ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ザ・グレート・カブキ vs ジム・デュラン

2021年05月05日 | プロレス
「東洋の神秘」ザ・グレートカブキの来日?第1戦目のジムデュラン戦。
世界のプロレスで大きな話題を呼び、
後に漫画「プロレススーパースタ列伝」で少年サンデーで連載される位に登り詰め。
私、カブキ事、高千穂はヴィジュアル的にも完全中堅選手だと思ってました。
後々知ると、「日本プロレス残党」ですし扱いも悪かったでしょうし。

プロレス少年の夢と期待を膨らませたこの来日第1戦目。
何故か私、この試合観れなかったんです。
塾でビデオ録画が何で出来ていなかったのだろ?
ロードウォリアーズ第1戦目も観れませんでしたし。
私がカブキの日本での雄姿を観れたのはvsタイガージェットシン戦からでした。
しかしまあ、ジムデュラン戦、カブキの強さ、カッコ良さを見せつけた1戦ですね。
こう見るとかませ犬役のデュランも良い仕事してるな。
今回、初めて観れました。
カブキ独特の受け身も印象的です。
テープで所有してますが後に入場曲の「ヤンキーステーション」のカッコ良い事!
毒霧は散々マネしたなぁ。

ザ・グレート・カブキ vs ジム・デュラン


本当の所、馬場はカブキで帰国させる事に反対だったと。
この舞台をプロデュースしたのは後輩、佐藤昭雄で
後々WWFのアジア担当になる手腕も。
(スポンサーの経営悪化で失敗に終わったFFFも有りましたが)
カブキは佐藤を信頼していたので無事に晴れ舞台に立てる様だったと。
しかし、このセンセーショナルな1戦にアジをしめた馬場は
早々と連続参戦を求めたそうですが、馬場に自分を安く売りたくないカブキは
ワザと次の来日を引き延ばしたそうで。

カブキがブレイクするキッカケの「世界のプロレス」
当時テキサスのフィリッツフォンエリックの団体に上がり
厚遇されていた時、フィリッツにテレ東から話しが来た事
カブキがフィリッツに是非ビデオテープを売るべきだ!と勧めた事で
世界のプロレスも人気番組になるキッカケにもなった事でしょう。

新日本プロレスだった保永昇男がNETの「ヤングプロレス」に釘付けになり
保永のスタイルを決定付けたのは若き日のカブキ(高千穂)vs永源だったそうで
ジャパンプロレスに上がっていた頃は憧れのカブキに挑むという試合スタイルにしたら
カブキに呼び出され散々怒られたそうで。
「対等にやる!」というカブキの意図だったと。

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2 コメント

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高千穂明久がいつの間にカブキに変身… (凸椪)
2021-05-05 16:12:37
「ヤングプロレス」は、丁度、日本テレビ独占中継を行っていた日本プロレス興行を、プロレス人気に目を付けて高視聴率狙いでNETテレビ(現・テレビ朝日)が猪木をトップとしてプロレス中継を始めて間もなく、セミ以下の選手の試合も放送を流し始めたものかと思います。関東エリアでは日曜午後6時から30分の放映だったと覚えています(ちなみに日プロの競合団体だった国際プロレスもTBSで土曜深夜に30分枠で放映していましたが、こちらは外人との試合もありました。両方とも放映期間は短かったと思いました)。当時の馬場・猪木(・坂口)人気によるプロレスブームもあり、さらに日テレとNETの両局からの放映権料が入ったことから、当時の日本プロレスは儲かり過ぎの放漫経営が呼び水となって崩壊に繋がったようで、猪木・馬場が脱退した後に“落日の”日プロの残党となった数人のレスラーが、馬場・全日本に引き取られる形で合流した中にいて(のちのカブキとなった)高千穂明久は全日の二番手だったジャンボ鶴田の“引き立て役”的役回りでリングを務めていた印象がありました。馬場はT・杉山も含めて移籍組は厚遇せず、結局、大多数は全日から去って行くことになったのでしょうが、渡米してブレイクしG・カブキとなってからも、馬場には同じ日プロ残党組の桜田同様に全日では待遇(ギャラ)の面では日本人レスラー並みながらも、リング上では外人扱いという不遇を強いられたことが、のちに全日を捨ててSWSへ移籍するという顛末となったのかと思います(結局、彼らによるどの選択が正しかったのは…)。
カブキ(高千穂明久)の渡米前と後のレスリングスタイルは一転していますが、帰国後は徐々にパワーダウンして行ったような印象で、アメリカをホームリングにしていたら、ベストな選手生活が終えられたものと想像します。ヒロ・マツダさんのように…。
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凸樫さん (太郎)
2021-05-06 02:40:44
ヤングプロレスは30分番組だった様ですね。
保永がラジオに出演した時、初めて番組の存在を知りました。
国際プロレスもTBSの横暴に耐えながら放送されていたのですね。
プロレス人気に味をしめて日プロは調子乗り過ぎましたね。
漫画で幹部達は当時の金額で20万円、毎晩飲んでいたと書かれてましたが。
一番の悪者にされている吉の里は高千穂が一番慕い、カブキ本で吉の里さんは
自腹だったと書いてましたな。しかし両局上手く使って調子に乗れば落日は来ますよね。
高千穂達日プロ残党は本当に冷遇されたそうですね。
(坂口抜いていたら坂口の扱いは良かったでしょうが)
ナガサキもカブキも無給でコーチやらされたり、常にアンダーカード扱いで。
高千穂は馬場に頼まれUN王座を鶴田に譲ったそうですし。
そういえばカブキは鶴田に厳しいですな。
天龍は天龍革命で毎試合全力で闘い全日本の人気を上げ自腹で後輩達に豪遊させ
夢を見させていたのにギャラは全然上がらず、それ以上に川田や冬木達の
ギャラは据置きに嫌気をさしてた様で、同じく馬場にトコトン嫌気を差したカブキが
天龍にSWSに連れていってくれと頼んだ様です。
SWSではマッチメーカーで毎回板挟みで苦しんだそうですが
後に新日本プロレスで平成維進軍に参戦した時、物凄く楽しんだそうです。
グッドワーカーですが、アメリカでタッグ組んでいたマサ斎藤が
現地の巨具な外国人レスラーに受身を取り続けた事が後のパーキンソン病発症とも推測されて
巧さと逆にアメリカマットを離れた事で東プロ倒産で仕方なくアメリカ主戦場にした
マサ斎藤より負担が少なく居酒屋経営が出来ているのかな?とも思ったりします。
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