壁の鳩時計は1時15分になっている。
もう何年、いや何十年か、このまま動かない。
長女が高校生の時、「欲しい」というので買ってやったものだ。
小、中学生ならいざ知らず、高校生にもなって鳩時計とは……
おかしさをこらえながらも、娘かわいさのことであった。
以来、娘の部屋の壁から主の日常を見守り続け、
生活を律する大切な役割を果たしてきた。
やがて結婚。鳩時計は邪険にも置き去りにされた。
さすがに、新婚家庭に鳩時計は
気恥ずかしいものだと思ったに違いない。
それから私の書斎の壁に電池を外され掛けられている。
だから、この鳩時計に時間を尋ねることはない。
我が家には他に置時計が2つ、壁掛けの電子時計1つがある。
置時計の1つはこれまた電池切れのまま放置されている。
もう1つは、10分進んでいる。
娘や孫が遊びに来て、これら置時計を見て
大慌てすることしばしばだ。
頼りは電子時計、もっと信頼できるのは
テレビ画面に表示される時間だ。
このように、極めてあいまいな時間の中で日々を送っている。
それでも時を追う日々は生きている証しである。
鳩時計は、今では時を刻んではくれないが、
かわいい壁の飾り物として少しばかりの和みをくれる。
それとは真逆にとんでもなく怖い時を刻む時計がある。
世界終末時計である。
核戦争などによる人類の終末まで、あと何分(秒)かを示すもので、
米国の原子力科学者会報が定期的に発表している。
それによると、2023年は「残り90秒」しかないとした。
ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の相次ぐミサイル発射など
核兵器使用の脅威が高まっていること、気候変動がもたらす継続的脅威、
さらに新型コロナウイルスなど生物学的脅威などが
残り時間を少なくしていっている。
娘に他愛ない日々を送らせてくれた鳩時計、
その他愛ない日々が終わる時を知らせる終末時計。
願わくば、壁で愛想を見せながら時は刻まれてほしい。