「小野小町」
花の色は移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に
一千有余年の時を経て 人々を魅了し続ける 謎の美女 小野小町
西に東山丘陵、東に醍醐山などの山並みを望む山科盆地。
平安時代には貴族たちの遊猟場でした。
その南部に位置する随心院。
平安時代初期、当代一流の歌人で絶世の美女と謳われた小野小町が、晩年を過ごしたと伝わるお寺です。
創建は正暦2(991)年。
仁海(にんがい)僧正を開基とする、真言宗善通寺派の大本山です。
往時には壮麗な七堂伽藍を構えましたが、承久の乱や応仁の乱など度重なる戦火により諸堂は焼失。
現在の本堂は慶長4(1599)年の再建で、薬医門や玄関、書院などは江戸時代初期から中期に建立されました。
奥書院を飾る狩野派の襖絵をはじめ、随所に施された絵図が見事。
また、苔に覆われた坪庭や白壁が清々しく、どこか女性的な奥ゆかしさを感じさせます。
御本尊は、本堂内・須弥壇の中央に安置されている如意輪観音菩薩坐像。
ほかに、重要文化財である定朝作の阿弥陀如来坐像、快慶作の金剛薩たさった)坐像など貴重な諸仏が一堂に並びます。
『花の色はうつりにけりないたづらにわが身世るながめせしまに』この小倉百人一首の一句を詠んだ小野小町は、生没年も定かではないという謎の女性。
仁寿2(852)年、宮仕えを終えてこの地に退いたのは30歳を過ぎた頃といわれています。
有名な「深草少将の百夜通(ももよがよい)」の舞台もここ。
小町を想って毎夜通い続けた少将が、九十九日目の夜にこの世を去ってしまうという伝説です。
境内には、朝夕の化粧に使用したという「化粧の井戸」や千束の文を埋めたと伝わる「文塚」などの遺跡も。
さまざまな伝説を持つ謎多き小町に思いを巡らせながら、散策するのもおすすめです。
アクセス
地下鉄東西線小野駅から徒歩5分
車での御来院
-京都東ICから10分
-駐車場有り(無料) 大型駐車可能
拝観料
大人500円、中学生300円。
梅園には入園料(大人500円)が別途必要。
3月25日「はねず踊り」:大人1000円、中学生800円
参拝時間
9:00~16:30
お問い合せ:075-571-0025
詳しくは:http://www.zuishinin.or.jp/
※写真は全て過去のものです。
花の色は移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に
一千有余年の時を経て 人々を魅了し続ける 謎の美女 小野小町
西に東山丘陵、東に醍醐山などの山並みを望む山科盆地。
平安時代には貴族たちの遊猟場でした。
その南部に位置する随心院。
平安時代初期、当代一流の歌人で絶世の美女と謳われた小野小町が、晩年を過ごしたと伝わるお寺です。
創建は正暦2(991)年。
仁海(にんがい)僧正を開基とする、真言宗善通寺派の大本山です。
往時には壮麗な七堂伽藍を構えましたが、承久の乱や応仁の乱など度重なる戦火により諸堂は焼失。
現在の本堂は慶長4(1599)年の再建で、薬医門や玄関、書院などは江戸時代初期から中期に建立されました。
奥書院を飾る狩野派の襖絵をはじめ、随所に施された絵図が見事。
また、苔に覆われた坪庭や白壁が清々しく、どこか女性的な奥ゆかしさを感じさせます。
御本尊は、本堂内・須弥壇の中央に安置されている如意輪観音菩薩坐像。
ほかに、重要文化財である定朝作の阿弥陀如来坐像、快慶作の金剛薩たさった)坐像など貴重な諸仏が一堂に並びます。
『花の色はうつりにけりないたづらにわが身世るながめせしまに』この小倉百人一首の一句を詠んだ小野小町は、生没年も定かではないという謎の女性。
仁寿2(852)年、宮仕えを終えてこの地に退いたのは30歳を過ぎた頃といわれています。
有名な「深草少将の百夜通(ももよがよい)」の舞台もここ。
小町を想って毎夜通い続けた少将が、九十九日目の夜にこの世を去ってしまうという伝説です。
境内には、朝夕の化粧に使用したという「化粧の井戸」や千束の文を埋めたと伝わる「文塚」などの遺跡も。
さまざまな伝説を持つ謎多き小町に思いを巡らせながら、散策するのもおすすめです。
アクセス
地下鉄東西線小野駅から徒歩5分
車での御来院
-京都東ICから10分
-駐車場有り(無料) 大型駐車可能
拝観料
大人500円、中学生300円。
梅園には入園料(大人500円)が別途必要。
3月25日「はねず踊り」:大人1000円、中学生800円
参拝時間
9:00~16:30
お問い合せ:075-571-0025
詳しくは:http://www.zuishinin.or.jp/
※写真は全て過去のものです。