今月初め、そごう美術館で開催されている「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」に行ってきました。
第1章は「水木しげるの妖怪人生」で彼が妖怪に興味を持ち妖怪絵師であり研究家になった過程を語っている。
水木しげるは1922年大阪に生まれるも、生後まもなく鳥取県境港市に移る。5歳の頃から近所に住むのんのんばあから不思議な話を聞き、近くの生福寺にある地獄極楽図に魅せられる。自身も不思議な体験を何度もしている。21歳の時に召集令状が届き南方最前線へ行きそこで左腕を負傷してしまうが、そこでも不思議な体験と現地の人の同じような話を聞いている。戦争が終わり復員後は様々な仕事で糊口を凌いだ後、紙芝居作家になり、その漫画の実力が認められ少年誌デビューを果たし一躍人気漫画家となる。
貸本用単行本「鬼太郎夜話」は最初の民間伝承を列挙した本となる。
そのご彼の漫画は「少年サンデー」や「少年マガジン」などに掲載されていった
かつて幽霊とバケモノは総称として「お化け」といわれ、その呼び方は他にモノノケ、怪物、変化、化生の者、鬼、魑魅魍魎、精怪、妖精、妖異、怪異と様々あり、幻獣や怪獣、悪魔や魔神、悪霊や死霊、異形の鬼神や土俗神、神の眷属から憑き物まで含まれ、アニミズムやシャーマニズムの神霊や精霊信仰などにも渡る。水木しげるはそれらの研究からこれまで日本人が不吉で忌まれていたものを妖精化して親しいものに変えていった・
第2章は「古書店妖怪探訪」です。水木しげるは神田の古書店街をぶらつくことが多かったそうで、そこから多くの妖怪情報を手に入れていた。以下は彼が持っている蔵書の例です。
左:鳥山積怨「画図百鬼夜行」この書物によって妖怪画を描くようになった。
右:柳田国男「妖怪談義」この本で幼少期の体験が生気を帯びて妖怪人生のターニングポイントとなる。
左:藤沢衛彦「日本伝説研究」全八巻
右:井上円了「妖怪学」この書は妖怪の存在を否定したものだが水木しげるは数多くの妖怪収集の実績を認めている。
左:玉香山人「怪談雨の燈」 中:東山仙人「古今怪談西曙物語」 右:巖谷小波「大語圓」
左:東男子「怪談雨の鐘」 右:伊丹椿圓「怪談全書」
以上のほかにも数多くの妖怪関連の書物を所有している。
第3章は「水木しげるの妖怪工房」です。彼は昔の絵師が描いた形のある妖怪は、そのデザインを尊重し、民間伝承の文章だけで形のわからない妖怪は様々なものからヒントを得て姿を与えている。
最初は「絵師達からの継承」です。
左:あかなめ 藤沢衛彦「画図百鬼夜行」を参考 右:幽霊赤児「蕪村妖怪絵巻」を参考
左:提灯お岩 「葛飾北斎 百物語」を参考 右:小豆洗い「竹原春泉斎 絵本百物語」を参考
左:ぬらりひょん 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」を参考 右」目目連(もくもくれん)「鳥山石燕 今昔百鬼拾遺」より
左:輪入道「鳥山石燕 今昔画図百鬼」より 右:お歯黒べったり「竹原春泉斎 絵本百物語」より
左:二口女「竹原春泉斎 絵本百物語」より 右:大かむろ「速水春暁斎 絵本小夜時雨」 より
左:疫病神「作者不詳 泣不動縁起絵巻」より
ここからは「様々な資料から創作」です。 右:砂かけ婆 近畿地方でいう、寂しい社の森などで人に砂をかける妖怪
左:児啼爺 深山で赤ん坊の泣き声をあげて人をだます妖怪 徳島県山間部に現れると言われる。三重県津市の郷土芸能の唐人踊りの仮面を参考
右:がしゃどくろ 戦死者や野垂れ死にした者の骸骨や怨念が凝り固まり、巨大な骸骨となりガシャガシャと野を彷徨う、歌川国芳 相馬の古内裏
以下の作品は文字情報からの創作です。
左:白坊主 大阪南西部に現れた白い坊主、タヌキが化けたものという、妖怪談義などの文章を参考に
右:べとべとさん 奈良県宇陀郡でいう、通行人の後ろで足音を立てる妖怪、 妖怪談義などの文章を参考に
左:一反木綿 長い布のようなものが空を飛び、時には人を襲うという鹿児島の妖怪 妖怪談義などの文章を参考に
右:座敷童子 旧家などに住み着く子供の姿をした妖怪、岩手県を中心とした東北地方に広く伝わる。
左:小右衛門火 奈良県に現れた、一団となって飛びまわる火の妖怪。 大語圓の小右衛門火をもとに
右:長面妖女 石川県加賀市で目撃された顔の長い大女の妖怪 大語圓の長面妖女をもとに
今回は作品数が多いのと、纏めるのに時間が間に合わないのでここまでにしておきます。次回は第4章「水木しげるの百鬼夜行」です。
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