昨夜、プロレスリングノア中継を見て、一番最後にFMW、全日本、米ECW、WCW、WWEと
活躍した日本でのリング名「ザ・グラジエーター」米では「マイク・アッサム」の
名で活躍した、グラジさんが米現地時間19日に急死されました。享年42歳。
自殺説が有力だそうです。日本で言えば厄年・・・。
特に日本のFMWでは大仁田、ハヤブサ、田中将人、小橋健太との激闘が
記憶に残ります。199センチ130キロの巨体から繰り出す、トップロープを
ノータッチで飛び越えるトペスイシーダー、、スーパーアッサムボム
全てド迫力でした。そしてインディー団体からメジャーに上がり
小橋と素晴らしい試合を見せてくれました。
下はウキペディアの「ザ・グラジエーター」での紹介です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%BD
一度見た事有ります。大仁田がFMWで引退する直前nサーキットの最終戦
後楽園ホールによる、4VS4の「1000万円争奪ノーロープ有刺鉄線、二面
有刺鉄線バリケードパネルデスマッチでした。
主役はFMW勢とミスターポーゴでしたが、田中に喰らわせた机の上に
叩き付けたアッサムボム、迫力でした。
内臓疾患で引退を決意、不動産のライセンスを取ったらしいですが
妻と子2人を残しての死だったそうです。
橋本慎也から始まった若い、名レスラーの死・・・。
天才、エディーゲレロ、クラッシャーバンバンビガロ、そしてグラジエーター・・。
冥福をお祈りします。
そして、「MRデンジャー」松永光弘。
この人は空手の誠心会館No2として新日本プロレスにも上がった事もありますが
新日本の薄情さ、非情の切捨てに遭い、「一生、インディー」を決意し
WINGを始め、FMWから様々なインディー団体を渡り歩いてます。
この人の試合を見たのは先述した、グラジエーターも出た94年の後楽園ホールでの
デスマッチ、そして96年、有明コロシアムで開催されたU-JAPAN。
「デスマッチを極める上では金網のオクタゴンの闘いは避けて通れない」と
当時、勇気あるリアルファイトへの参戦、しかも相手は全盛期の
元UFCチャンピオン、ダン・スバーン。
まだ、当時、私はプロレスはリアルファイトだと思っていたので
空手出身の松永だからやってくれるかも!と期待して見たら
全く何もさせて貰えず、ダンスバーンの力技で散々マットに叩き付けられ
脇固めで破れました。
その頃は自分のお店、ステーキ屋「ミスターデンジャー」に力を入れていた頃でした。
で、去年、たまたま、東京都墨田区、丸八通り沿いにある、その店に
食べに行きました。(少し贅沢しました)
奥で体のデカイ、金髪のいかつい顔した男が肉を焼いていました。松永です。
店は繁盛してました。店の中は色んなプロレスの記念品、そして
70年代のロックミュージックが流れてました。
CCR、ドゥビーブラザーズ、レッドツェッペリン。
一緒に行った連れとまあ、貧乏だったので一人前を半分こして食べました。
美味しかったです。肉の質はまあ、今の背景がこうなので仕方有りませんが。
そして連れがトイレ行っている間に、松永に握手を求めました。
あのいかつい風貌の松永は自分の手を拭いて握手してくれました。
そして、話ました。私、「最近は試合しないんですか?」
松永、「これから色々、試合に出ようと思ってるんですが」
私、「え?どちらのリングに??大日本ですか?」
松永、「まあ、色々となんですが・・・(ごにょごにょ)」
その数日後、ZERO-1MAXに電撃乱入して暴れてました。
店では礼儀正しい男。松永がお店を上がるとき、私に挨拶をしてくれました。
連れは知らない間に私が松永と話してた事をしりビックリ。
「恐くなかったかい??」と。
久々にあのお店でまたステーキ食べたいです
活躍した日本でのリング名「ザ・グラジエーター」米では「マイク・アッサム」の
名で活躍した、グラジさんが米現地時間19日に急死されました。享年42歳。
自殺説が有力だそうです。日本で言えば厄年・・・。
特に日本のFMWでは大仁田、ハヤブサ、田中将人、小橋健太との激闘が
記憶に残ります。199センチ130キロの巨体から繰り出す、トップロープを
ノータッチで飛び越えるトペスイシーダー、、スーパーアッサムボム
全てド迫力でした。そしてインディー団体からメジャーに上がり
小橋と素晴らしい試合を見せてくれました。
下はウキペディアの「ザ・グラジエーター」での紹介です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%BD
一度見た事有ります。大仁田がFMWで引退する直前nサーキットの最終戦
後楽園ホールによる、4VS4の「1000万円争奪ノーロープ有刺鉄線、二面
有刺鉄線バリケードパネルデスマッチでした。
主役はFMW勢とミスターポーゴでしたが、田中に喰らわせた机の上に
叩き付けたアッサムボム、迫力でした。
内臓疾患で引退を決意、不動産のライセンスを取ったらしいですが
妻と子2人を残しての死だったそうです。
橋本慎也から始まった若い、名レスラーの死・・・。
天才、エディーゲレロ、クラッシャーバンバンビガロ、そしてグラジエーター・・。
冥福をお祈りします。
そして、「MRデンジャー」松永光弘。
この人は空手の誠心会館No2として新日本プロレスにも上がった事もありますが
新日本の薄情さ、非情の切捨てに遭い、「一生、インディー」を決意し
WINGを始め、FMWから様々なインディー団体を渡り歩いてます。
この人の試合を見たのは先述した、グラジエーターも出た94年の後楽園ホールでの
デスマッチ、そして96年、有明コロシアムで開催されたU-JAPAN。
「デスマッチを極める上では金網のオクタゴンの闘いは避けて通れない」と
当時、勇気あるリアルファイトへの参戦、しかも相手は全盛期の
元UFCチャンピオン、ダン・スバーン。
まだ、当時、私はプロレスはリアルファイトだと思っていたので
空手出身の松永だからやってくれるかも!と期待して見たら
全く何もさせて貰えず、ダンスバーンの力技で散々マットに叩き付けられ
脇固めで破れました。
その頃は自分のお店、ステーキ屋「ミスターデンジャー」に力を入れていた頃でした。
で、去年、たまたま、東京都墨田区、丸八通り沿いにある、その店に
食べに行きました。(少し贅沢しました)
奥で体のデカイ、金髪のいかつい顔した男が肉を焼いていました。松永です。
店は繁盛してました。店の中は色んなプロレスの記念品、そして
70年代のロックミュージックが流れてました。
CCR、ドゥビーブラザーズ、レッドツェッペリン。
一緒に行った連れとまあ、貧乏だったので一人前を半分こして食べました。
美味しかったです。肉の質はまあ、今の背景がこうなので仕方有りませんが。
そして連れがトイレ行っている間に、松永に握手を求めました。
あのいかつい風貌の松永は自分の手を拭いて握手してくれました。
そして、話ました。私、「最近は試合しないんですか?」
松永、「これから色々、試合に出ようと思ってるんですが」
私、「え?どちらのリングに??大日本ですか?」
松永、「まあ、色々となんですが・・・(ごにょごにょ)」
その数日後、ZERO-1MAXに電撃乱入して暴れてました。
店では礼儀正しい男。松永がお店を上がるとき、私に挨拶をしてくれました。
連れは知らない間に私が松永と話してた事をしりビックリ。
「恐くなかったかい??」と。
久々にあのお店でまたステーキ食べたいです

これも大事なプロレスなのに
やっとオオニタ辞めましたね、夕張でプロレスやったぐらいで政治家としてはちょっと。
新井社長ーハヤブサーサンボ浅子ーグラジ・関わった人はみんな不幸になってたり
後藤はすぐに気が付いたから離脱したのであろう。
話題作りのために タイゾウにチョッカイ出してたけれど、
二人とも辞めてくれ
確かに一人で発光体になってその後では
もう払い箱でしたね。
FMWを引退する1ヶ月前に後楽園ホール行った時
後藤達の退団が明らかになりました。
松永は特にU-JAPAN(アルティメット)見に行った時
凄い存在感がありました。矢口を連れて
有刺鉄線バットを持って、
一番インパクトありましたよ。
試合は残念でしたが、今となっては勇気ある挑戦でした。
松永VS村上で凄まじいデスマッチやってくれれば
面白いんですがねぇ。