K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

ミュシャ展

2017年05月25日 | 美術
こんばんは。最近酔うと死んだように深い眠りに落ちてしまいます。

今回は国立新美術館10周年記念として開催されている「ミュシャ展」のご紹介です。アール・ヌーヴォーを代表する世界的な画家です。



個人的には今までミュシャは「デザイナー」としてのイメージが強く、アカデミズムフェチの傾向にある私はあまり好きになれなかったのですが、《スラヴ叙事詩》の圧倒的大作感に気づけば涙が溢れておりました。
《スラヴ叙事詩》は、チェコ国外では初の展示ということで、生きている内に鑑賞できて本当に良かったと思える作品でした。そして、国外初展示の場として日本を選んでくれて、意外でありながらも圧倒的謝意を表明せねばなりません。

なお、展覧会の意向を拝し、以下ミュシャではなく、現地語読みのムハとして記載します。(ティトーとチトー的なね、グアムとグァム的なね、メインとry)

まず、印象深かったのが、神話と歴史の融合です。基本的に《スラヴ叙事詩》はスラヴ民族の歴史的なシーンを描いた作品が多いのですが、全20作中三作品は神話との特徴的な融合が見られます。
それは前景と後景で世界を変え、後景を歴史的情景の描写、前景を神話の領域として捉え、二つの世界観を「併置」しているのです。これは、神話的アイコンを並べることで、ムハの歴史的解釈が反映されていると考えられるでしょう。


アルフォンス・ムハ《原故郷のスラヴ民族》


アルフォンス・ムハ《ルヤナ島のスヴァントヴィト祭》


アルフォンス・ムハ《大モラヴィア国のスラヴ語礼拝式導入》

そして、画中の人物の眼差しもこの連作の一つの特徴でしょう。つまり、観覧中、何作品かの登場人物と「視線が合う」わけです。よく、画家自身が絵画の中に投影されている作品(ベラスケスの『ラス・メニーナス』など)がありますが、本作もムハの魂が宿ったかのような視線を持つ人々が要所要所に描かれています。


アルフォンス・ムハ《イヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校》より


アルフォンス・ムハ《ロシアの農奴制廃止》より

思わずドキリとしてしまう、何かを訴えるような強い視線。撮影可能だった作品以外にも、力強い眼差しはいくつもありました。
中でも、印象的だった視線はムハの娘ヤロスラヴァがモデルとなった、ハープを操る少女の視線です。


アルフォンス・ムハ《スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たち》


ヤロスラヴァをモデルとしたハープを弾く少女

ムハの描く女性は、デザイナーとして活躍していた経験もあってか、やはり柔らかみがあり温もりが感じられます。特に連作である《The Four Arts》や《The Four Flowers》は、彼の描く女性像を代表するアイコンとも言えるでしょう。


アルフォンス・ムハ《The Four Flowers : Rose》

しかし、《スラヴ叙事詩》で描かれた女性は、彼の代表作《The Four Arts》や《The Four Flowers》とは異なり、決してミューズとして描かれているわけではありません。彼女たちの視線は、天界のそれではなく、現実を生き抜く厳しさと逞しさを兼ね備えた視線なのです。

それを端的に表しているのが《スラヴ叙事詩》の最終作《スラヴ賛歌》です。チェコ・スロヴァキアが独立宣言を発表した1918年、悲願であったスラヴ国家の成立までにあった、弾圧の悲しみや闘いの怒り、そして勝利に至るまで、スラヴ民族の歴史を俯瞰したような作品です。


アルフォンス・ムハ《スラヴ賛歌》

まず、その描こうとしているものの壮大さに圧倒されてしまいますが、中央で黄色に描かれたエリアに注目。レースを被って祝祭用の花輪を編む婦人たちの内、一人の女性がこちらを真っ直ぐと見つめています。



この眼差しの強さの意味するところは、私は未来を担う若者たちへのエールに思えてならないのです。神話の時代から闘争や迫害を経て、ようやく獲得した自由と平和、そして国家。その連綿と続く民族の歴史を、その視線は観るものに託しているのです。
その当時、この大作に対して、チェコスロバキアの若者たちは煙たがったようですが……。老婆心の真価は、いつも過ぎ去ってから理解されるというのは、いつの時代も変わりませんね。


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