京の一枚

京都 六波羅蜜寺・かくれ念仏(空也踊躍念仏) 13日~31日


六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。


当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)


現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。


これが当寺の起こりである。










開山の空也上人


第60代醍醐天皇の皇子で、若くして五畿七道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家し、空也と称す。


再び諸国を遍歴し、名山を訪ね、錬行を重ねると共に一切経をひもとき、教義の奥義を極める。


天暦2年(946)叡山座主延勝より大乗戒を授かり光勝の称号を受けた。


森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を唱えた。


上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖」と呼び慣わした。


上人が鞍馬山に閑居後、常々心の友としてその鳴声を愛した鹿を、定盛なる猟師が射殺したと知り、大変悲しんでその皮と角を請い受け、皮をかわごろもとし、角を杖頭につけて生涯我が身から離さなかったという。


定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、瓢をたたき、法曲を唱し、寒い夜もいとわず京中を巡行して衆生の能化につとめた。


定盛は上人の遺風を伝えて茶筌を作り、これを世に広め、子孫は有髪の姿に黒衣をまとって踊り、念仏しながら瓢をたたいて市中を徘徊した。


これが今六斎念仏として伝わっている。


当山の空也踊躍念仏はさらにその源流である。




■交通機関


京都市バス


京都駅 206 系統、清水道下車、徒歩7分


京阪電車


清水五条駅下車、徒歩7分


阪急電車


河原町駅下車、徒歩15分


■場 所: 六波羅蜜寺


■期 間: 12月13日~31日 ※31日は非公開 (※毎年同じ日程です)


■時 間: 16時頃から約30分間

■アクセス: 市バス206「清水道」

■お問合せ: 075-561-6980


■詳細ページ: https://www.rokuhara.or.jp/


※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。


※写真は全て過去のものです。









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