インドの健康食キチュリ-中世・近世インドの食の革命(4)
キチュリ(Khichdi)はインド北部の伝統的な料理で、コメとマメ(緑豆やレンズマメ)を使って作るおかゆのような料理です。地域によって様々なバリエーションがありますが、一般的にターメリック(ウコン)が入っていて、黄色をしています。しかし、辛い香辛料は入っていないので、とてもやさしい味です。このため、インドの北部では赤ちゃんが最初に食べる固形物とされていますし、病気の時にもよく食べられそうです。
インド北部のハリヤナ州では、キチュリは農村部で主食のような存在であり、温かいギー(バターオイル)やヨーグルトを混ぜて食べることが多いそうです。一方、インド南部ではキチュリはそれほど食べられていません。しかし、かつてインド南部で栄えたハイデラバード州(現在のテランガーナ州、マラスワダ州、カルナタカ州)のイスラム教徒の間では朝食としてよく食べられているといいます。
なお、インドの伝統的な医学アーユルヴェーダでは、食事は体の調子を整えるためにとても重要ですが、キチュリはアーユルヴェーダにおける健康的な食事の代表とされています。
今回はこのようなキチュリについて取り上げます。
キチュリ(Gopi HaranによるPixabayからの画像)
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Khichdi の語源は、サンスクリット語の「Khiccha」で、コメとマメ類の料理を意味する。
キチュリはとても古くから食べられている料理で、最古の記述は紀元前4世紀から紀元後4世紀頃に成立したインドの叙事詩「マハーバーラタ」の中に見られる。また、紀元前300年頃にインドに遠征したギリシアのセレウコス王は、マメ類を入れたコメの料理がインドの人々にとても人気があると記しているが、これもキチュリのことだろう。モロッコの旅行家イブン・バットゥータが1350年頃にインドに滞在した際にも、よく食べられている料理としてキチュリを挙げている。
キチュリがインドで脚光を浴びるようになったのは、ムガール帝国(1526~1858年)の時代になってからだ。その理由は、ムガール帝国の皇帝がキチュリを好んで食べたからだ。例えば、第3代皇帝アクバル(在位:1556~1605年)は質素な食生活を好んでいたため、キチュリを毎日のように食べていたという。
インド人なら誰でも知っている昔話に、アクバルの家来のビルバルがキチュリを使ってアクバルを戒めた話がある。このビルバルは「最も輝ける宝石」と呼ばれた賢者であり、アクバルが最も頼りにしていた人物と言われている。
その話とは次のようなものだ。
冬の寒い日、アクバル王とビルバルが湖畔を散歩していた時に、ビルバルは「男は金のためなら何でもするものだ」とつぶやいた。するとアクバルは「お金のためにこんな冷たい湖の中で一晩中過ごす男がいるとは思えない」と言った。ビルバルは「きっと見つかりますよ」と答えた。アクバルは「そんな男がいるのなら、そいつに千枚の金貨を与えよう」と言い放った。
少ししてビルバルは、これに挑戦しようという貧しい男を見つけて来た。果たして、その貧しい男は湖の中で一晩過ごすことに成功した。ところが、くやしかったアクバルは、その男が街灯の近くにいたことを持ち出して来て、街灯の暖かさで湖の中の夜を生き延びたのだから、報酬はなしだと言いだした。
すると、ビルバルは宮廷に出勤しなくなった。疑問に思ったアクバル王は、彼の家に使者を送った。ほどなくして戻ってきた使者は、ビルバルは今作っているキチュリが炊き上がったら来ると言っていますと伝えた。しかし、いくら待ってもビルバルはやって来ない。しびれを切らした王がビルバルの家に行くと、火から1メートル以上も上につるされた鍋キチュリを炊いているビルバルを見つけた。
アクバルはビルバルに「火からこんなに離れていたら、いくら待っても炊けやしないぞ」と言った。それに対してビルバルは、「貧しい人が1キロ以上離れた街灯から暖をとったのと同じです」と答えた。これを聞いた王は自分の間違いを理解し、貧しい人に報酬を与えたという。
第4代皇帝ジャハーンギール(在位:1605~1627年)は、ピスタチオとレーズンを加えたキチュリを「美味しいもの」と名付けて、よく食べていたと伝えられている。また、第6代皇帝アウラングゼーブ(在位:1658~1707年)は、魚とゆで卵を入れたキチュリが大好物だった。ムガール帝国最後の皇帝バハードゥル・シャー2世(在位:1837~1858年)も緑豆のキチュリを好んで食べていたと伝えられる。
イギリスがインドを植民地化すると、キチュリはイギリスにも伝わり、ヴィクトリア女王(在位:1837~1901年)も食べたと言われている。また、インドのイギリス植民地では、キチュリを元にケジャリー(Kedgeree)という料理が考案された。これは、コメとマメに、ほぐした魚とゆで卵、香辛料、バターを加えて炊き上げた料理だ。日本では、カレー粉を使うレシピが一般的だ。
ケジャリー(flickrからの画像)
こうなると、キチュリとは全く違った料理に見えるが、料理の国際化とはこういうものかなと思ってしまう。