まだまだスギ花粉の猛威は続きますね。
ご多分に漏れずデリケートな私も花粉には悩まされるひとり。
若い頃は全然平気だったのに歳のせいもあるのでしょうか?
ところが2年前、紅富貴(べにふうき)緑茶を仕入れて飲み続けたところ
ナント・・・
それまで医者様にもらった薬を飲まないとどうしようもなかったのに、どうにか過ごせるようになったではありませんか

医薬品ではありませんから、人によって効き目の有無はあるようですが
私の長女など
「飲んで暫くすると鼻水が止まるんだよねぇ」
なんてすっかり頼りっきり

事実うちのお客さんでも、何人もそういう方がいらっしゃいます。
ぜひ一度お試しください。
ただし、くれぐれも医薬品ではありませんのでアシカラズです
ご多分に漏れずデリケートな私も花粉には悩まされるひとり。
若い頃は全然平気だったのに歳のせいもあるのでしょうか?
ところが2年前、紅富貴(べにふうき)緑茶を仕入れて飲み続けたところ
ナント・・・
それまで医者様にもらった薬を飲まないとどうしようもなかったのに、どうにか過ごせるようになったではありませんか


医薬品ではありませんから、人によって効き目の有無はあるようですが
私の長女など
「飲んで暫くすると鼻水が止まるんだよねぇ」
なんてすっかり頼りっきり


事実うちのお客さんでも、何人もそういう方がいらっしゃいます。
ぜひ一度お試しください。
ただし、くれぐれも医薬品ではありませんのでアシカラズです

筆不精のこのボクが、よりによってmixiに登録をしてしまいました
おまけに使い方がわからず悪戦苦闘。。。
ですから
しばらく
ココを閉鎖・・・
なんてことにならないように頑張ります

おまけに使い方がわからず悪戦苦闘。。。
ですから
しばらく
ココを閉鎖・・・
なんてことにならないように頑張ります

腰痛もちの人間にとって、この冬場はとても辛い日々が続くのでありまして、もうかれこれ10年位それに悩まされている私には地獄の毎日です
症状は色々でしょうが、私の場合、身体の右半分が自分のものではないほど硬直感があって痛みます。
そう、昔マジンガーZっていうアニメがありましたが、そこに登場する悪役の「あしゅら男爵」のように右半身と左半身がまるで別物。
この表現、たぶん普通の人ではなかなか理解ができないかもね
我慢も限界に近づいてきたので、忙しさと面倒くささで通うのをサボっていた整骨院のお世話になることにしました。
今までカイロや鍼灸、電気治療にマッサージ、挙句の果てにこの辺りでは有名な「お助けじいさん」なる方のところへも足を運びましたが、なかなか合うところがありません。
(カイロは高くて通院断念
)
でもここは、保険も効かせてくれるし(ちょっと無理やり)店長が凄い!
横になって
「じゃあ、ちょっと上のほうから診ていきますねぇ~」
と、クビの方から順番に軽くマッサージをしていくだけで、一番痛いところをズバリ言い当て、そこを中心にほぐしながら整体していってくれるんです。
痛くなくはありません。
「ココ痛いですよねぇ~グィッ」
と、いきなりくるので
「そ、そこは。。。」
悲鳴をあげそうになるのですが、それがまた気持ちいいんです。

お勧めです『げんき堂整骨院(ウニクス高崎)』店長:秋山さん
でも、ちょっと揉み返しが。。。明日も行かなきゃ

症状は色々でしょうが、私の場合、身体の右半分が自分のものではないほど硬直感があって痛みます。
そう、昔マジンガーZっていうアニメがありましたが、そこに登場する悪役の「あしゅら男爵」のように右半身と左半身がまるで別物。
この表現、たぶん普通の人ではなかなか理解ができないかもね

我慢も限界に近づいてきたので、忙しさと面倒くささで通うのをサボっていた整骨院のお世話になることにしました。
今までカイロや鍼灸、電気治療にマッサージ、挙句の果てにこの辺りでは有名な「お助けじいさん」なる方のところへも足を運びましたが、なかなか合うところがありません。
(カイロは高くて通院断念

でもここは、保険も効かせてくれるし(ちょっと無理やり)店長が凄い!
横になって
「じゃあ、ちょっと上のほうから診ていきますねぇ~」
と、クビの方から順番に軽くマッサージをしていくだけで、一番痛いところをズバリ言い当て、そこを中心にほぐしながら整体していってくれるんです。
痛くなくはありません。
「ココ痛いですよねぇ~グィッ」
と、いきなりくるので
「そ、そこは。。。」
悲鳴をあげそうになるのですが、それがまた気持ちいいんです。

お勧めです『げんき堂整骨院(ウニクス高崎)』店長:秋山さん
でも、ちょっと揉み返しが。。。明日も行かなきゃ

なんとビックリ
業界の人間でありながら勉強不足を痛感しました
今、京都や金沢で(双方とも古都と呼ばれる地域ですね)「茶婚式」なる婚礼スタイルがひそかなブームのようです。
~以下、1月31日読売新聞より~
茶道裏千家の「立礼(りゅうれい)」の作法にのっとり、カップルが茶を飲んで結婚を誓う「茶婚式」が京都市内で少しずつ人気を広げている。
「京都で、神道の三三九度とはまた違う和風の式を挙げたい」と府外から訪れるカップルもある。
発案者はTNCブライダルサービス(中京区・木村俊昭社長)と裏千家とかかわりの深い細見美術館(左京区)。木村社長は京都の神社での結婚式を多く手がけてきたが、意外に若者の間で〈和のスタイル〉へのあこがれが強いのを知り、同美術館の協力を得て2004年から始めた。
「立礼」は明治時代初めに、正座が苦手な外国人でも茶がたしなめるよう考案された、いすとテーブルを用いたお点前。参列する親族には高齢者らもいるため、茶婚式ではこの作法が採用されることになった。
30日には東山区の京料理東観荘で、川崎市の会社員山崎裕一さん(31)と洋子さん(31)の茶婚式が行われた。
式では、厳かな雰囲気の中、裏千家の女性教授が茶をたて、和装姿の新郎新婦のテーブルへ。二人は自らの茶を飲んだあと、感謝の意を込め、教授がたてた茶をそれぞれの父親に差し出し、参列者らも一緒に茶を頂いた。
同社によると、婚礼雑誌や口コミなどで希望者は年々増え、同社では昨年は9組の式を取り持ち、今年も今のところ16組が成約しているという。
式を終えたあと、新郎の山崎さんは「茶婚式は雑誌で存在を知りました。一生に1度のことなので思い出深い式をと選んだが、心に残る式になった」と満足そうだった。
色々新しいことを考える人がいるものです。
現状に甘んじず、何か面白いことでも考えよう
と言いながら、いつもクダラナイことばかり考えつくのでした

業界の人間でありながら勉強不足を痛感しました

今、京都や金沢で(双方とも古都と呼ばれる地域ですね)「茶婚式」なる婚礼スタイルがひそかなブームのようです。
~以下、1月31日読売新聞より~
茶道裏千家の「立礼(りゅうれい)」の作法にのっとり、カップルが茶を飲んで結婚を誓う「茶婚式」が京都市内で少しずつ人気を広げている。
「京都で、神道の三三九度とはまた違う和風の式を挙げたい」と府外から訪れるカップルもある。
発案者はTNCブライダルサービス(中京区・木村俊昭社長)と裏千家とかかわりの深い細見美術館(左京区)。木村社長は京都の神社での結婚式を多く手がけてきたが、意外に若者の間で〈和のスタイル〉へのあこがれが強いのを知り、同美術館の協力を得て2004年から始めた。
「立礼」は明治時代初めに、正座が苦手な外国人でも茶がたしなめるよう考案された、いすとテーブルを用いたお点前。参列する親族には高齢者らもいるため、茶婚式ではこの作法が採用されることになった。
30日には東山区の京料理東観荘で、川崎市の会社員山崎裕一さん(31)と洋子さん(31)の茶婚式が行われた。
式では、厳かな雰囲気の中、裏千家の女性教授が茶をたて、和装姿の新郎新婦のテーブルへ。二人は自らの茶を飲んだあと、感謝の意を込め、教授がたてた茶をそれぞれの父親に差し出し、参列者らも一緒に茶を頂いた。
同社によると、婚礼雑誌や口コミなどで希望者は年々増え、同社では昨年は9組の式を取り持ち、今年も今のところ16組が成約しているという。
式を終えたあと、新郎の山崎さんは「茶婚式は雑誌で存在を知りました。一生に1度のことなので思い出深い式をと選んだが、心に残る式になった」と満足そうだった。
色々新しいことを考える人がいるものです。
現状に甘んじず、何か面白いことでも考えよう

と言いながら、いつもクダラナイことばかり考えつくのでした

今日運転中、何気なく聞いていたラジオから
♪~~~
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめつづける
時代遅れの男になりたい
云わずと知れた河島英吾さんの名曲であるが、無性に心に響いてきた。
少々病んでいるかも
♪~~~
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめつづける
時代遅れの男になりたい
云わずと知れた河島英吾さんの名曲であるが、無性に心に響いてきた。
少々病んでいるかも

約3年ぶりに、たった一人の弟の子どもに会いました。
3歳の男の子と9ヶ月になる女の子です。
最初は恥ずかしがって今にも泣き出しそうな勢いでしたが、別れる時にはご覧の通り。
うちの長男とすっかり仲良しに!
子どもの適応力はスゴイですね!
3歳の男の子と9ヶ月になる女の子です。
最初は恥ずかしがって今にも泣き出しそうな勢いでしたが、別れる時にはご覧の通り。
うちの長男とすっかり仲良しに!
子どもの適応力はスゴイですね!
先週土曜日、私も5年前まで13年間お世話になった高崎青年会議所という団体の、その年40歳になるメンバーの卒業式に出席した。
(この団体※以下JCは40歳になった年が定年となる)
卒業以来この式には必ず出席し、数々の仲間達の卒業を見届けてきたが、なかでも私にとっては、片腕以上のまさに分身ともいえる男が最後を迎える今年は格別の想いであった。
私より1年遅れて入会してきた彼とは当時まるで面識もなく、第一印象も特別な感覚はなかった。
ただ、最初に出席した日の彼の状況が、私にはあまりにも不憫に思えた記憶はある。
そのせいか、以後しばらく彼は顔を出すことがなかった。
JCは基本的に委員会ごとに活動を行っており、本来私と彼は接点がなかったが、あるプロジェクトにお互い出向させられていた。
ある日そのプロジェクトに参加するために、なぜか私は彼を会社まで迎えに行ったらしい。
(私の記憶からは綺麗に消え去っているのだが、彼が鮮明に覚えている。)
ただ当時、何とかしてきっかけをつくってあげたいと思っていたのは事実である。
その日を契機に彼はJCにも顔を出すようになり、私も半分は責任感で会う回数、話す回数が増えていった。
彼は、私が持ち合わせていないもの全てを持っていた。
自分の主張を明確に伝え、周りをグイグイと引っ張っていく才能もさることながら、いち早く私の想いを汲み取り、自分がワル者になってまでも代弁・代行してくれた。
いつの間にか欠かせぬ存在となっていた彼は、以来ずっと私の傍で何かにつけ助けてくれている。
そんな男が、ついに17年という長い長い年月にわたり情熱を注いできたJCの卒業を迎えた。
今や、経験も人脈も私を遥かに超えている。
その彼が卒業式の最後に私のところへやってきて号泣してくれた。
照れくさかったが、周りをはばからず貰い泣きしてしまった。
お疲れさん^^これからもお互いに偉くならないようにずっと一緒に頑張ろう
(この団体※以下JCは40歳になった年が定年となる)
卒業以来この式には必ず出席し、数々の仲間達の卒業を見届けてきたが、なかでも私にとっては、片腕以上のまさに分身ともいえる男が最後を迎える今年は格別の想いであった。
私より1年遅れて入会してきた彼とは当時まるで面識もなく、第一印象も特別な感覚はなかった。
ただ、最初に出席した日の彼の状況が、私にはあまりにも不憫に思えた記憶はある。
そのせいか、以後しばらく彼は顔を出すことがなかった。
JCは基本的に委員会ごとに活動を行っており、本来私と彼は接点がなかったが、あるプロジェクトにお互い出向させられていた。
ある日そのプロジェクトに参加するために、なぜか私は彼を会社まで迎えに行ったらしい。
(私の記憶からは綺麗に消え去っているのだが、彼が鮮明に覚えている。)
ただ当時、何とかしてきっかけをつくってあげたいと思っていたのは事実である。
その日を契機に彼はJCにも顔を出すようになり、私も半分は責任感で会う回数、話す回数が増えていった。
彼は、私が持ち合わせていないもの全てを持っていた。
自分の主張を明確に伝え、周りをグイグイと引っ張っていく才能もさることながら、いち早く私の想いを汲み取り、自分がワル者になってまでも代弁・代行してくれた。
いつの間にか欠かせぬ存在となっていた彼は、以来ずっと私の傍で何かにつけ助けてくれている。
そんな男が、ついに17年という長い長い年月にわたり情熱を注いできたJCの卒業を迎えた。
今や、経験も人脈も私を遥かに超えている。
その彼が卒業式の最後に私のところへやってきて号泣してくれた。
照れくさかったが、周りをはばからず貰い泣きしてしまった。
お疲れさん^^これからもお互いに偉くならないようにずっと一緒に頑張ろう

両方とも、何かをしてもらった時などに御礼の気持ちを表すのに、何気なく使う言葉です。
ある本にこう書かれていました。
【ついつい出てしまう「スミマセン」。この言葉を聞くと、言われたほうもお礼のつもりだとわかってはいても、「何か謝られるようなことをしたかな?」と、違和感を潜在的に抱いてしまうものだ】
私も今までどちらかというと、スミマセンを多く使っていたような。。。
気をつけて使ってみようと思いました。
奇しくも今日、そんな文献を車中読みつつ、ある人に会い、そして別れ際、目にうっすらと涙を浮かべながら
『ありがとう』
とただ一言。
また会いに来なきゃ!
そんな気持ちにさせられました。
ある本にこう書かれていました。
【ついつい出てしまう「スミマセン」。この言葉を聞くと、言われたほうもお礼のつもりだとわかってはいても、「何か謝られるようなことをしたかな?」と、違和感を潜在的に抱いてしまうものだ】
私も今までどちらかというと、スミマセンを多く使っていたような。。。
気をつけて使ってみようと思いました。
奇しくも今日、そんな文献を車中読みつつ、ある人に会い、そして別れ際、目にうっすらと涙を浮かべながら
『ありがとう』
とただ一言。
また会いに来なきゃ!
そんな気持ちにさせられました。