
うたた寝 高田昭子
老いた男が目覚めると
台所の音が聴こえる
水の音 刃物の音 小刻みな足音
それらの音が男の耳に溢れて
遠い日の母の記憶に繋がる
それが現の音だとわかるまで
男は遠い記憶の家を彷徨っている
見慣れた家の天井を見上げて
欠伸をして
現の我が身を確認する
「夢であって欲しい。」
台所の音は
毎日変わりなく
変わり果てたのは男だ
男の足音は不揃いで
大きな足音に
女は男の目覚めに気付く
「死んだ母の足音を聴いた。」
目覚めきれない男の夢語り
老いた男には
見えてはいるが
見ていない
見たくないうつつがある
書棚に並んだ哲学書
隙間に大江の幻の新作
壁にはムンクの叫び
レクイエムが微かに流れている