検索していたら、興味深いレポートがあった。
須藤さんという方の、 現代の観光における「まなざし」の非対称性--タイの山岳民族「首長族(カヤン族)」の観光化を巡って
という論文。
やっぱり、ちゃんとした学歴の人が、ちゃんと通訳を連れて調べると違いますね。(俺なんか、調査のふりして遊びに行ってるだけだ。)
俺もWikipediaには多少情報を載せていたが(パンペットとか、ムセの布島山荘とか、ロイコーとラーショー・ムセの情報とか、タイの名も知らぬ村の場所を数か所とか)、
(個人的には)論文に載ってる情報はほんとに目から鱗の情報ばかりだ。
彼女ら首長族が難民であるという視点に偏った論文も有るのだが、この人のは違う。
俺がよく会いに行く○○○の家族のような、(主流派ではないが)自分達で住むところを決めてる、ミャンマーからの出稼ぎ組も居るわけだ。
人間動物園のような観光が問題だという話もあるが、
(一見さんばかりだとそうもいかないだろうが)
その奇異の目で見る一度きりの観光客の観光の方法の是非はともかく、
そもそも観光でないと生きていけないという前提自体がどうなんでしょ?
観光にこだわらなくて良いんじゃないでしょうか。
まず、彼女らが元々住んでいたパンペットの生活・環境改善と、首長族に限らず、ミャンマー側・タイ側での山岳民族への国籍の付与が必要なのではないだろうか。
タイの難民キャンプの人達を、あくまでミャンマーの人達であるとタイが制限するなら、ミャンマーに戻るしかないが、
とはいっても、そう上手くいかないのがミャンマーか。
そもそも、難民になった戦闘によって首長族達にどのような影響があって、パンペットに帰ってこれないのか、
経済的な差が大きすぎて帰りたくないのか、分からないところです。
なんといっても、ミャンマー正月には多くの首長族が一時的にパンペットに帰省するわけですから。
タイから自力で里帰りできる(ミャンマーに帰ってこれるのにミャンマーに定住しない)首長族がどのくらい居るのか興味ありです。