食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

十字軍と砂糖の出会い-中世盛期のヨーロッパと食(5)

2020-11-28 17:55:40 | 第三章 中世の食の革命
十字軍と砂糖の出会い-中世盛期のヨーロッパと食(5)
今回は十字軍のお話です。十字軍は一般的に「聖地エルサレムの回復」という崇高な目的によって行われたとされていますが、実際は人間のエゴや欲の結果行われたものでした。そして十字軍兵士はエルサレムなどで大虐殺行為に及びます。これが現代になっても解決の糸口がつかめない西洋と中東の対立の根本的な原因であると言われることも多いのです。

ところで、ヨーロッパの発展にとって十字軍が果たした役割は大きいものでした。進んだイスラムの文化に触れたヨーロッパの人々はそれらを祖国に持ち帰り、その後の発展の礎としたのです。食の世界では、それまでなじみのなかった東方の食品がヨーロッパの人々に広く知られるようになりました。


十字軍(GaertringenによるPixabayからの画像)
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十字軍結成のきっかけを作ったのはビザンツ帝国だ。イスラム教徒国だったセルジューク朝(1038~1308年)の侵攻にさらされていたビザンツ帝国は、1095年にローマ教皇に援軍を要請した。そして第1回の十字軍(1096~1099年)が始まるのである。

ビザンツ帝国は攻め込んできたイスラム兵士を追い払えるだけの軍隊を期待していたのだが、やって来たのは想定外の大軍だった。そして「聖地エルサレムの回復」というやっかいな目的もたずさえてやって来た。

ビザンツ帝国から要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世が自身の権威を高めるとともに、ギリシア正教会に対して優位に立つために西ヨーロッパ中に呼びかけたからである。

また、十字軍兵士にもぜひともエルサレムに行きたい理由があった。

前回お話ししたが、キリスト教徒にとってエルサレムへの「巡礼」はとても人気があった。また、エルサレムにはイエス・キリストの遺物(聖遺物)が遺されており、それを手に入れることは最高の喜びであり名誉なことだった。さらに敵地を征服できれば、財産を略奪することで豊かになれるかもしれなかった。このような理由から大勢の志願兵が十字軍兵士となったのだ。とにかくその頃は、西ヨーロッパは人口増加によって活気があふれており、そのエネルギーがエルサレムに向かったのだ。

ところで、エルサレムは同じ神を崇めるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であり、イスラムがエルサレムを支配していた時もユダヤ教徒とキリスト教徒は自由に出入りしたり居住したりできていた。このため「聖地回復」とは、エルサレムをキリスト教徒だけのものにするという意味合いになる。

第1回十字軍はイスラム内の内紛の影響もあってエルサレムの征服に成功する。そして十字軍兵士はエルサレムのイスラム教徒とユダヤ教徒の大虐殺を行い、略奪を繰り返した。この時に殺されたイスラム教徒は7万人に上ると言われる。また、イスラムの岩のドーム内の財宝は根こそぎ奪われた。

なお、十字軍はエルサレムへの行軍途中でもイスラム教徒とユダヤ教徒に対して強奪・強姦・虐殺を繰り返していたとされる。また、ヨーロッパでも民衆によるユダヤ教徒の虐殺が起こっており、この頃がユダヤ人迫害の始まりとなった。

その後十字軍は、エルサレムなどの征服地にエルサレム王国などの十字軍国家を建設し、キリスト教徒が多数移住するようになった。エルサレムは1187年にイスラム教徒に奪還されるが、エルサレム王国を始めとする十字軍国家の多くは100年以上存続する。

西ヨーロッパの人々がシリアやパレスチナに住み始めると、自然とイスラム教徒との接触が増え、文化の交流や交易が始まるようになった。また、ジェノヴァやヴェネツィアなどの北イタリアの都市によって盛んとなっていた地中海交易は、十字軍の輸送や補給に交易航路が利用されるとともに、西ヨーロッパ勢力が地中海東岸を征服したことによってさらに発展した。こうしてイスラム圏から西ヨーロッパに新しい文化や書物、そして東方世界の品々が大量に流入するようになる。

ここで、この時に西ヨーロッパに流入した食材について紹介しよう。実は、その多くはイスラム勢力のイベリア半島支配によって既にヨーロッパに持ち込まれていたのだが、西ヨーロッパ人に広く知られるようになったのが十字軍遠征によってである。

まず、ソバやナス・ホウレンソウなどの野菜、そしてレモン・スイカなどの果物が西ヨーロッパにもたらされた。また、シナモン・ナツメグなどの香辛料もこの頃に西ヨーロッパ人の知るところとなる。

そして、何と言っても重要なのが「砂糖」だ。

十字軍は行軍途中に中東の現地人から甘い汁を出すサトウキビのことを聞き、腹が減るとサトウキビの茎を噛んで空腹をまぎらせたという。そして、十字軍国家のエルサレム王国が建設されると、砂糖の製造方法をイスラム教徒から教わり自分たちで砂糖造りを始めた。

この方法が「砂糖プランテーション」と呼ばれるもので、サトウキビだけを大量に栽培し、植え付け・育成・刈り取り・精製までの過程を一貫して行う方法だ。サトウキビから砂糖を精製するためには、刈り取った茎を素早く圧搾し、煮詰め、結晶化させる必要があるのだ。

このような工程を効率よく進めるためには大量の人手がいるが、エルサレム王国は侵略で獲得した奴隷と戦争捕虜を利用したと言われている。

やがて十字軍国家は崩壊するが、砂糖プランテーションは地中海のキプロス島やクレタ島、シチリア島などに持ち込まれる。そして大航海時代になると、アメリカ大陸などで黒人奴隷を使った砂糖の大量生産が行われるようになる(いずれ詳しい話をします)。

さて、十字軍を生み出すきっかけとなったビザンツ帝国であるが、第4回十字軍(1202~1204年)の攻撃により首都のコンスタンティノープルが陥落し、キリストの聖遺物を始めとする財宝が西ヨーロッパに持ち去られてしまう。その後ビザンツ帝国はコンスタンティノープルの奪回には成功するものの、立ち直れず、1453年に滅亡することになった。