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旧宮家の皇籍復帰で注目の「東久邇家」に話を聞くと… 「未婚の男系男子は少なくとも12人」と専門家が解説

【全2回(前編/後編)の前編】
安定的な皇位継承や皇族数確保に向けた与野党協議が始まって間もなく1年。先頃、行司役である衆参両院の正副議長が「取りまとめ案」を示す運びとなった。併せて、旧宮家の皇籍復帰案において目下、4家が検討対象となっている事実が明かされたのだが……。
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その与野党協議は昨年5月、緒についていた。全国紙デスクが言う。
「2022年1月、政府の有識者会議がまとめた『皇位継承策』が国会に提示されました。これを受け、一昨年10月に衆院議長に就任した額賀福志郎元財務相が議論を主導する形で進行してきたのです」
ところが、
〈今国会の会期中に取りまとめたい〉
開始当初こそ額賀議長はそう意気込んでいたものの、各党間の隔たりは大きく、以降の協議は平行線をたどってきたのだった。
■「四家に未婚の男系男子がいるとの前提で……」
「現在協議されているのは、『女性皇族が婚姻後も皇室に残る』『旧宮家の男系男子を養子で迎える』の2案です。前者は、かねて保守派が“女性・女系天皇の容認につながりかねない”と危惧してきた案でもあり、各党が大筋で合意しながらも、配偶者や子どもの身分をどうするのかといった点などで意見の乖離が見られます。また後者については、自民をはじめ維新や公明、国民民主が賛同しているのに対し、立憲民主は慎重な姿勢を示している。現状では両案とも、合意点が見いだせない状況にあります」(前出の全国紙デスク)
そんな中、今年4月17日には第6回の協議が衆院議長公邸で開かれ、
「終了後、会見に臨んだ額賀議長は、早いうちに衆参両院の正副議長案をまとめたいとし、あらためて今国会中の意見集約を目指す意向を示しました。また同席した玄葉光一郎衆院副議長は、1947年にGHQの意向を受けて皇籍離脱した旧11宮家のうち、“久邇(くに)・東久邇・賀陽(かや)・竹田の四家に現在、未婚の男系男子がいるとの前提で有識者会議の議論が行われてきた”と、政府から説明があった旨、明かしたのです」(同)

■〈未婚の男系男子が少なくとも10名は〉
現行の皇室典範では天皇・皇族の養子は禁じられており、実際に旧宮家の男系男子が皇籍に入るとなれば典範改正が不可欠である。そもそも、80年近く前に離脱した宮家の子孫が復帰することに国民のコンセンサスが得られるかといった懸念も生じるところではあるのだが、それを差し引いても現時点での有力案には相違ない。
「17日の協議では、21年3月から始まった有識者会議において、先述した四家に関する資料が配布されたことにも言及があったといいます。この四家に若年の男系男子が存在することは、これまで専門家の間では知られていましたが、今回、立法府の協議の中でも具体案として議題に上ったことが、あらためて明らかになったわけです」(前出の全国紙デスク)
実際に、21年5月10日に行われた第4回の有識者会議のヒアリングでは、国士舘大学特任教授(当時)の百地章・日大名誉教授が四家について、
〈現在20代以下の未婚の男系男子が少なくとも10名はおられると思われる〉
と、自前の資料を基に説明していたのだった。
■「少なくとも12人の“候補”が」
当の百地氏に聞くと、
「私は野田政権時代の12年、『女性宮家』に関するヒアリングにも応じており、その時から旧宮家の男系男子の存在についてはお話ししてきました」
としながら、
「4年前の有識者会議でも、天皇系図や旧宮家系図などを示しながら、未婚の男系男子がこれだけいらっしゃるというご説明をしています。その10人の内訳は、久邇家に1人、東久邇家に6人、賀陽家に2人、そして竹田家に1人ですが、現在はさらに2人増え、少なくとも計12人の“候補”がいるとみられます」
そう明かすのだ。続けて、
「室町時代以降は、皇統の危機、直系の危機に備え、連綿と続いてきた男系男子の皇位継承権者を確保すべく、天皇の皇子の子孫は代々親王に任ぜられてきました。これが『世襲親王家』で、江戸時代には伏見宮、有栖川宮、桂宮、閑院宮の四親王家がありました。つまり皇室という一本の柱を、四つの宮家という支柱で支えてきたのです。今般の旧宮家復帰の議論も、まさしく皇統を守るための知恵だといえるでしょう」(同)

■令和の皇室と極めて近しい間柄
では、今回クローズアップされた旧四宮家には、どのような男子がいるのだろうか――。
久邇(旧久邇宮)家の現当主は、久邇邦昭氏(96)。1990年から01年まで伊勢神宮の最高責任者である大宮司を務め、現在は長男の朝尊氏(65)がその職に就いている。邦昭氏の弟である朝建氏(84)には男系男子の孫がおり、現在中学1年生だという。
久邇宮家から分かれて1906年に創設されたのが東久邇宮家で、初代当主は終戦直後の“宮さま宰相”こと稔彦王。その孫で19年3月に74歳で亡くなった信彦氏は、ご母堂が上皇さまの姉にあたるなど、令和の皇室とも極めて近しい間柄であった。その長男で現当主の征彦氏(52)は大手生命保険会社に勤務しており、こちらの家に現在、高校生と小学生の男の子がいるという。
■「東久邇家」に話を聞くと……
そして、
「信彦氏の弟で、旧伯爵家の壬生家に養子入りした壬生基博氏(75)は、皇室ゆかりの山階鳥類研究所の理事長を務めています。この基博氏の長男と次男の家に、それぞれ10代の男子がいます。また基博氏の弟である眞彦氏(72)も、住宅建材商社に勤める長男・照彦氏(45)の家に20代前半の男子がおり、さらにもう一人、眞彦氏には男の孫がいます」(旧宮家の事情を知る関係者)
2人の男子を孫に持つ基博氏に、皇籍復帰について尋ねると、
「その質問にはお答えしないことにしています」
とのことで、眞彦氏の長男である照彦氏も、
「こちらからお話しできることはありません」
そう言うばかりだった。
後編【「久邇家のご当主は皇籍復帰について『何を今さら』と…」旧皇族側に戸惑いが 「賀陽家の弟さんは愛子さまと“お見合い”の過去も」】では、皇籍復帰に伴う旧皇族側の“戸惑い”などと併せて皇籍復帰問題について詳しく報じる。
週刊新潮 2025年5月1・8日号掲載
特集「安定的な皇位継承のために…皇族復帰するかもしれない『旧4宮家』の人々」より
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