食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ナンの歴史-中世・近世インドの食の革命(3)

2021-11-13 17:13:36 | 第四章 近世の食の革命
ナンの歴史-中世・近世インドの食の革命(3)
日本でインド料理店に行くと、ナンが出てくることが多いです。このため、ナンは日本人のご飯みたいなもので、インド全土で大昔からナンが食べられてきたと日本人の多くの人が思っています。

ところが、これは間違っています。インドでは北部のごく一部の人しかナンを食べていませんでした。また、現代のインドでも、ナンを常食にしている人は多くありません。

その理由は、ナンは精製した真っ白な小麦粉を使い、焼くためにはタンドールという大掛かりな竈(かまど)を使用する必要があるからです。つまり、高価な小麦粉が買えて、タンドールを持つことができるくらい裕福な人しかナンを焼くことができなかったのです。

ちなみに、インド北部の一般庶民は、精製をしていない全粒粉で作った無発酵の生地を、フライパンのような鉄板で焼いたチャパティロティを食べていました。

今回は、インドの歴史をたどりながら、ナンタンドールについて見て行きます。


タンドールで焼くナン(boo leeによるflickrからの画像)

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ナン(Naan)という名前はペルシャ語で「パン」を意味する言葉「non」に由来する。ナンはインド以外にも、パキスタンやアフガニスタン、バングラデシュ、イラン、ウズベキスタン、タジキスタンなどでも食べられている。
ここで、ナンの作り方をおさえておこう。

ナンの作り方は簡単だ。小麦粉に水と塩を加えてこねた生地をしばらく置いて酵母による発酵を行わせる。次に、ふくらんだ生地を平たく延ばしてから、タンドールの内側に張り付けて焼くのである。

タンドールは、大きな壷のような形をした円筒形の粘土製のオーブンで、高さは1メートル以上ある。伝統的なタンドールは薪や木炭で加熱する。タンドールの底部には小窓があり、これを開閉することで火力が調節できる。タンドール内は最高で460℃に達することもあると言われている。

現在では、薪や木炭の代わりにガスが使用されることが多いし、電気で加熱するタンドールもある。しかし、食通は粘土製のタンドールを炭で加熱することにこだわるらしい。

それでは、歴史の話だ。まずはタンドールについてだが、タンドールの誕生は古代と考えられている。紀元前3000年頃のインダス文明のハラッパの遺跡で、タンドールのような粘土製のかまどが見つかっている。また、このかまどで焼いたと思われる、焼いた動物の肉も発見されているという。このような粘土製のかまどはインダス文明だけでなく、古代エジプトやメソポタミア文明でも発見されている。

ところが、インダス文明が滅亡した後、インドでは長期間にわたってタンドールは使われなくなってしまった。次にインドでタンドールが使用されるのは、ムガール帝国(1526~1858年)の創始者のバーブル(1483~1530年)がインドに進出した15世紀の終わり頃になってからだ。彼らがインドに再びタンドールを持ちこんだのである。

それ以降、ムガール帝国の宮廷や上流階級では、タンドールが使用されるようになる。また、第4代皇帝ジャハーンギール(在位:1605~1627年)の代には、携帯用のタンドールが発明された。ジャハーンギールがいつも美味しい料理を食べたいがために、旅をする時にはいつもこのタンドールを持って行ったと言われている。

一方、ナンの原型がインドの歴史に登場するのは西暦1300年頃のことで、精製した小麦粉で作られた生地を焼いたものが、イスラム勢力の王宮があったデリーで食べられていたという記録がある。

ムガール帝国がデリーを含むインド北部を支配するようになると、タンドールで焼いたナンが定着した。そして、ムガール帝国の宮廷では、朝食では必ずナンを食べていたという。

一方、シーク教の創始者グル・ナーナク(1469~1539年)によって、タンドールとナンは一般社会にも導入された。彼はカースト制を批判し、民衆の平等を実現するためにタンドールを備えた共同の炊事場を作ったのだ。その結果、タンドールとナンはインドの様々な階級に少しは広がるようになった。と言っても、タンドールとナンはそれ以降も主に裕福な人たちのものだったことに変わりはない。

さて、タンドールで調理した料理の一つに有名な「タンドリーチキン」がある。これは、骨付きの鳥肉を香辛料とウコンなどの着色料の入ったヨーグルトソースに数時間漬け込んだ後にタンドールで焼き上げた料理だ。

タンドリーチキンの起源は新しくて、1947年に誕生したとされるのが一般的だ。これは、インドとパキスタンが分離独立した年であり、現在のパキスタンからインドのデリーに逃げ延びて来た人がこの料理を考案したとされている。

この料理のミソはヨーグルトのソースに漬けることで、ヨーグルトの自然な酸味が肉を柔らかくし、香辛料の風味を浸透させるのだ。タンドリーチキンが誕生すると、肉のほとんどはヨーグルトに漬けられてからタンドールで焼かれるようになった。タンドールを用いた調理法の革命だったのだ。