと自分を責める日々》《Tは100才まで生きる。それは困る。50年の憎い》
 
救いだったのは娘と3人の孫の存在だった。子育てに関わらず、母に暴言を吐く父は、娘にはいないに等しい存在だっただろう。「(夫が)早く死んでほしいな」と冗談っぽく母が言うのを聞き、少しでも気分転換できるよう買い物によく連れ添った。それも去年以降、コロナ禍で絶えた。

法廷での女性は、はっきりと「壊れて」いた。自分の額を叩き、足を床に叩きつけ、うなり声を上げた。検察が事件を語りはじめると「できないよお」と身をよじった。そしてそういう女性を、法廷中がもてあましていた。検察は苛立ち、弁護士に「なんとかしろ」というように迫った。女性の手首は真っ赤に腫れていた。手錠のまま暴れたのだろう。
 弱った身体で必死に抵抗する姿は、女性が裁かれる状況にはなく、今すぐにでも精神的なケアが必要であることがわかる。裁判中、目の前で虐待が行われているような思いに何度もかられた。

'20年10月、通院した病院で、女性は「肺に影がある」と言われた。“子どもに夫の世話をさせることになる”。夫よりも先に死ぬかもしれない悔しさは、どれほどだったか。そのころ、女性は日記にこう書いている。
《今日Tが死ぬ。Tを殺す》
 この日記について、女性は警察でこう話している。
「書いた後にとてもスッキリした。これまで願っていただけだったが、書いて初めて、具体的に(殺そうと)思った」
 
殺す日は3月5日と決めた。息子が通院のために留守にする日だった。凶器はノコギリと決めた。83歳の夫とはいえ、間違ったら自分が死ぬ。ノコギリなら確実に殺せると考えたのだ。なにより、家には包丁がなかった。

娘が家を出てから、女性は料理をしなくなったという。とはいえ、普通、包丁は捨てない。包丁を捨てたのは、それが凶器になるのを恐れたからなのではないか。DVの家で女性が包丁を隠し、捨てるのは珍しくない。現に、証言台に立った娘はこう話した。
「子どもの私がケンカを止めようとしたとき、父に包丁を向けられたことがあります」
 裁判官らは娘に、「何回暴力を見たか」「平手か」など暴力の回数や強弱にこだわる質問をした。酒を飲み暴れる男そのものが凶器であることが想像できないのだろう。
 その日、女性は夫の部屋にマスクをして入った。「昼か?」と夫は聞いたという。「いいえ」と女性は答え、夫に馬乗りになった。抵抗され女性も負傷したが、首に思い切り刃をあてるとおとなしくなったが、息を吹き返さないよう、胸の上に乗り続けた。
 帰宅した息子は、馬乗りの母を見たが、「自分の部屋に行きなさい」と命令され自室にこもった。しばらくしてリビングに行くと、鏡台の前に座る母は「スッキリした」と言ったという。それからいつもの“お母さん”の口調で「あなたは施設に行きなさい」と告げた。女性は娘に連絡し、娘が来るのを待った後、自首した。殺されたとき、夫の体重はわずか37キロで、髪は腰まであった。部屋の障子はボロボロに破け、布団の下には吸い殻がたまっていた。

自首しており、前科がなく、再犯のおそれもない。量刑は軽いと考えていたが、甘かった。検察は12年を求めた。弁護人は、これは介護殺人と同等の執行猶予付きの3年の刑を求めた。ところが、裁判員たちの結論は、8年の実刑というあまりに重いものだった。いわく、これは介護殺人ではない。なぜなら女性は介護しておらず、反省していないとし、女性が50年にわたり受けたモラハラやDVは考慮されなかった。男性の裁判長は「あなたは協力的でなかった」「それでも私たちは一生懸命考えました」など、優しい口調で語っていた。暴力を生き抜いた女性を刑務所に送るのは、善良を装った暴力なのかもしれない。
 事件後、拘置所に会いに来た娘に女性は「あなたに会うのがつらい」と言い、目を合わせなかった。娘が手紙を送っても返事は来なかった。母親が法廷で自らを傷つける姿を、息をのみ見つめる娘の姿があった。傍聴席に娘がいることを女性は気づいただろうか。
 女性は裁判の終盤、裁判官に「後悔しているか」と聞かれ、首を振った。「後悔していない」。それはほぼ唯一、裁判を通して女性が事件について語った言葉である。
 女性が暮らした町に行った。すでに家は更地になっていたが、かすかに海風を感じる開放的な住宅街だった。子どもの笑い声が聞こえてくる。すべての家から人の暮らしが伝わってくる。女性は誰にも助けを求めず、何も話さなかったという。話せなかったのだと思う。
女性は控訴せず、刑は確定した。公平に裁かれたとは、やはり思えない。「それは介護殺人じゃない」と線を引き裁く冷酷さが、女性を追い詰めた暴力の正体だったのではないか。
 女性は気持ちをノートに書き綴っては、ページが埋まると捨てていた。だから残っていた日記は1冊だった。この日記はいつか持ち主のところに戻るだろうか。戻るまで、どうか8年間、生き抜いてほしい。そして、男に怯えないでいい人生を送ってほしい。

 (2021年10月13日 週刊女性PRIME)


のこぎりで夫殺害容疑…76歳妻はなぜ使い難い凶器を選択?自宅リフォームに「決意の表れか」

83歳の夫をのこぎりで切り付けて殺害したとして、神奈川県警は3月6日、殺人容疑で同県茅ケ崎市の無職丸洋子容疑者(76)を逮捕した。元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は8日、現場を取材し、当サイトに対して、丸容疑者が自宅庭の木を切ったり、壁を塗り替えるなど身辺をきれいにしていたことに「何かを決意した表れではないか」という見解を示し、さらに、のこぎりという凶器を使った経緯が動機とつながる可能性も指摘した。 

丸容疑者は5日午前11時ごろ、茅ヶ崎市の自宅で夫の寿雄さんの上半身に馬乗りになり、首をのこぎりで切って殺害した疑い。犯行後、丸容疑者が別の場所に住む長女に連絡し、長女に促されて自分で110番通報した。捜査関係者によると、丸容疑者は馬乗りになった状態で、夫が亡くなっていく様子を2時間ほど見ていたという趣旨の供述をし、動機については「暴力や家にお金を入れないなど長年の恨みがあった」と話しているという。
 小川氏は「容疑者に明確な殺意があったのか、その動機について、この2点に対して警察の捜査が進められると思います」とし、「のどぼとけを切ったことによる殺人…とは一概に言えません。というのは、捜査関係者の話によると、それほど大量の血痕があったわけではなかった。しかも、2時間も胸の上に乗っていたということで、死因が胸部圧迫の可能性もあり得る。あるいは、出血死か、そこのところは司法解剖の結果が出るまで判明しません」と指摘した。
 その上で、小川氏は被害者の体調に注目。「ご近所の人の話によると、被害者の寿雄さんは体格的にもがっちりして大きな体だったとのことでした。犯行は午前11時に行われ、昼前になっても1階で寝ていたということですので、体調が悪かったという可能性も考えられます。ご近所の方で、ここ数か月、寿雄さんの姿を見ている人は誰もいませんでした。容疑者は小柄だったということで、いくらのこぎりを持っているとはいえ、体に乗って簡単に殺害できるのかなという疑問もあります。そういったことを考えると、体調を壊して寝込んでいた被害者に対して犯行に及んで可能性もある」と推測した。

また、同氏は「殺害をする凶器にのこぎりを使用している点も不可解である。自宅にあるものなら包丁等があるわけだが、殺害には使い難いのこぎりを使った経緯が動機とつながる可能性があるのではないか」と推測した。
 さらに、小川氏は丸容疑者が身辺をきれいにしていたことを指摘。「(事件現場となった夫妻の住む家の)庭の木がきれいに切ってあったんです。切株の切り方など、つい最近、切ったような跡でした。また、自宅の壁も新しく塗られていた。まだ塗りたてで間がない感じです。そうやって、夫婦で住んでいる自宅を急にリフォームしているということを考えると、容疑者がある程度、何かを決意していたという表れではないかと、私は現場に来て思いました。本人は『自首しようと思っていた』ということですし」。容疑者が身辺をきれにいする心理について、同氏は「過去にも例があるが、自分自身が犯行を行う前に、身辺をきれいにしてから及ぶこともある」と解説した。
 小川氏は「いずれにしても、頸部をのこぎりで切ったことが直接の死因になるか、約2時間も胸に乗っていたことによる圧迫死なのか、被害者がもともと衰弱していたことによる衰弱死なのか、司法解剖である程度、明らかになると思います」と付け加えた。


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