食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

フランク王国の守護聖人-中世ヨーロッパのはじまりと食(6)

2020-11-04 23:07:17 | 第三章 中世の食の革命
フランク王国の守護聖人-中世ヨーロッパのはじまりと食(6)
守護聖人とは特定の地域や職業を守護するキリスト教の聖者のことです。

ヨーロッパの街を巡る旅番組を見ていると「この街の守護聖人は~です」という場面が出てくることがよくあります。また、仕事場にはその業種の守護聖人の絵などが飾られていたりします。このように、ヨーロッパの人々には守護聖人はかなり身近な存在のようです。今回は、フランク王国と食に関係のある守護聖人を取り上げてみます。

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日本人にはあまりなじみがない存在であるが、聖人とは存命中にキリスト教を篤く信仰し、そして奇跡的な行動をした人たちのことで、現在は人々と神の間に立ってとりなしをしてくれると考えられている。神に直接お願いできないことも守護聖人であれば少しは気軽にできるという感覚だろうか。

古い時代には自然発生的に特定の人が聖人とあがめられるようになったらしいが、途中からは教会が正式に聖人として認定するようになった。現代でも守護聖人は増え続けており、2003年には「インターネット利用者およびプログラマーの守護聖人」として、中世に百科事典を編纂した「セビリアのイシドールス」(560年頃~636年)が認定された。

さて、フランク王国にとって重要かつ人気者の守護聖人と言えば「トゥールのマルティヌス(聖マルタン、聖マーティンとも呼ぶ)」(316年頃~397年もしくは400年)だ。彼はフランク王国の守護聖人であり、現代ではフランスとドイツの守護聖人となっている。

彼の有名なお話に「マントの伝説」がある。

彼がローマ兵であったころ、ある雪の日に半裸で凍えていた物乞いを見かけた。かわいそうになったマルティヌスは、自分のマントを半分に裂いて物乞いに与えた。すると、その夜マルティヌスの夢の中に、その半分のマントをまとったイエス・キリストが現れたという。実は凍えていた物乞いはイエスだったのである。


マルティヌスとイエス・キリスト (GFreihalter - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11823365による)

この経験をきっかけにマルティヌスはキリスト教を篤く信仰するようになり、修道士となってゲルマン民族に布教を行った。そして、マルティネスが持っていた半分のマントは、フランク国王の礼拝堂に大切に保管されたということだ。なお、このマント(cappa)の保管場所(capella)が語源となって、礼拝堂(チャペル、仏語:chapelle、独語:Kapelle、英語:chapel)という言葉ができた。

マルティヌスは食の世界ではブドウとワインの守護聖人として有名だ。彼にはブドウの剪定法を広めたという次のような伝説がある。

ある時、彼が連れてきたロバをブドウの木につないでおいたら、ロバがブドウの葉を食べてしまった。ところが、次の実のなる季節にはその木にはとても良い実がたわわになって、美味しいワインを造ることができたという。そこから彼は剪定法を工夫し、それを多くの人に広めて皆が美味しいワインを造れるようになったと伝えられる。

ブドウの栽培で剪定は最も大切な技術と言われており、その創始者がマルティヌスということからも彼の人気ぶりがうかがえる話である。

一週間後の11月11日はキリスト教で聖マルティヌスの祝日と決められている。日本では「セント・マーチンズ・デイ(Saint Martin's Day)」と英語読みにしたものが一番知られているかもしれない。

この日は農民が一年を締めくくる収穫祭の日であり、売掛金を回収したり、小作人や使用人と次の年の契約を結んだりする日でもあった。また、ワイン醸造業者にとっては新酒の樽を開ける日でもあり、皆でその年のワインの出来を確かめ合ったという。このことから以前はボージョレ・ヌーヴォーは11月11日に解禁されていた(いろいろ紆余曲折があって、今は11月の第3木曜日が解禁日となっている)。

今でもヨーロッパの各地で、聖マルティヌスの日を祝う盛大な催し物が執り行われている。例えば、スイスのズールゼーという町では「ガチョウの首切り」という祭りが開かれている。つるされたガチョウ(すでに死んでいるのでご安心を)の首をサーベルでうまく切り落とすことができた若者はそのガチョウをもらうことができるということだ。ガチョウは昔の収穫祭のお供え物のなごりと言われている。

ドイツなどの聖マルティヌスの祭りでは、子供たちがランタンを持って街中をねり歩くそうだ。そして教会や学校に集まると、聖マルティヌスによってマントを切り分けられるシーンが再現されるらしい。最後に、パンやお菓子などをもらって帰宅する。家ではやはりガチョウを食べると言う。

やはり守護聖人はとても身近な存在のようだ。