当宮は菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。
菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されました。
永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得ました。
寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれています。
当宮の社殿は昔から、朝廷及び将軍家がその造営修繕に当たられました。
国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長十二年(1607)、豊臣秀頼公が造営されたもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存しています。
また、この社殿造営は、父秀吉公の遺志であったと伝えられます。
古来、神社祭祀は庭上で行われて来ましたので、壮大な殿内で祭典を執行し得る当宮現社殿の出現は神社建築史上画期的なものであったと言えます。
八棟造と称され、総面積約五百坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えています。
御祭神菅原道真公は延喜3年(903)2月25日、無実の罪も晴れぬまま太宰府の配所で昇神され 天暦元年(947)おいたわしい御神霊の慰霊と皇城鎮護の神として北野の地にお祀りされました。
その後、皇室や藤原氏、そして武将を始め一般民衆に至るまで広く崇敬を集め今日に及んでいます。
2月25日祥月命日の梅花祭、薨去後50年目毎の大萬燈祭などの祭典は、のちのちまで丁重に祀ることにより、その御神霊はいよいよ浄化され、御神徳は更にあらたかになるという古代からの信仰の姿に基づいており、正に日本人の信仰そのものなのです。
道真公の御神徳は数えつくせませんが、主なものは次の通りです。
北野の七不思議
北野天満宮には昔から伝わる七不思議の史蹟があります。
この七不思議とは、霊異的あるいは不可解な現象や奇跡の起きる事物をいうのではなく、神秘的で信仰の対象となっている箇所のことです。
影向松
表参道の大鳥居(一ノ鳥居)をくぐってすぐ右手に、石の玉垣をめぐらせた一本の松がある。
毎年三冬(初冬より節分まで)の間に初雪が降ると、天神さまが降臨され雪見の歌を詠まれるという伝説があり、その時は硯・筆・墨をとりそろえてお供えし初雪祭を行う。
菅原道真公は天台座主尊意より仏舎利を伝播し、常に襟に掛けて護持されていたが初雪の降った日にこの掛舎利が大宰府より飛来してこの枝にかかったと伝えられ、以後この松を影向松と呼ぶようになった。
筋違いの本殿
楼門(南門)をくぐった正面には地主神社があり、菅公を祀る本殿はやや西よりに位置している。
この神社は北野天満宮御鎮座以前の承和三年(836)に祭られており、天暦元年(947)六月九日天満宮創祀の際、地主神社の正面を避けて建てられたためである。
星欠けの三光門
御本殿前の中門は、日・月・星の彫刻があるために三光門と呼ばれるが、一説にこの彫刻は、日と月と三日月はあるが星はないといわれる。
これは平安京造営当初の大内裏が千本丸太町にあったため、旧大極殿が天満宮の南方位に位置し、帝が当宮を遥拝(離れた所から神様を拝むこと)される際に、この三光門の真上に北極星が瞬いていたので星は刻まれていないのだと伝えられる。
大黒天燈龍
三光門の少し東南に、安政二年(1855)十月、河原町正面にあった「大黒屋」を中心とする質商組合によって奉献された石燈籠がある。
台座には大黒様の像が刻まれており、この大黒様の口(または頬とも云われる)に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれる。
唯一の立牛
菅原道真公(天神様)は、承和十二年(845)六月二十五日の御誕生であるが、この年は「丑歳」に当り、且つ菅公の伝説には牛にまつわる話が数多くり、且つすなわち乙丑年のお誕生であることにより、牛にまつわる縁起が多く伝えられ、牛は、牛は天神様の神使(お使い)となっている。
中でも延喜三年(903九州)大宰府で御生涯を閉じられた菅公の御遺骸をお運びする途中、車を引く牛が座り込んで動かなくなったため、近習達が已む無くその付近の寺院、安楽時に埋葬したのだが、この故事により境内各所にある神牛の像は臥牛(横たわった牛)の姿となっている。
ところが、拝殿欄間の彫刻には、当宮では珍しく立った牛の姿の神牛が刻まれている。
何故一頭だけ立像の牛があるのかは神秘的で今もって謎とされるところである。
裏の社
ふつう神社は前拝のみであるが、当宮の本殿は背面にも御后三柱という御神座持つ。
道真公の御神座と背中合わせの形で北向きに祭られているのは、天穂日命(菅公の祖先神)・菅原清公卿(菅公の祖父)・菅原是善卿(菅公の父)の三柱の神。
明治維新までは上記の影向松に飛来した仏舎利を祭っていたので、この御神座の前にある門を舎利門と呼んだ。
その昔、天満宮の参拝は、この御后三柱も含めて礼拝するのを常とした。
天狗山
天満宮の乾方位すなわち境内西北の角には、天狗山と呼ばれる小山がある。
室町時代の『社頭古絵図』(北野参拝曼荼羅)には、ユーモラスな鳥天狗が描かれている。
大昔、この辺りには天狗が出没したのかもしれない。
この場所には往古より牛祠が祭られ、一願成就の祠として信仰を集めたが、現在、この牛祠は南西の角に遷座している。
▼アクセス
JR京都駅より市バス50・101系統
JR・地下鉄二条駅より市バス55系統
JR円町駅より203系統
地下鉄今出川駅より市バス51・203系統
京阪出町柳駅より市バス203系統/京阪三条駅より市バス10系統
阪急四条大宮駅より市バス55系統
京福電車白梅町駅より徒歩5分
▼開閉時間
夏 午前5時 ~午後6時まで
冬 午前5時半~午後5時半まで
▼[受付時間]
午前9時~午後5時まで
▼[拝観自由]
▼[参拝者専用駐車場完備]
駐車は、参拝時間内に限ります
大型バス・乗用車
▼[開場時間]
午前9時より午後5時までと致します 毎月25日は、縁日のため駐車できませんのでご了承下さい 。
▼住所
京都市上京区馬喰町
電話番号 075-461-0005
詳しくは:http://kitanotenmangu.or.jp/lp_1.php
※写真は全て過去のものです。
大黒天燈龍
三光門の少し東南に、安政二年(1855)十月、河原町正面にあった「大黒屋」を中心とする質商組合によって奉献された石燈籠がある。
台座には大黒様の像が刻まれており、この大黒様の口(または頬とも云われる)に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれる。
唯一の立牛
菅原道真公(天神様)は、承和十二年(845)六月二十五日の御誕生であるが、この年は「丑歳」に当り、且つ菅公の伝説には牛にまつわる話が数多くり、且つすなわち乙丑年のお誕生であることにより、牛にまつわる縁起が多く伝えられ、牛は、牛は天神様の神使(お使い)となっている。
中でも延喜三年(903九州)大宰府で御生涯を閉じられた菅公の御遺骸をお運びする途中、車を引く牛が座り込んで動かなくなったため、近習達が已む無くその付近の寺院、安楽時に埋葬したのだが、この故事により境内各所にある神牛の像は臥牛(横たわった牛)の姿となっている。
ところが、拝殿欄間の彫刻には、当宮では珍しく立った牛の姿の神牛が刻まれている。
何故一頭だけ立像の牛があるのかは神秘的で今もって謎とされるところである。
裏の社
ふつう神社は前拝のみであるが、当宮の本殿は背面にも御后三柱という御神座持つ。
道真公の御神座と背中合わせの形で北向きに祭られているのは、天穂日命(菅公の祖先神)・菅原清公卿(菅公の祖父)・菅原是善卿(菅公の父)の三柱の神。
明治維新までは上記の影向松に飛来した仏舎利を祭っていたので、この御神座の前にある門を舎利門と呼んだ。
その昔、天満宮の参拝は、この御后三柱も含めて礼拝するのを常とした。
天狗山
天満宮の乾方位すなわち境内西北の角には、天狗山と呼ばれる小山がある。
室町時代の『社頭古絵図』(北野参拝曼荼羅)には、ユーモラスな鳥天狗が描かれている。
大昔、この辺りには天狗が出没したのかもしれない。
この場所には往古より牛祠が祭られ、一願成就の祠として信仰を集めたが、現在、この牛祠は南西の角に遷座している。
▼アクセス
JR京都駅より市バス50・101系統
JR・地下鉄二条駅より市バス55系統
JR円町駅より203系統
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夏 午前5時 ~午後6時まで
冬 午前5時半~午後5時半まで
▼[受付時間]
午前9時~午後5時まで
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▼[参拝者専用駐車場完備]
駐車は、参拝時間内に限ります
大型バス・乗用車
▼[開場時間]
午前9時より午後5時までと致します 毎月25日は、縁日のため駐車できませんのでご了承下さい 。
▼住所
京都市上京区馬喰町
電話番号 075-461-0005
詳しくは:http://kitanotenmangu.or.jp/lp_1.php
※写真は全て過去のものです。