京都の年中行事の一つに数えられる壬生寺の厄除け節分会(せつぶんえ)は、白河天皇の発願によって始められたといい伝えられ、九百年もの永い伝統を持つものである。
当寺は各社寺の中でも、京都の裏鬼門(南西)に位置し、京都の節分鬼門詣りの一端を往古より担っている。
ご本尊は重要文化財の延命地蔵菩薩であり、お地蔵さまの誓願である庶民大衆の除災招福を祈願して左記の通り、三日間にわたり古式どうり節分厄除け大法要を厳修する。
期間中は各地より参詣する老若男女で境内は雑踏をきわめる。
3日は厄除け護摩祈祷が本堂内で終日厳修され、年齢によって厄除けを祈願する星祭りの祈祷札が授与される。
また、壬生寺の節分詣では、節分厄除けお札・開運の起上がりダルマ守・お地蔵様があらゆる災難困難の身代わりとなって下さる身代り守・交通安全守なども授与される。
さらに境内参道では、素焼きの炮烙(ほうらく)を求め、家族知人の年齢性別願いごとなどを墨書して奉納するという、当寺にしか見られない珍しい風習がある。
これら多数の炮烙は、四月二十一日から二十九日に行われる壬生狂言の毎日の序曲である「炮烙割」でことごとく割られる。
この炮烙を奉納した人は、その年の災厄を免れて福徳を得るという信仰が伝わっている。
狂言堂では、壬生狂言「節分」が前日同様に上演される。
拝観は無料。
また、境内にある塔頭(たっちゅう)[中院]では、本尊の十一面観音の宝前で、壬生地蔵講による御詠歌の奉納があり、一願成就の水掛地蔵堂や金運上昇の弁天堂も多数の参詣者でにぎわう。
八木家の歴史
八木家には元々但馬の国(兵庫県養父郡朝倉の庄)に祖を発し、鎌倉時代初期に、遠祖より八木安高によりて起りました。
源頼朝の富士の裾野の巻狩りの時、関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で、頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと云われます。
(鎌倉武鑑)十数代の後、越前朝倉を経て天正年間中(室町時代)に、京・洛西壬生村に居を構え、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)と共に、村の経営や壬生狂言に携わり、代々村の行司役をも勤めていました。
又、壬生村と京都守護職や所司代とも大変深い関わりがありました。
(八木家、前川家文書)
幕末になり、江戸より浪士を預かり、後の“新選組”発足も京都守護職や所司代との関係であったことが伺われます。
壬生は往古より湧水の出ずるところで、水質にも大変恵まれ、壬生菜、菜種、藍などの産地でもありました。
その藍で染めた水色は壬生の色でもあり、壬生狂言に使用する手拭いの色にも古くから使用されています。
新選組が使っている羽織の段だら模様の水色は、この壬生の色を拝借したものです。
当家は、天正年間より当代まで15代を数え、代々血脈相続しています。
壬生狂言
重要無形民俗文化財に指定されている壬生狂言は、正式名称を「壬生大念佛狂言」といい、京都三大狂言の一つです。
壬生狂言は、約700年前の鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚(えんがく)上人が始めたとされています。
マイクや拡声器がなかった時代に、数十万人にも及ぶ群衆に分かりやすく説法をするため、身振り手振りの無言劇(パントマイム)を思いついたといわれています。
「カンデンデン」と呼ばれる鐘と太鼓と笛の囃に合わせて狂言が行われ、現在30の演目があります。
壬生狂言には台本がなく、代々口伝で、700年前と変わらぬ形で継承されています。
狂言を演じているのもここ壬生寺の信者の皆さんです。
壬生狂言は春の大念佛会(4月21日~29日)、秋の特別公開(10月の連休の3日間)に行われます。
また、節分会(2月2日・3日)には無料公開で、狂言演目「節分」のみを1日8回上演されます。
たくさんの歴史や文化が残されている壬生寺。
壬生寺の歴史に触れ合ってみてはいかがでしょうか。
■アクセス
京都駅から市バス
「壬生寺道」 下車 坊城通りを南へ200m
JR京都駅からは、烏丸中央口の26または28系統の市バス「壬生寺道」下車
阪急電鉄 「大宮」 下車 四条通りを西へ400m、坊城通りを南へ200m
京福電鉄 「四条大宮」 下車 四条通りを西へ400m、坊城通りを南へ200m
■拝観料 無料
100円(壬生塚)、大人200円(壬生寺歴史資料室)※壬生狂言の鑑賞料800円
ぜんざい:無料
■期間:2月2日?4日
※2022年は上演回数や催し等を縮小して開催。
詳細は公式ホームページにてご確認ください。
※「壬生三社寺巡り」2022年2月6日(日)まで。
詳細は公式Facebookをご確認下さい。
■参拝時間
8:30~17:00(寺務所)
8:30~16:30(壬生塚・壬生寺歴史資料室)
■〒604-8821
京都市中京区坊城仏光寺北入る
電話 075-841-3381
詳しくは:http://www.mibudera.com
※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
※写真は全て過去のものです。
当寺は各社寺の中でも、京都の裏鬼門(南西)に位置し、京都の節分鬼門詣りの一端を往古より担っている。
ご本尊は重要文化財の延命地蔵菩薩であり、お地蔵さまの誓願である庶民大衆の除災招福を祈願して左記の通り、三日間にわたり古式どうり節分厄除け大法要を厳修する。
期間中は各地より参詣する老若男女で境内は雑踏をきわめる。
3日は厄除け護摩祈祷が本堂内で終日厳修され、年齢によって厄除けを祈願する星祭りの祈祷札が授与される。
また、壬生寺の節分詣では、節分厄除けお札・開運の起上がりダルマ守・お地蔵様があらゆる災難困難の身代わりとなって下さる身代り守・交通安全守なども授与される。
さらに境内参道では、素焼きの炮烙(ほうらく)を求め、家族知人の年齢性別願いごとなどを墨書して奉納するという、当寺にしか見られない珍しい風習がある。
これら多数の炮烙は、四月二十一日から二十九日に行われる壬生狂言の毎日の序曲である「炮烙割」でことごとく割られる。
この炮烙を奉納した人は、その年の災厄を免れて福徳を得るという信仰が伝わっている。
狂言堂では、壬生狂言「節分」が前日同様に上演される。
拝観は無料。
また、境内にある塔頭(たっちゅう)[中院]では、本尊の十一面観音の宝前で、壬生地蔵講による御詠歌の奉納があり、一願成就の水掛地蔵堂や金運上昇の弁天堂も多数の参詣者でにぎわう。
八木家の歴史
八木家には元々但馬の国(兵庫県養父郡朝倉の庄)に祖を発し、鎌倉時代初期に、遠祖より八木安高によりて起りました。
源頼朝の富士の裾野の巻狩りの時、関東一円を震撼させた白い猪を射止めた功績で、頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと云われます。
(鎌倉武鑑)十数代の後、越前朝倉を経て天正年間中(室町時代)に、京・洛西壬生村に居を構え、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)と共に、村の経営や壬生狂言に携わり、代々村の行司役をも勤めていました。
又、壬生村と京都守護職や所司代とも大変深い関わりがありました。
(八木家、前川家文書)
幕末になり、江戸より浪士を預かり、後の“新選組”発足も京都守護職や所司代との関係であったことが伺われます。
壬生は往古より湧水の出ずるところで、水質にも大変恵まれ、壬生菜、菜種、藍などの産地でもありました。
その藍で染めた水色は壬生の色でもあり、壬生狂言に使用する手拭いの色にも古くから使用されています。
新選組が使っている羽織の段だら模様の水色は、この壬生の色を拝借したものです。
当家は、天正年間より当代まで15代を数え、代々血脈相続しています。
壬生狂言
重要無形民俗文化財に指定されている壬生狂言は、正式名称を「壬生大念佛狂言」といい、京都三大狂言の一つです。
壬生狂言は、約700年前の鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚(えんがく)上人が始めたとされています。
マイクや拡声器がなかった時代に、数十万人にも及ぶ群衆に分かりやすく説法をするため、身振り手振りの無言劇(パントマイム)を思いついたといわれています。
「カンデンデン」と呼ばれる鐘と太鼓と笛の囃に合わせて狂言が行われ、現在30の演目があります。
壬生狂言には台本がなく、代々口伝で、700年前と変わらぬ形で継承されています。
狂言を演じているのもここ壬生寺の信者の皆さんです。
壬生狂言は春の大念佛会(4月21日~29日)、秋の特別公開(10月の連休の3日間)に行われます。
また、節分会(2月2日・3日)には無料公開で、狂言演目「節分」のみを1日8回上演されます。
たくさんの歴史や文化が残されている壬生寺。
壬生寺の歴史に触れ合ってみてはいかがでしょうか。
■アクセス
京都駅から市バス
「壬生寺道」 下車 坊城通りを南へ200m
JR京都駅からは、烏丸中央口の26または28系統の市バス「壬生寺道」下車
阪急電鉄 「大宮」 下車 四条通りを西へ400m、坊城通りを南へ200m
京福電鉄 「四条大宮」 下車 四条通りを西へ400m、坊城通りを南へ200m
■拝観料 無料
100円(壬生塚)、大人200円(壬生寺歴史資料室)※壬生狂言の鑑賞料800円
ぜんざい:無料
■期間:2月2日?4日
※2022年は上演回数や催し等を縮小して開催。
詳細は公式ホームページにてご確認ください。
※「壬生三社寺巡り」2022年2月6日(日)まで。
詳細は公式Facebookをご確認下さい。
■参拝時間
8:30~17:00(寺務所)
8:30~16:30(壬生塚・壬生寺歴史資料室)
■〒604-8821
京都市中京区坊城仏光寺北入る
電話 075-841-3381
詳しくは:http://www.mibudera.com
※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
※写真は全て過去のものです。