京の一枚

京都 東寺・終い弘法 21日


「弘法さん」で親しまれる市の、1年最後の縁日。


 
いつものなじみの店に加えて、正月用品の露店も出て、あちこちで威勢のいいかけ声が挙がります。



どことなくそわそわして見える人々の姿は、年末に見る暖かい光景です。



法要に訪れる人々を目当てに、室町中期までには「一服一銭」の屋台の茶店が登場し、やがて江戸時代になると、植木屋や薬屋なども出てくるようになった。



したがって、市としての「弘法さん」がいつはじまったかと問われると、どこから数えるか定めようがないらしい。


まぁ、どう短く区切っても400年超ということである。


現在では、およそ1200~1300店ほどが出店し、毎月20万人ほどの人が訪れているという。




終い弘法


弘法大師は承知2年(835)高野山で入定(にゅうじょう)しました。


その命日にちなみ、毎月21日、京都市南区にある東寺の境内では「弘法市」が大々的に開かれます。


弘法市には観光客も多く、楽しいフリーマーケットとなります。


その年内最後の祭典が「終い弘法」と呼ばれ、この1年間の無病息災を感謝して年間で最もにぎやかな弘法市が開かれます。


地元の参詣者や観光客で賑わう「終い弘法」では骨董品や古着のほか、葉ボタンや梅、千両の苗、干しガキ、翌年のえとの置物など、迎春用の品を売る店がずらりと並びます。


一般に神社の祭日や寺院の縁日の市は古い起源もっていますが、「弘法市」の縁日がいつ頃始まったかについてのはっきりとした記録は残っていませんが、天狗草紙絵巻の中に、東寺南大門で物を売る商人の図が見受けられたり、東寺百合文書には、応永10年(1403)、足利義満の時代に南大門に一服一銭の茶店があったことが記されています。


これによって鎌倉中期から室町時代にかけて、境内の特定の地域で商行為が行なわれていたことがわかります。






東寺の「御影堂」


弘法大師空海の住房だったところです。


弘法大師空海が生きていた頃と同じように、毎朝6時に生身供(じょうじんく)が始まります。


読経最後には弘法大師空海が持ち帰った「仏舎利:釈迦が荼毘に付された際の遺骨、灰塵」を法会の参加者の頭と両手にかざして貰えるそうです。








東寺 鎮守八幡宮


九州から大軍を率いて上洛した足利尊氏は、北朝の光厳上皇を奉じて東寺に入りここを本陣としたそうです。


京都を奪回すべく入京した南朝の新田義貞と六条大宮より鏑矢(かぶらや:)が新田勢めがけて飛び、敵軍は退散。


尊氏の武運が開けたそうです。


この日、護摩供養(ごまくよう)が行われます。


護摩供養とは、炉の中に護摩木を焚いて弘法大師さんの供養をしていたものが、現在は無病息災や招福などの目的で行います。


護摩の言語は、サンスクリット語のホーマの音写です。


その根元は古代インドのヴェーダ宗教からでバラモンの公的儀式のことで、毎日行う火の儀式のことです。


火の浄化で、人間の煩悩(ぼんのう)や業(ごう)を焼き払う内護摩もあります。










■場 所: 東寺


■期 間: 12月21日(※毎年同じ日程です)


■時 間: 8~16時


■アクセス: 近鉄京都線「東寺」駅


■お問合せ: 075-691-3325


詳しくは:http://www.toji.or.jp/


※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。


※写真は全て過去のものです。




















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