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京の一枚

京都 紅葉100シリーズ 大徳寺塔頭 高桐院(こうとういん)NO.34


高桐院は大徳寺塔頭のひとつで、細川家の菩提寺であり、細川忠興により、慶長6(1601)に建立されました。




開祖である玉甫紹琮和尚は忠興の叔父にあたります。


忠興は正保2年12月2日、83歳で亡くなり、遺言によって遺骨は高桐院に埋葬されました。


法名の松向寺殿三斎宗立は、茶室松向軒の名として残されています。




忠興はまた、利休七哲のひとりとして、茶道との深い理解者であったことも有名です。




さらに、高桐院には歌舞伎の始祖として名高い、出雲の阿国の墓もあります。


松向軒は、寛永5(1628)年、忠興の手で建立されました。




秀吉の催した”北野大茶会”で用いたものを移築したといわれています。



「茶室に珍しい黒壁は、瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席である」と高く評価されています。


この庭園は、江戸時代初期に造園されました。


初夏にはみずみずしい緑一色に包まれます。







この庭には、石も築山も白砂も池も何もなく、石燈篭が一基あるだけで、あとは大小多くの楓の木としっとりと水気を含んだ苔があるだけです。


もともとは土の庭でしたが、現在の松長剛山住職が一面苔で覆われました。


楓は樹齢100年を超えるものが多く、中には300年の古木もあります。




今も、実生の芽を畑で育て、背丈ほどの高さになってから庭園に移植されているそうです。


この庭は、秋にはうってかわって、炎のような紅葉の赤色に染まります。


その様子は、JRのポスターにも使用されました。


年間、約6万人が訪れる参拝者の1/3が、11月の一ヶ月間に集中します。


楓が葉を落とし、雪化粧となる冬の風情を好む人も多いとききます。


忠興・ガラシャ夫人の墓石は、忠興が生前愛好したこの石燈篭をもって、それに当てました。


この石灯篭は、鎌倉時代に造られたそうです。


これは、もともと千利休秘蔵のもので、「天下一」という称をもつ灯篭でしたが、豊臣秀吉と忠興の両雄から請われたため、利休はわざと裏面の1/3を欠き、壊れ物だと言って、秀吉の要望を退けました。


後に、利休切腹の際、利休はあらためてこれを忠興に贈ったといわれています。


この石灯篭は、「無双」という銘をもち、また別名を「欠燈篭」ともいいます。


さらに、蕨手・灯口・横が欠けているのは、後日、完全を忌む忠興自身が欠いたという記録があります。


この墓石の下には、忠興の歯が埋葬されたといわれています。


忠興・ガラシャ夫人の墓石


確かに裏面が欠けている。








■交通案内


市バス 大徳寺/建勲神社前下車徒歩約5分


■駐車場情報


大徳寺駐車場利用バス20台分 2000円


自家用車50台分 500円


車椅子による見学 不可


■拝観・開館時間 9:00~16:30


見学所要時間 約20分


■休日・休館 6月7日~6月8日,開祖忌


5月6日宗全忌


■料金


一般 団体割引


大人  500円 

■予約方法 団体の時は要予約(電話、ハガキ、FAXにて)


【正式名称】高桐院(こうとういん)


【住所】北区紫野大徳寺73-1


【電話番号】075-492-0068


【FAX】075-493-8733


備考 閉門時間:16:20




※写真は全て過去のものです。





















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