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首長族。

首長族。や、カレン族、タイ北部に注目するブログ。

順調にインレー湖に到着

2015-12-26 16:48:54 | 首長族。

いつもながら、ヘーホー空港からタクシーでタウンジーへ。 バックパッカーなら、ピックアップを捕まえるんでしょうが、 いいんです、暗くなってきてますから。

タウンジーに着いた次の朝、ニャウンシュエへのピックアップを探して右往左往。

中国人家族に付いていったら、満席でした。 屋根に乗ってもよかったけど、バイタク(スクーター2ケツ)でニャウンシュエへ。最初の下り区間、凹凸の度にカメラバックの重さで後ろに引っ張られて危ない。次第に足腰がつってくる。

 

シュエニャウンの平地区間で姿勢が落ち着く。顔をそっぽ向けて入域料10ドルを回避。(係りの人?がピーピー笛吹いてたけど、運ちゃん無視)タウンジーより、ニャウンシュエのほうが、ひんやりする気がした。

 

ボート乗り場に着いて値段交渉。 ホテルで頼めば、朝出発・周遊(土産物屋巡り)で15000チャット(1500円)なんだけど、陽の高くなってきたこの時間、首長の人達のところだけ頼んだら45000チャットと吹っかけてきた。要は、各所でマージンもらっているてことだね。

違う人を探して進むと、35000チャットでいいというオバサンが寄ってきたので、OKする。 ボートの乗り手に直接交渉すれば、20000~25000にできたかもしれないが、面倒だったので。

 せっかくモンベルの高機能ダウンを買ってきたのに、ボートを飛ばしてもこの時間では意外と寒くない。

マージンもらって待ち構えている撮影用インダー族漁師を無視して、ボートを進ませる。

 

首長族の売り場に着いて土産物売り場そっちのけで○○○を探す。 居ない。

Mに聞いたら、国境の方に行っているようだ。

今回は、○○○が居ない分、老いた首長の女性が機織りスペースに入っている。 年齢を確認したら、 観光客と並んで写真を撮る用に68歳・55歳、機織りスペースは65歳・M27歳(子供2人持ち)・14歳

14歳の娘は、去年居た赤い服の娘より、細い目で、はにかむ所が少しかわいい。が、他の事で頭がいっぱいで写真を撮り忘れた。

「赤い衣を着てるから、もう結婚してるのか?」と聞いたら、困ってはにかんだ。

カレン族の場合、結婚前が純白の衣で結婚後が赤系の衣なんだけど、 首長族の場合は、14歳ぐらいの娘が赤系の衣を着て、後は年寄りになると白い衣になる。(お婆さんで短髪に純白の衣なので少し・・・。見る人によっては・・・。)

ちなみに、インレー湖は出稼ぎで居るだけなので、若い娘はタイ語が出来ます。(後述のミャンマーのパンペット在住の者が居ないかと言われると分からないが。ちなみにタイ側にいる首長族の多くの人の故郷はパンペットか、その周辺。)

 

陸(ニャウンシュエの町)に上がって、ゴールデンカイトでWifiをしながら、ピザを食す。パンケーキも頼むが、日本のふっくらホットケーキを想像していると、やっぱりクレープに近いパンケーキでした。(旧宗主国)イギリスだと、そうなの?

 翌日からは、首長族の故郷パンペットへ向かいます。

 タウンジーに戻って、市場が午後4時に終了していたので、ナイトマーケットを流してから就寝。


いよいよ、第4次調査(ウソ)

2015-12-02 20:50:34 | 首長族。
やっと行けますね。

春に断念した、ミャンマー最大の首長族の居住地域へ。


地球の歩き方には、未だ載っていない地域。カヤー州ロイコー近郊デモーソー地区PanPetへ。

外国発行のガイドブック“Lonely Planet”には載っている。最近、外国人に解放されてきた地域のようだ。

まあ、(英文を読んだ感じでは)プルーソー地区にも首長族が居るらしいけど。

とにかく、自分の目で見ないことには。


インレー湖の町ニャウンシュエにはロイコー行きのバスが寄らないと言われたので(途中の町シュエニャウンの交差点で待てば良いらしいけど)、宿泊は【山の町】州都タウンジーに変更しました。

ニャウンシュエは日が暮れたら、街灯が無くて真っ暗だし。


ネットで検索しても、カヤー州の旅行記はあまり無い。

まさか、そんな所に自分が行くことになるとは。(地球の歩き方スタッフも調べてはいると思うけど、記載が不自然に空白地帯だし。紛争関係で、上司からストップがかかっているのかもね。)



怒り心頭

2015-03-05 16:49:51 | 首長族。

せっかく、

4日目にしてロイコートラベルインフォ(loikawtravel.infos@gmail.com) から首長族の里PanPet(PahPae)の新年祭りへ行ける旨の返信メールがきたのに、

ヤンゴンの某・Sトラベル社が、ヤンゴン-ロイコー便の運航日を教えずに放置したので行けない事に。


残念だ。


冬に、ニャウンシュエから行こう。


行くべきか考え中

2015-02-26 16:59:26 | 首長族。
首長族が民族移動でたどり着いたと言われる地にして、ミャンマー最大の首長村がある首長族の里、カヤー州デモーソー郊外へ、新年祭りを観に行くか思案中。

以前まで許可が必要だったらしい。

地球の歩き方にはカヤー州自体が載っていない。



外国の旅行ガイドブック・ロンリープラネットを買ったので、辞書を引き引き翻訳すると、


許可なしで行けるとも書いているし、現地の旅行社?で80ドルで首長村への車と許可を取ってくれると書いているし。

どっちなんだ?

あと、州都ロイコーでしか泊まってはいけないらしい。ロイコーから1時間半とのことだから、早く出れば日帰りは可能だろうが、ロイコー到着日や出発日に寄ることは出来ないのか。



現地の旅行社にコンタクト取ってみるか。

ここまでの、首長族とミャンマー・レポート

2015-01-18 15:56:55 | 首長族。
首長族の少女が移動したのを追ってみて始まった旅なのだが、彼女がビルマ(ミャンマー)へ移動したことで色々と、首長族について浅く広く知る機会になっている。

                                                (NIKON D800+50mm)
まず、彼女は何故に移動しているのか?

初めに会ったのは、(北タイのチェンライから北に行った)メーチャンの山岳民族の観光村。
ここは、ゴールデントライアングル(三角黄金地帯<昔の無法地帯>)の観光ルートに組み込まれているので賑やかだ。

そこから次の年は、山を越えたタートンの民族村に。

(SONYα7R+NIKON 50mm)
ここは、チェンライへの川下りの出発点に近いようで、ゾウ使いの村にも寄る観光ルートのようだがチェンライ近郊よりは静かだ。子持ちが多く、のんびりしている。

(XperiaZ1)
そして今年は、ビルマの観光地に。

(PENTAX645D+Hassel CF60mm)
ここは、首長族の里?から200kmほど離れた、西洋人に人気の観光地であるが、首長族のブース・土産店以外で首長族を見かけるようなことは無さそうだ。

三箇所で撮った彼女の格好の特徴を見ると、

最初は、(フェイスペイントはしているが、)ナチュラルなメイク、派手な髪飾り、民族服の白い貫頭衣の上に地味すぎる柄の長袖シャツ、手首には首長族定番のシルバー色の装飾リング。
次の年は、濃いメイク、派手な服、下ろした長い髪、手首には誰かから貰ったと思われる翡翠のリング。
しかし、次の年のビルマでは、タナカを雑に塗りたくられた白い顔、寒い時期も上着を着てはいけないのか民族着、目に掛からないくらいの前髪、手首に翡翠のリングはしていないでシルバー色のリングだけ(腕時計は変わらず)。

おそらく、タイでは緩い首長族で良かったのだが、ビルマでは“首長族はこうあるべき”という姿に厳しく正されてしまった可能性がある。


ビルマの観光地で売店の男に聞いたときに、「タイでは儲からないので彼女らは此処へ来たんだ」と言っていたが、
14・5の少女が自ら、そんな(金銭の)理由で好きなオシャレを我慢する場所に来るとは思えない。

詳細が不明な話なのだが、当初おそらく親に付いて来たのだろうかと思ったが、売店にお姉さんとお婆さん?が居たみたいで、姉妹がまだ(国境の)メーホンソンの難民首長村に居るとかなんとか。

(メーホンソン ナイソイ村の子供達)
彼女の親がメーホンソン(昔の首長族観光の中心地)に移って、ついでに祖母・姉が出稼ぎしている観光地へ送り出されたか。
タートンから直にビルマに入ったのかと思ってたが、どうやらメーホンソンを経由してきたようだ。

色々な情報は、タイのIDカード(バット・プラチャーチョン?)を見れば分かると思って聞いてみたのだが、ビルマの観光地の首長族は誰一人持っていないそう。

タイの首長族はどうなっているだろう?
今はタイも、山岳民族にもIDを与えて定住化を図っているようであるが。

カレン族の多いミャンマーのカヤー州は以前、カレン民族解放軍など反政府組織が戦っていたくらいなので、
難民だと言えば出入り自由なのか、
はたまたミャンマーの証明書を持って国境を越えているのか・・。今度確認してみよう。

(パーイ川・メーホンソン国境ちかくの、フアイプーケン村の子供達)

それにしても遠い。
彼女らは北タイのメーホンソンから国境を越えてミャンマー側に、合法的か違法か分からないが、移動しているが、
我々外国人には解放されていない国境だ。
タチレイ(タチレク)などの、タイから陸路で訪れることの出来るミャンマー国境の町すら、国境でパスポートを預けないといけなくて、遠くへ行ってはいけない事になっている。
現状、バンコクからヤンゴン(または成田からヤンゴン)、さらにカヤー州へ飛ばないといけなくて、北タイが完全に別方向で遠くなる。

チェンマイに着いて20~60バーツ(80~200円)でターペー門周辺に行って、すぐレンタバイクで中・大型バイクを借りて3時間ほどで会いに行くのが、景色もよく好きだったのだが・・。

毎年会いに行ってる女の子の居る観光地から首長族の里までは250kmもあるようなので(飛行機の直行便など無いし、道も悪いので)、バス移動で1日取られる。
5日間ぐらいの休みだと、里と馴染みの子の両方を廻ることが難しい。

タイは経済発展しているし、首長族もタイで過ごしたほうが良さそうなものだが(自分も通うのに助かるのだが)、どっこい、彼女らは儲からないのでミャンマーに来たという話だ。
確かに、首長観光の中心地だったメーホンソンは、
チェンマイ近郊の観光村やチェンライ近郊の観光村の出現で客が少なくなったというし、

(メーホンソン・ナイソイ村の、首の真鍮リングを巻くのを辞めた女の人)
賑わっている村にしても、売っている物が150バーツ(600円)前後で良心的、さらに首長族が多くて収入が分散するという感じのようだ。

(チェンマイ近郊の観光村の子供達)

ミャンマーの観光地の方では、超インフレで物価が上がった影響か、翡翠など宝石類もあるが、宝石類以外でも平気で一つ20ドル(2300円)とか30ドル(3500円)とか吹っかけてくる。
思うに、タイの観光地とかで土産物で高額を吹っかけてくるのはミャンマー人なんじゃないか?とすら思えてくる。
インドなんかでは顧客という考えが薄く、その時どれだけ高く売れるかということで売りつけるらしいが、それに近い。

ホテルも、タイで4000円クラスの部屋で、ミャンマーでは10000円くらいする。タイは最高だ。ミャンマーは適正な価格になってほしい。
その為には、陸路を開放(陸路国境でパスポートを取り上げない)してもらって、タイに居る外国人客を招き入れて、ホテル等の供給量を増やしてサービス競争を起こしてもらうしかないのだが。
一応、ミャンマー政府はカヤー州の観光整備を行うということで、仏教遺跡のあるバガン、マンダレー、インレー湖という周遊コースにもう一つ観光地が加わるのかもしれないが、陸路(および北タイからミャンマー地方都市への空路)を開発してもらわないとアクセスが悪過ぎる。

北タイは景色も良く、大型バイクも借りられ、住んでみたいと思うほどだが、
ミャンマーでは今のところ、物価高でさらに“ぼったくる”イメージしかないので、あまり行きたくない。



観察対象をタイ側にも確保しておきたいものだ。

(これは多分、耳長族の子)

今後とりあえず首長族の里の新年祝いと、誰かの結婚式(できればミャンマー側・タイ側両方)は観察したい。


ミャンマー4・5・6日目<帰還>

2014-12-29 20:19:16 | ビルマ(ミャンマー)
4日目、首長族に会って満足した後、とりあえず地球の歩き方に載っている店に行こうと、ニャウンシュエのメインストリートへ。

パゴダの前を過ぎ寺院の前を過ぎ、交差点へ。

市場を過ぎ、イタリア料理店の角を曲がり、野良犬が闊歩する有名マッサージ店への小道を横目に見ながら、
地元料理の店へ。湖端の町なので、魚料理を頼む。

酸っぱ辛いソースとライムが付いてきたが、物足りない。
醤油をかけたいが無いだろうから、塩を頼んでなんとか食す。
ミャンマーカレーも結構あっさりだし、タイとは違ってあっさり系の料理が多いのか?

次の日、5日目はヤンゴンへの移動日。
チェックアウトをして、大量の荷物を抱えメインストリートへ。
久しぶりに米以外が食べたいなと、昨夜スルーしたイタリア料理店ゴールデンカイトへ。

4500チャット(500円ちょっと)くらいだったかな?
オープン席で食べていたんだが、車が通るたびに砂が舞ってテーブルとかに降り積もる。
砂まみれにならないうちに、さっさと食べてから時間を潰す。

フライトまで3時間を切ったので、市場近くで旅行代理店を探してタクシーを頼むと、
フライト2時間前に来いというので、カフェを探す。

市場から交差点を曲がると、オープン席で西洋人が座っているのが見えたので、座る。
しかし、頼んだフルーツジュースのフルーツが無いらしい。在庫が無いのならメニューに目隠しシールでも貼っておけばいいのに。
パンケーキを頼んだら、クレープくらいの薄さ。膨らませるのを失敗したような。
外国人向けの店を倣って店を出してみました、って感じの普通のお宅のような店だった(汗)

15000チャット(1800円)でヘーホー空港へ。ニャウンシュエからは安い。(空港から町へは25000チャット)
ヤンゴンに着いたら暑い。エアコンが有難い。しかし、シャワールームなどしょぼいのにホテル代が高い。9000円ほど。

次の日、出歩きたくないが夜遅くのフライトなので、しょうがなくホテルをチェックアウト。

灼熱。
荷物も多いし何もしたくないが、取り敢えずシェダゴンパゴダへ。
受付で9ドル払う。ガイドブック地球の歩き方では5ドルだった筈だが。
受付にバックパックを預けて、エレベータに乗ってパゴダへ。

事前の検索の通り、修復中だ。

結構、食べ物を広げてピクニックのように食べてる人がいたので、こちらも最後のカロリーメイトを食す。

カンカンと鐘が鳴るので、あれ?お昼かな?と思ったら(修行僧は鐘が合図)、子供が遊んで突いてました。

皆がお参りしてるという感じでもなく、結構、日陰で休んでる人が多い感じでした。





周りの人のようにダラッとしていたのだが、暇すぎる。
(重い荷物を抱えて)外に出て、タクシーにレストランへ連れて行ってもらう。
運ちゃんが「あなたが食べ終わるのを待って、その後に色々な所へ連れて行くよ」と云うが、だるいので断る。

暑い中、だらだらと食事。
2時間近く居たが、お尻が痛くなってきたし、タイでもおなじみのSPY(炭酸ワイン?)を呑んで少し酔いが回ったので(弱い!)、かなり早めに空港へ。だが、

捕まえたタクシーがオンボロ。しかも、料金を聞いたら〝トゥエ◇※凸”と聞き取れない。
20ドル?!(高い!)とびっくりして、通りすがりの女性を捕まえて一緒にもう一度聞く。
なんとか、12ドルだと判明。
お姉さんは8ドルじゃないのー?と言ったが、運ちゃんが何か言ったら引き下がった。
ガソリン価格上がってるんだよ、とか言ったのかな??

しかし、レストランでSPYを別会計で先に買ったときの、店員のワンサウザンド・○ッ!(3回聞いて、シックスだと判った--;1600チャット。)っていう発音とか、
ヤンゴン市内の英語の発音やばすぎる。

そんな事を思いながら乗ったタクシーは、もちろんトヨタ。
しかし、ガラスにヒビが入ってたりしてボロいなーと思ってメーターを見たら、49万キロ。良く走るね日本車は。

空港で、残り少ないミャンマー紙幣チャットで飲み物とパンを買ったりして、数時間待ってミャンマーとオサラバ。

初ミャンマー 4日目 遺跡からの~、再再会。

2014-12-27 22:54:16 | 首長族。
この日も、昨日ほどではないが寒い。
初日のサンセットクルーズの船頭に今日のインデイン遺跡と首長族だけを頼んでいたので、7時に来いというので向かう。

しかし、船頭達が焚き火で暖をとっているところへ辿り着くと、初日の船頭は先約が入っているという。
仕方ないので、船着場に行く道中で声を掛けてきた船頭と交渉。
初日の船頭は20000チャット(2400円)と言ってたが、この船頭は30000チャット(3600円)と吹っかけてきた。値切るのが面倒なので了解する。

ちなみに、インデイン遺跡+1日ボートツアーが、(初日の船頭が言った)20000チャット前後のようである。
今回は、ショップのほとんどを省略して半日に短縮される訳なのだから、15000チャットくらいまでまけて欲しい。
次は値切ってみよう。

今日も霧の中を進む。
昨日の若造とは違って掛け毛布が準備されている。
ユニクロのフリースの上にベストを着て、更にライフジャケットを着ていたが、水路を遡ってインデイン遺跡に着く頃には薄着になった。
船着場から広場を抜けてメインストリート?へ出ると、牛が。

橋を渡ると、カメラ持ち込み料を取られる。
だが、参道がアーケードの様になっているとは露知らず、わき道の水路沿いを進んでしまう。途中で間違えたかと思って日本人に顔が似ている女性に聞いて進むと、参道の途中に出た。

なんか天井は安普請だし、この柱も昔からなのかどうか・・・。
もっと自然の中に佇むものを想像していたのだが、お土産露天が両脇にずらっと並んでいて遺跡に向かうという感じではない。

福建省の世界遺産の土楼群を見に行ったときに、整備されすぎた土楼と生活に使っている素朴な土楼の両方を観て思ったのだが、
あまり観光客向けに整備されていると面白くないのだ。

(ミャンマーのパペットショー<人形劇>は未だ観ていない。)

仏塔が両脇に現れる。



坂を上りきると、本堂のような建物。

脇から出て裏に廻ると、更に仏塔がある。
中心部分は手入れされている仏塔がほとんど。“遺跡”といった感じではないが綺麗ではある。





タイと同じで犬がうろついているが、ちょっかいを出さなければ問題ない。

風化した仏塔は、寄進者が居なくなった古い仏塔だろうか。子孫が生きていれば直して色を塗ったりするのだろうか、それとも1代限りなのか疑問。

仏像が納まっている仏塔と、

仏像が無い新しい仏塔(企業の?)がある。

船頭を待たせているので舟に戻る。(お金を払っているので急ぐ必要は無いのだが)

また首長族の○○○ちゃんのところへ。
なんか顔に金粉ついてるよ。

こうしてみると、奥のお姉さんとの首の(真鍮の)長さの違いは歴然だ。(まあ、タイに居た時はもっと長いの着けてた気がするんだけどね。正式な長さに正されたんでしょうか。)

足が寒いのかな?もっと綺麗な柄の布で巻いたほうが・・。



よっ。

どう?私の手さばき。的なカット。

今日は仕切ってる感じの男が居なくて、話し放題な感じだったが、タイ語がしゃべれず。
勉強して、また来年に来ます。ってことで、
凄く客で込んできたので、お互いバイバイと手を振って、笑顔でさよなら。

初ミャンマー3日目 再会

2014-12-26 20:18:13 | 首長族。
この旅一番の冷え込みで起きる。

寒いのでさっさと支度をしてフロントへ。
首長族に会いに行きたいだけなのだが、色々な所を周るボートのコースに組み込まれてるらしい。

8時になるが迎えが来ない。
女将さん?が電話をかけて、やっと来たのが後輩T・Nに顔が似た高校生くらいにしか見えない若者ひとり。
ほんとに彼に似ている人が多いな、この地域は。

英語がほとんど出来ないコンビで心配だが、(迎えの車などあるはずもなく)歩いて橋の近くのボート乗り場へ。いざインレー湖へ。

ユニクロのフリースを着たが、(飛ばす)ボートが受ける風で寒い。
風を防ぐ、登山用のウインドブレーカーが欲しい。

1時間近くで、湖の中ほどまで来ると少し暖かくなる。
集落の入り口に、仏像を載せて練り周るファウンドゥーウー祭りの山車?舟飾り?が。



居住空間を抜けてナムパン村へ。

今日の五日市の場所だ。(毎日開催場所が移動して五日で一巡する)

まあ、人混みが好きではないので、面白くはない。すぐに退散。


次の場所へ出航。
機織り工房へ連れて行かれる。


英語で解説する女性がいるが、英語が分からず。
地球の歩き方に、蓮の繊維で作った糸で織った貴重な布なので買ったほうが良いと書いてあるが、
布に興味ないし、地味な色の布だし。



次に舟大工と葉巻工房へ、どんぶらこ。舟大工はスルー。

スモーカーの人たち向けのネタ(お土産)に、葉巻を購入。


ここでレストランへ。
日が当たらない側で、半袖Tシャツで舟を降りたのを後悔。肌寒い。

ここでもミャンマーカレーを食べて、舟に戻ろうとすると、歩いて寺へ行けるという。
ファウンドゥーウー・パヤーへ。

仏像に金箔を貼りまくっている。

女性は近づいてはいけないらしい。

自分も5000チャット(600円くらい)で金箔10枚セットを購入。

貼りに行くがなかなか近づけない。
なんとかペタペタ。
どうか、いつもの首長族の子に会えますように・・。

しかし、こんな形になるまで貼るとは、どれだけ貼ったんだ?


舟に戻るときに、小さい男の子がお母さんを手伝っていたので撮ったら、お姉ちゃんも手伝っていた。


やっと待ちに待った、首長族のところへ。
ここまで来て、あの子は居るだろうか?、と不安だ。

上陸して、3人並んで機織りをしている首長族の女の子を眺める。


○○○ マイカッ? (○○○ですか?)※クン(さん)をつけるのを忘れた。。
そうだという。
化粧がミャンマー風にさせられていた(タナカ<日焼け止めファンデーション>を塗りたくられて顔が白め)ので一瞬分からなかった。

え、私に会いに来たの?(とは言わないが、そんな感じ)

なんか大きなカメラだね・・・、的な表情。

一番明るい処に居たのがお姉さんらしいのだが、特に話はしなかった。

それにしても薄暗い。カメラがブレブレだ。


午後でそれほど客はいなかったが、(英語が話せる)仕切ってる感じの男が居て、あまり○○○に話しかけられない感じ。
だが、その男に首長族の里の場所など色々と聞いた。

次の日も来るつもりだったので退散。


初ミャンマー 2日目 インレー湖へ。

2014-12-25 19:53:20 | ビルマ(ミャンマー)
二日目

クリスマスだが全く関係ないね。
朝食を済ませて9時過ぎに空港の国内線ターミナルへ。徒歩数分でした。。;

チェックインしたものの、待合室には航空便の案内の電光掲示板など無い。
しかも、色々な航空会社が同時間帯に離陸するのがミャンマー流らしいので、搭乗口も一つの搭乗口を使いまわしているし、客が入り乱れて分かりづらい。

頼りは、胸に張られたシールと、同じチェックインカウンターに並んでいた、日本人家族の動きだ。

なかなか動きが無い中、予定時刻5分前に日本人家族に動きが。
家族を追って向かうと、小さなプラカードを持ったスタッフが居た。
便名を確認して搭乗。

着いたばかりの機体なのか、機体の乗り口でエンジンの猛烈な熱風が顔を襲う。
なぜだか暑い機内で1時間汗をかいて、インレー湖最寄のヘーホー空港へ。

空港前のタクシーに、時間ももったいないし荷物も重いので値切らずに乗車。25000チャット(3000円くらい)。なんでも、20000チャット(2400円)くらいまで値切れれば上等らしい。
山道を下って、ぎりぎりすれ違えるくらいの幅の道を進むこと数十分。

インレー湖北端の町、ニャウンシュエへ。

アゴダで予約したゴールドスターホテルへ着くと、女将さんのような人が出てきて子供がうろちょろする中、チェックイン。
よく見ると、“あまちゃん”の橋本愛をちょっと老けさせたような綺麗なヤサマ(奥さん)。やっぱり、タイ南部とかよりは日本人に似てる人が居るんですね、タイ北部~ミャンマー北東部は。

部屋に案内されると、天井が高いが、微妙に狭いし殺風景で1泊4000円。タイなら2000円クラスだ。

秋冬用のブーツしか持って来てないので、市場へ。ロンヂー(ミャンマー正装の男女兼用・巻きスカート)とサンダルとボクサーブリーフを買う。その際、ロンヂーの試着で、大きめサイズでも腹回りが厳しいトラブル。(ヤンゴンなどではもっと腹回りの大きい人達も普通にロンヂーを履いてたが??)気にせず買う。

戻って荷物を置いて、カメラを持ってサンダル履いて再出発。
女将さんに、次の日の一日ボート貸切を予約した。
なんでも、昼過ぎに着いたので、首長族のところへのボートが今日は無いと言う。
諦めきれずに、ボート乗り場へ向かう。

ホテルを振り返ると、G・D・A・O・Lが抜けている。このホテル、大丈夫だろうか?(手前は、関係無い建物)

地球の歩き方に<サンセットクルーズ>が出来ると書いてあったので、客引きに聞いてみる。
12000チャット(1400円ほど)で合意。1日チャーターが15000チャットなのでもったいないような気もするが、何も分からないで次の日ぶっつけってのも怖いので。

ハーレーのような古い形式のエンジン音で、進む。まだこの時は新鮮。

細い水路に入って、インダー族の集落を見せられつつ進む。
まだ乾季なので、水位は低いようだ。



マニュアルフォーカスレンズなのでピントを外した。AF望遠ズームが欲しいところ。

湖の中ほどへ行って舟を停めてプカプカ浮いていると、片脚立ち漕ぎのインダー族の漁師が近づいてくる。

しかし、なにか様子がおかしい。
にかっと笑い、網カゴを投げ入れるポーズを取るので、撮ってあげる。。;
しかし、カゴは投げ入れない。

数瞬の間、どちらが先に脚を下ろすか(シャッターを切るか)我慢比べ。

撮って会釈をしてから放って置くと、違う舟に近づいていき、またポーズを取っている。

マージンでも貰っているのか、はたまた、偽の漁師ではないだろうか?


(シンクロナイズド・インダー族、なんちゃって)

気が済んだので帰る。


陽のあるうちは気持ち良かったのだが、陽が落ちてきて帰るときのボートが寒い。次の日のボートで、がっつり着込んで行ったので、予行演習しといて良かった。
部屋に戻ったら、外より寒い。おかしな部屋だ。暑い時期に向いているのだろう。

地球の歩き方に載っていた高級レストランへ。

確かに、橋からの眺めは店名どおり、ビューポイント。

しかし、クリスマスだからか予約でいっぱいで、まだ誰も座っていなかったが予約してない客はお断り。
無駄遣いしなくて済んだ。

暗い帰り道、ホテル近くにレストランが在るのを思い出して入る。ミャンマーカレーとミャンマービールを頼む。

カレー自体は可もなく不可もなくペロっと頂いたが、ほうれん草のような葉っぱのスープが旨い。
広東省で食べた土鍋に付いてきたスープにも似ているが、こちらはピーナッツの砕いたようなものが底に有って一味違う。

会計は高級店の4分の1、5500チャット(600円ちょっと)ほど。


ホテルに戻って、固定式でやたら拡散するシャワーでなんとか身体を洗い、無駄に多めに持ってきた携帯食を夜食に食べて、
寒いので着込んで就寝。

初ミャンマー1日目 ヤンゴン空港へ

2014-12-24 20:15:08 | ビルマ(ミャンマー)

東京で知り合いと夕食をとり、成田のホテルへ。宿泊。

次の日の朝、成田山でも寄ろうかと思ったが寒くて断念。
車をパーキングへ預け成田空港へ。空港内でも円をUSドルへ両替。(ミャンマーでは日本円が両替できない為)

いざミャンマーへ。

結構、日本人が行くんだな~と思ったけど、そりゃそうだ全日空だし。

ヤンゴン空港に着いて、まずは両替。500USドルで512500チャット。5000チャット札102枚です。。;

100ドル札と50ドル札でレートは同じだった。しかし、1ドル・5ドル札の交換レートが、1ドルあたり20チャットほど低かったので、大きいドル札だけの両替。(それでも6万円=500USドルを交換して、1200円ほどの違いだが)
(ちなみに後日分かったことだが、地球の歩き方などに街でドル札も使えると書いてあるが、
1ドル札=800チャットくらいで計算されてしまって、空港で替えるのより更に20%損するので、1ドル札・5ドル札を少なめに持ってきて正解でした。)

現地代理店に予約していた空港近くのホテルを探す。
しかし看板が無いため、道を聞いた警備員の指すほうへ空港を出て、市内バス乗り場まで来てしまった。ホテルの場所を尋ねたマダムと同乗でタクシーで戻る。

途中でマダムが降り、どんどん街中へ進んで嫌な予感。
ホテルに着いたら違うホテル<ホテル・ヤンゴン>だった。空港の所へ戻ってもらう。

空港の国際線ターミナルと国内線ターミナルの中間あたりの向かい(対面)の、タクシーや車がズラッと停めてあるゴチャゴチャした(明かりの無い)駐車場らしき空間を抜けて奥まったホテルへ。
どうやら、シーズンズ・オブ・ヤンゴン ホテルと言ったのを、ヤンゴン・ホテルだと思ったようだ。

この入り口だと、自分も分からなくて当然。(しかし、あの警備員めー。)
ホテルには≪シーズンズ≫と大きく書いてあるので、ヤンゴンと付け加えると余計に迷うようだし、最終日に気付いたが英語に慣れてないヤンゴンの人の英語の発音がやばすぎる。

タイなら3000~4000円クラスの、9000円も払った殺風景なホテルで一泊。高い。恐るべきインフレ・物価高。