おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
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わたしは生きたい

2012年11月04日 00時33分15秒 | 詩集・つれづれ
心が躍った。
躍動と書いて「タマシイチル」と読む。
命の際限が短いなら、人はなにを望むか。
さあ果ては見えるか。
そらの果ては、どこにあるのか。
よろこぶことが幸せなら、そこに果ては一体あるのか。
つまりは、果てる事が即ち終わるならそこがゴールか。
人の瞳は動かないものを映さないと聞く。
ならば動かないものは、見えないものはそこにはないのか。
五感が全てなのか。感覚は気のせいなのか。総ては言葉になおるのか。
論が、世界の理を語れるのか。
私は生きた道で語りたい。
だから映したものを、残さねばならない。
人は分かるには、身に付けないとならない。
言葉だけでは頭だけのもの。
学びは体験を通じて体現となる。
人は傷付くことで、優しいということを学ぶ。
優しさは、すなわち老いである。
老いを伴わぬ優は、嘘を含む。
嘘は世界に背く。
なだらかに生きるなら、心のまま。
感情は、ひとへの理解の鍵。
人を分かること、生を分かること、活を分かること、間を分かること。
私は気持ちと意志の狭間で苦しんでいる。
分かったと思うほど、分かっていないということを分かる。
死ぬ間際に、そうかと納得できるか。
わたしは息をするように、決断と活動をする。
私は、なにも分かっていない。
毎日、その事ばかりを思い知る。
どう生きるかより大きい、悩みをたずさえて、やっていこう。
私は今、生きている。
まだ、死んでいない。
ならば、息をしよう。